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2012年03月10日
社会派ミステリーの力作 『震える牛』に戦慄せよ!
いま住んでいる街は商店街がとても元気で、
個人商店が立ち並ぶ賑わいぶりが気に入って、
かれこれもう15年以上も住み続けています。
過去、大手スーパーが参入を試みたものの
個人商店から客を奪えずに撤退したほど活気がある商店街なのですが、
ちょっと様子が変だと感じ始めたのはここ1、2年のことでしょうか。
ポツポツと店仕舞をする個人商店が出てきたのです。
地元産の野菜を置いていた良心的な八百屋さん、
近隣の料理人も買いに来るほどの品揃えだった魚屋さん、
手作りの練り物が絶品だったおでん種屋さん、
鶏のことならなんでも教えてくれた鶏肉専門店、
季節ごとに旬の野菜を使った新作が並ぶのが楽しみだった漬け物屋さん……。
我が家の食卓を支えてくれていた個性的なお店が次々と潰れ、
後にはどこにでもあるチェーンの飲食店ができるという
お決まりのパターンがこのところ繰り返されています。
ついこの間も、いつもアジの干物を買っているお店に行ったら、
「実は3月いっぱいで閉めちゃうのよ」といきなり親父さんに言われて大ショック。
聞けばここ数年は売り上げも右肩下がりで、「そろそろ潮時かと思った」とのこと。
しかもお店を閉めてこれから大変だろうに、こちらを気遣って
「いままでありがとね」と自家製のチリメン山椒までサービスしてくれて……。
こういう店主の顔がみえるお店がなくなってしまうのは本当に寂しいし残念です。
いったいこの街で何が起きているというのでしょう。
いや、この街だけではないはずです。
ぼくらの目に見えないところで、
なにかとてつもない地殻変動が起きているのではないか。
そんな気がしてなりません。
『震える牛』相場英雄(小学館)の主人公、田川信一が住んでいるのも、
西武線沿線にある昔ながらの商店街が元気な街です。
家族ぐるみの付き合いがある青果店や、
肉の産地にも気を配る精肉店などが並ぶこの商店街を、
田川は「様々な人とつながっている実感」が持てると気に入っています。
田川の職業は刑事です。
所属は警視庁捜査一課継続捜査班。
ここは迷宮入りした事件を地道に継続捜査するところで、
田川は、事件現場周辺で丹念に聞き込みをする「地取り」と、
事件関係者のつながりを徹底的に洗う「鑑取り」の腕を買われて、
中野駅前の居酒屋で男性2人が何者かに刺殺された強盗殺人事件の捜査を命じられます。
この事件は初動捜査の段階では、
「不良外国人による金目当ての犯行」というセンで捜査が行われたものの、
その後有力な手掛かりがなく、2年経ったいまも未解決のままになっていました。
被害者は互いに面識のない2人。
ひとりは仙台に住む獣医。そしてもうひとりは大久保在住の産廃業者。
メモ魔でもある田川は、文字通り地を這うような捜査で、
ひとつずつ見過ごされていた証拠を拾い上げ手帳に書きつけていきます。
その過程で浮かびあがるオックスマートという巨大スーパーの存在。
新潟と仙台を結ぶ一本の線。
事件を追ううちに、田川はやがて
いままさにこの国で進行している病と向き合うことになるのでした——。
この小説が優れているのは、
わずか350ページほどのなかで
日本の構造的な問題を剔出してみせたことです。
デフレの進行、巨大資本による寡占、地方経済の疲弊、食品の安全性への疑問——。
それらはすべてリンクしているのだということを、事件の謎を追う楽しみを邪魔することなく、
物語のかたちで読者に提示してみせている。これは並大抵の腕ではできない芸当です。
この小説を読んで思ったのは、
ぼくらはいつから単なる「消費者」になってしまったのだろうということ。
より安く、より早く、より快適に。
消費者としての利便性だけを追い求めた結果、
ぼくらは大切なものを切り捨ててしまったように思えてなりません。
一気読みの面白さがありながら、読後感はずしりと重い。
いまの日本が抱える病巣の深さを知って、あなたはきっと戦慄させられるはずです。
それにしても本書は久々に登場した社会派ミステリーの力作です。
本の帯には、「平成版『砂の器』誕生!」とありますが、
『砂の器』と似ているところといえば、
主人公の刑事が執拗なまでの捜査を行うところくらいで、
ぼくはむしろ『黒の試走車』や『赤いダイヤ』などの傑作を書いた梶山季之と近いものを感じました。
この小説を読み終えた人の中には、
本書が問題提起したことをもっと深く掘り下げてみたいという人もいるでしょう。
おしまいにそんな方のためにおススメの本を何冊かご紹介。
地方の風景がどのように破壊されているかを知りたい方は、
三浦展さんの『ファスト風土化する日本 郊外化とその病理』を。
地方経済の現状と未来については、ベストセラー『デフレの正体』でデフレの根本原因は
生産年齢人口の減少にあると喝破してみせた藻谷浩介さんの『実測!ニッポンの地域力』、
また21世紀には都市が縮んでいく(シュリンクする)と予測した建築家の大野秀敏さんらによる
『シュリンキング・ニッポン』をどうぞ。
食品の流通のカラクリについては、『放射能汚染食品、これが専門家8人の食べ方、選び方』のなかにおさめられた
河岸宏和さんのレポートが参考になります。
また『震える牛』というタイトルから推察できるように、
この小説では牛肉が物語の重要なテーマになっているのですが
(三省堂書店有楽町店ではこの本の店頭POPに食品サンプルの肉が使われていて度肝を抜かれました)、
牛肉ついては、福岡伸一さんの『もう牛を食べても安心か』がおススメです。
投稿者 yomehon : 2012年03月10日 23:17