« 『落語を聴かなくても人生は生きられる』が素晴らしい! | メイン | 第147回直木賞直前予想!(前編) »

2012年07月03日

2012年ナンバーワン候補!『楽園のカンヴァス』


長いこと本を読んでいると、
時に作家が「大化け」する瞬間に立ち会えることがあります。

近年では村山由佳さんがそうでした。
村山さんといえば、房総の小さな町で動物たちに囲まれ、
野菜やハーブを育てながら執筆にいそしむライフスタイルで知られていましたが、
ある日突然、すべてを投げ打って都心のど真ん中に居を構え、
それまでの作風とはがらりと変わった
『ダブル・ファンタジー』(文春文庫)という性愛小説を発表して話題となりました。
(なにしろこの小説、いきなり男の尻のかたちの描写から始まるのです)

それ以前の村山さんの小説は「ピュア」という形容で語られることが多く、
裏を返せばそこには「ジュニア小説ぽい」というニュアンスも含まれていましたが、
この作品は、夫の抑圧から解き放たれた女性が初めて性の悦びを知り、
幾人もの男たちと関係を持ちながら官能をつきつめていくプロセスを濃密に描いたもので、
それまでの村上作品と比べると、とても同じ人物が書いたとは思えない「大人の小説」でした。

この傑作をものして以後の村上さんは、
これまで心の奥に抱え込んでいた黒いものを全部吐き出すかのように、
トラウマや性をテーマにした作品を精力的に発表しています。
作風は『ダブル・ファンタジー』を境にまったく変わってしまいました。
つまり村上さんは「化けた」のです。


原田マハさんの『楽園のカンヴァス』(新潮社)を読んだ時にも同じことを感じました。

それまでの原田さんは、どちらかとえいえば「恋愛小説家」という印象で、
その手の小説の苦手なぼくは(だって他人の恋愛なんてどうでもいいじゃないですか)
正直言ってあまり食指の動く作家ではありませんでした。

ところが『小説新潮』に連載中からあまりに評判が高いので、
単行本化されてすぐ手に取って読んでみたのですが、いやー驚きました。

「原田マハさんってこういう小説も書ける人なの!?っていうか本当に同一人物??」

そこに描かれていたのは恋愛どころか、
美術界を舞台に、あっと驚く仕掛けが施されたミステリーだったのです。


倉敷の大原美術館で監視員をしている早川織絵のもとを、
ある日、大手新聞社の文化事業部の部長が訪ねてきます。

一介の監視員に何の用だろうと訝る織絵に、
彼はルソーの展覧会を開催するために協力してほしいと依頼します。
展覧会にはルソー晩年の代表作といわれる『夢』という作品が欠かせません。
ところが、作品を所蔵するニューヨーク近代美術館(MoMA)のチーフ・キュレーター、
ティム・ブラウンは、貸し出しの交渉役として織絵を指名してきたというのです。

実は織絵はかつて将来を嘱望された美術研究家でした。
最短コースの26歳でソルボンヌの大学院で博士号を取得した才媛だったのです。
しかも彼女は、画期的な着眼点の論文を次々と発表して、
国際美術史学会の話題をさらっていた新進気鋭のルソー研究者でもありました。

物語はここで一挙に1983年に飛びます。

美術界の裏の世界にも通じているといわれる伝説のコレクター、
コンラート・バイラーの屋敷に、ふたりの人物が招待されます。

ひとりはティム。そしてもうひとりは織絵です。

バイラーは彼らに、
所蔵しているルソーの絵が本物かどうか鑑定してほしいと依頼します。

その作品は、美術史のなかには存在しないものであるばかりか、
ルソー晩年の傑作『夢』と関係したものでした。

もし真作であれば、美術史が書き換えられるような大事件です。

鑑定のためにふたりに与えられた猶予は7日間。
しかも手掛かりとして与えられたのは、作者不明の一冊の古書でした……。


この物語は謎に満ちています。

まずなぜ一介の美術館職員に過ぎない織絵が
MoMAのチーフ・キュレーター、ティムから交渉役に指名されたのか。
それからなぜ世界的に有名なコレクターが織絵とティムを鑑定役に指名したのか。
さらには、鑑定の材料として与えられた古書は誰が書いたのか——。
(古書には晩年のルソーの生活が書かれていました)

これら謎の数々が物語に強力な推進力を与えていて、
謎の力に引っ張られながら、ティムと織絵の鑑定対決と、
古書に書かれている晩年のルソーの生活と交互に読み進めるうちに、
読者は次第にページを捲る手が止められなくなってくるという仕掛けになっています。

