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2012年02月20日
ヨメに隠れてクリーニング……!?
「営業は足を使え」なんてことをよくいいます。
お客様のもとへ毎日のように足を運ぶ。
取引先の新規開拓のために足を棒のようにして街を歩き回る。
そんでもって革靴を短期間に何足も履き潰したりなんかすると、
いかにも優秀な営業担当のようでカッコいいのであります。
でもここだけの話ですが、大変お恥ずかしいことに、
5年ほどいた営業部時代で靴を買い替えたのはほんの数えるほど。
営業成績は優秀どころか、むしろ全体の足を引っ張っていたくらいでしたから、
それも当然かもしれません。まぁこれについては、ただただ頭を垂れるのみです。
その代わり、といってはなんですが、
営業の頃にもっともひんぱんに買い替えたのは、靴でなく、ネクタイでした。
表回りの楽しみといえば、
毎日違うお店でお昼ご飯を食べること。
きょうはこの店、明日はあの店と、好きなお店に足を運んで、
「うまい!おいしい!」と飯をかき込み、
食べ終えて気がつけば、必ずといっていいほどネクタイが汚れているのです。
当然のことながら、うちに帰ればヨメは烈火のごとく怒り、
罵声を浴びせられながらクリーニング店へと走るという毎日が続きました。
ネクタイについた食べこぼしのシミというのは
なかなかやっかいなものらしくて、
「クリーニングしたけれど、このシミはとれません」
と戻ってくることもしばしば。
そんなある日、ふと疑問に思ったのです。
うちの近所のお店では、
ネクタイのシミが落ちようが落ちまいがクリーニング代金は変わらない。
これはなぜだろうと。
いや、別に文句を言っているわけではありませんよ。
そもそもはシミをつくってしまう自分が悪いわけですから。
ただ、結果がどうであれ料金が変わらないのと、しかも前払いというのは、
よくよく考えるとかなり独特の商習慣ではなかろうか、そう思ったのです。
ところが、「料金は後払い」という
クリーニング店もあることを、最近ある本で知りました。
どうしてもシミがとれなかった場合はお代はいただきません、というわけです。
ただしこのクリーニング店、仕事は遅いうえに、値段が高い。
しかも受付時に契約書まで交わさなければならないというのですから驚きます。
こんな話を聞くと、
「そんなクリーニング店、やっていけるの?」
と思う人もいるかもしれません。
そう思うのも当然です。
ならばこう言い換えてみてはどうでしょう。
そのお店の仕事は遅いが、どこよりも丁寧で、
値段は高いが、どんな高級な生地や服にも対応してくれる。
実はそんな特別なクリーング店があるんです。
『クリーニング革命 すべては喜ばれるために』(アスペクト)は、
プレタポルテからオートクチュールにいたるまで、
数々の高級ブランドから絶大な信頼を得ているクリーニング店
「レジュイール」の代表、古田武さんがクリーニング哲学を語った一冊。
なにしろこの「レジュイール」、仕事ぶりがハンパではありません。
シミがついたネクタイはいちどほどいてシミを抜き、また縫い直す。
エルメスのスカーフの幅5㎜のプリーツをアイロンで復元してみせる。
裏表350本のアコーディオンプリーツのスカートに、
気が遠くなるような時間をかけてアイロンをかけていく——。
これだけでもなんだか凄そう。
いったいどんなお店だろうとホームページを見てみましたが、
料金が明示されていないところはまるで高級なお鮨屋さんのよう。
説明を読むと、どうやらクリーニングの料金は
頼んだ服の種類や状態によって違ってくるから、ということのようですが、
ともかく、すごく高そうなことだけはその雰囲気から察することができます。
そんな「レジュイール」の仕事は洗濯だけにとどまりません。
スカートの裾がほつれていたら補正をする。
とれかけているボタンがあればつけ直す。
(スタッフにはイヴ・サンローランでオートクチュールを作っていた人間もいて、
腕前は相当なもの、と本にありますが、これがクリーニング店の話だから驚きます)
シミ抜きに関しても徹底しています。
頑固なシミを落とすために東奔西走するのは当たり前。
薬剤メーカーの人間に相談したり、
化学の専門家に話を聞きに行ったり。努力は惜しみません。
ともかく、ぼくらがイメージするようなクリーニング店の仕事の枠を
はるかに超えた仕事をしている驚異のクリーニング店、それが「レジュイール」なのです。
とはいえ、この「レジュイール」のスタンスに疑問を持つ人もいるかもしれません。
本の中でも、見学にきた同業者から「こんな面倒なことやってれられないよ」と嫌みを
言われる場面が出てきますが、そもそもここまで突き詰めてやる必要があるのだろうかと。
でもぼくは、とことんまで追究するお店があるということは、
クリーニング業界にとっても喜ばしいことではないかと思うのです。
なぜなら、頂上が高くないと裾野はけっして広くならないからです。
代表の古田さんは、自分の仕事についてこんなことを言っています。
「私がずっと目指していたのは、お客様に喜んでもらえる仕事でした。
そのためには汚れやシミが落ちていること。風合いが変わらないこと。
デザインも元通りに復元されていること。すべてがクリアされて初めてお客様は
『ああ、きれいになった』と思う。どれが欠けてもダメなのです」
一見、簡単なことを言っているかのようですが、
完璧に仕上げようと思えば思うほど、実は仕事は困難さを増していくのだそうです。
風合いは洗い方に始まって、洗った後の加工剤にも左右される。
シミ抜きには化学の知識と技術がいる。
アイロンもブランドごと、または時代ごとに、
どこをかけて、どこをかけてはいけないのかが変わってくる。
それらすべてを把握するためには、
常に服の研究をしていなければならないし、
ヨーロッパのクリーニング技術などを学び続けなければなりません。
並大抵の努力で出来ることではないでしょう。
小説でも映画でもそうですが、
あるジャンルをとことんまで突き詰める存在が現れることで初めて、
そのジャンルは進化することができます。
そしてそのような進化を繰り返しながら、ジャンルは裾野を広げ、成熟していきます。
「レジュイール」にもそれは当てはまるのではないでしょうか。
この本で明かされる数々の職人技を見るにつけ、ぼくはこのお店の存在そのものが、
クリーニングという分野の奥の深さや裾野の広さを現しているのではないかと感じました。
極貧の子ども時代にはじまる著者の半生や、
「レジュイール」を開店させてからの苦労話はなかなか読ませるし、
巻末の家庭できるクリーニング法や洋服の保管法は重宝します。
読みやすくてお得な一冊です。
この本を読みながらぼくは、
クローゼットの奥に隠してある何本かのネクタイのことを思い浮かべていました。
シミが落ちないと言われたままずっとしまいっぱなしになっているネクタイ。
さすがに時間がたちすぎているからいまさらシミ抜きは無理だろうけれど、
「レジュイール」だったらもしかして落としてもらえるだろうか。
でも基本は婦人服の扱いだけみたいだし、だいいち高そうだしなぁ……。
ヨメに隠れて本を買うだけではなくて、
クリーニング店にもこそこそ通わなければならない自分を想像していたら、
なんだか気が滅入ってしまったのでありました。
投稿者 yomehon : 2012年02月20日 19:47