7日間の鑑定を終えた後、ティムと織絵がそれぞれ導き出した結論といい、
そして最後の最後に明かされる驚きの真相といい、物語の決着のつけかたもお見事。

ぼくは「夢」のモデルになった女性ヤドヴィガが、
「永遠を生きる」ためにルソーのモデルになることを決意する場面に酔いしれました。
たとえ作者やモデルが死のうとも、絵の中では永遠に生き続けることができる。
「永遠を封じ込めたもの」。絵画の魅力というのは、そのようなものなのかもしれません。


本書は超一級の素晴らしいエンターテイメントであると同時に、
これまでになかったタイプの新しい美術ミステリーであるともいえます。
第25回山本周五郎賞の受賞も当然のことと言わなければなりませんし、
エンターテイメントの分野では今年最高の一冊になるかもしれません。

聞けば原田マハさんご自身が大学で美術史を専攻し、
森美術館やそれこそMoMAにも勤務していたこともあるとか。
美術館の裏側や美術市場などについての経験に裏打ちされた知識は、
ややもすれば荒唐無稽の側へと転落しかねないストーリーに説得力を与えています。

またルソーに関しても、傑作評伝として名高い
『アンリ・ルソー楽園の謎』岡谷公二(平凡社ライブラリー)が種本になっており、
史実は史実としてしっかり押さえたうえで、小説家が腕をふるうべきところでは
自由に想像力を働かせているという、このあたりの案配も完璧でしょう。


ただひとつだけ気になった点があります。
せっかく完成度の高い物語になっているにもかかわらず、
作者が間違って言葉を使っているところがある。

たとえば101ページに、こういうくだりが出てきます。


「『ただ、何よ?』ヤドヴィガが、じろりとにらみます。
『いや、その、ご婦人というのは、すべからくこういうものが好きかなと思っていたのでね。
色のきれいなふわふわした、夢のようなものが』風船をちょいとつついて、ルソーは言いました」


小説のなかに作中作として入ってくる、作者不明の古書の一節です。
「夢」のモデルになるヤドヴィガとルソーがご近所どうして、
しかもルソーはヤドヴィガに好意を抱いているということが描かれた場面ですが、
ここで使われている「すべからく」という言葉の使い方が間違っているのです。


ちょっと話が脱線しますが、いい機会なので触れておくと、
マルキ・ド・サドを我が国に紹介するなど、
西洋文化についての該博な知識を持っていた澁澤龍彦は、
「すべからく」と題したエッセイのなかで次のように書いています。
『太陽王と月の王』河出文庫所収


「古めかしい漢語的ないいまわしを、わけも分からず堂々と使っているひとがあって、
これは驚くというよりも、いっそ感心してしまうほどだ。漢文に親しんだことのない世代には、
これらの表現が、ちょっと横文字の与える効果のように、カッコよく見えるのかもしれない」

澁澤はその代表として「すべからく」をあげ、間違った使われ方をいくつか示した後、
正しい用法についてこう書いています。

「『すべからく』はもともと漢文の訓読から出た語で、漢文では須と書くのである。
須田町の須である。必須の須である。
必須科目というのは、選択科目とちがって、どうしても学習しなければならない課目のことだ。
すべからく学習すべき課目のことだ。(略)
『すべからく……』ときたら、そのあとは『……べし』で結ばなければならないのである」


つまり「すべからく」は、
「べき(べし)」と必ずセットになって使われる言葉なのです。
義務や命令で使われる言葉で、「すべて」という意味はありません。
にもかかわらず、この「すべからく」を、「すべて」のちょっと気取った表現だと
誤って認識して使っている人がとても多いのです。
評論家の呉智英さんなどもこのことを長年にわたって指摘し続けています。
(近著では『言葉の煎じ薬』双葉社など)


作者はおそらく、芸術の歴史に名を残したルソーの晩年を
格調高く描こうとしてこの言葉を使ってしまったのでしょう。
(本書には他にも「すべからく」がこういう使われ方をしてるところがあります)

いや、でもぼくだって気づかずに言葉を間違って使っていることはありますから、
こういう偉そうなことを言うこと自体、天に唾する行為なのですが、
美術に関する記述が確かなものであるだけに、こういうところを目にすると、
急に記述が雑になったような気がしてしまって、もったいないなと思ってしまうのです。


閑話休題。

本書を読んでルソーに興味を持った方は、
ぜひ先ほどもご紹介した名著『アンリ・ルソー楽園の謎』をお読みください。
税関に勤めながら絵を描き、世間にまったく理解されないまま死去した後、
美術史に天才として名を残すことになったルソーの謎にみちた生涯を知ることができます。

「天才は天才を知る」というのか、生前のルソーの才能をただひとり評価していたのはピカソでした。
ふたりの交友については、ピカソの伝記の決定版
『ピカソの世紀』ピエール・バカンヌ著 中村隆夫訳(西村書店)が多くを教えてくれます。

投稿者 yomehon : 2012年07月03日 00:33