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2012年01月31日

『舟を編む』


日々の生活の中で、このうえもない至福のひとときといえば、
ひとり本の部屋に入って、次は何を読もうかと本棚を眺めているときです。

本はたくさん持っているほうだとは思いますが、
実はそのすべてを読んでいるわけではありません。

人と同じで本との出合いも一期一会。
目にした時や気になった時に買わないと、
その後二度とめぐり合えないことがしばしばあります。

そんなわけで我が家の本棚には、
「これまで読んだ本」よりも「これから読む本」のほうが多く、
もしかするともう一生かかっても読み切れない量かもしれませんが、
それはいたしかたのないことなのです。

部屋は窓もふくめて四方を本棚で塞ぎ、
本棚と天井との隙間にも本を押し込んでいるため、
人によっては本に押しつぶされそうな恐怖を覚えるらしく、
ヨメなぞは他所でこの部屋のことを「拷問部屋」などと言っているようですが、
そう言いたければ言えばよろしい。

ぼくにとってこの部屋は言葉の宇宙へとつながる扉のようなもの。
何を言われようといっこうにかまいません。

たとえば家族が寝静まった深夜などに、
この部屋に寝転んでぼーっと本棚を見上げていたりすると、
なんともいえない不思議な感覚にとらわれることがあります。

ここにある無数の本の中に、
これまで人類が獲得してきた知識が
いったいどれくらい詰まっているのだろう?

そんなことを妄想し始めると、
一冊一冊の本におさめられた無数の言葉が小宇宙を形成しているような気がしてきて、
自分はその星雲のまっただなかを漂う宇宙のチリのような存在に思えてくるのです。

自分はなんと無知でちっぽけな存在なのか、
この部屋の本を読み終えるまでは退屈してる暇なんてないぞ、
これからおぬしは宇宙の秘密を解く大事業に挑まねばならんのだ!

そう思うと腹の底から力が漲ってきて、思わず武者震いを感じてしまうのです。

そういえば、深夜にひとりぶるぶると武者震いする夫のことを、
ヨメは他所で「キモチ悪い」などと言っているようですが、
そう言いたければ言えばよろしい。

男子には一生をかけて取り組まなければならない大事なことがあるのです。
どんなに陰口をたたかれようといっこうにかまいません。


ところで、一生をかけて取り組むに値する大事業といえば、
たとえば辞書づくりなどはその最たるものではないでしょうか。

三浦しをんさんの『舟を編む』(光文社)は、
新しい辞書の編纂に取り組む人々の奮闘を描いた傑作小説。

大手出版社・玄武書房の営業部に勤める馬締光也は、
ある日、辞書編集部への異動を命じられます。
営業では天然キャラの変人として持て余され気味だった馬締は、
実は大学院で言語学を専攻しており、辞書づくりの才能ありと見込まれたのでした。

日本語研究に一生を捧げてきた松本先生や、
彼の伴走者としてこれまた編集者人生を辞書づくりに捧げてきた荒木、
日本語よりも女の子に興味があるチャラ男の西岡といった個性的なメンバーとともに、
馬締は新しい辞書『大渡海』の編纂に挑みます。

しかし膨大な時間と金がかかるため辞書づくりは前途多難。
彼らの前には次々と難題が持ち上がります。
果たして『大渡海』は完成するのでしょうか——。


先日、『くちびるに歌を』をご紹介した際に、
本屋大賞の有力候補と申し上げましたが、
この『舟を編む』も負けじと有力です。

登場人物たちが辞書づくりにとことんまで情熱を注ぎ込む様子を見ているうちに、
いつの間にかこちらまでが胸を熱くしていることに気がつかされます。
読む者の胸を熱くする、とてもいい小説です。

でもなぜこれほどまでに彼らは辞書づくりに情熱を傾けられるのでしょうか。

最初それが疑問だったのですが、
読み進めるうちにだんだんわかってきました。

辞書という書物は、世の中で唯一、完成することのない本なのですね。

言葉は生き物で、時代とともに変化します。
新しい言葉が生まれ、古い言葉の中には死語になってしまうものもあります。
それらを十分に吟味し、取捨選択をして、新しい時代にふさわしい辞書を編むのが
辞書づくりを担当する編集者の使命といえるでしょう。

けれどもその辞書も出来た瞬間からもう古くなって行きます。
いまこの瞬間にも新しい言葉が生まれているからです。
この終わりなき戦いへのあくなき挑戦が、辞書づくりの醍醐味に違いありません。

それともうひとつ、ぼくらの生活に
辞書が欠くことの出来ないものであるということも、
彼らの責任感の源泉になっているような気がします。

先ほどぼくは本を小宇宙にたとえましたが、
三浦さんは辞書を舟にたとえます。
辞書は言葉の大海に漕ぎ出すための一隻の舟である、というのです。


「ひとは辞書という舟に乗り、暗い海面に浮かびあがる小さな光を集める。
もっともふさわしい言葉で、正確に、思いを誰かに届けるために。
もし辞書がなかったら、俺たちは茫漠とした大海原をまえにたたずむほかないだろう」


新しい辞書を『大渡海』と名付けた思いを、
定年間近の編集者の荒木が語る場面ですが、
「辞書は言葉の海を渡る舟である」という定義は、
すべての辞書にあてはまるのではないでしょうか。


人が言葉の大海に漕ぎ出そうという時に
欠くことの出来ない重要なアイテムであるがゆえに、
辞書づくりには思いもよらない細部への気配りが必要となります。
この小説の面白いところは、そのような一般には知られることのなかった
辞書づくりの苦労話が、随所に盛り込まれているところでしょう。

たとえば紙。
辞書はページ数が多いため、
いかに薄く、軽く、インクが裏写りがしない紙を使うかが重要なのだそうです。
それだけではありません。
ページをめくる際の微妙に指に吸いつく感じや、
かといって吸い付きすぎずにほどよく指離れのいい感じなど、
実に微妙なニュアンスを編集者は追求するようで、
そのために製紙会社はその辞書にあった特別な紙を新たに開発するのだとか。
(「抄紙機」なんてものを初めて知りました。「しょうしき」と読みます)

採録する言葉の選択も吟味が必要です。
辞書の小口(ページを開く部分)には
引きやすいように黒い印がついていますが、
これをみると、日本語は「あ」行から「さ」行までの分量が多いことが分かります。
逆に「や」行や「ら」行、「わ」行などは数が少なく(なぜ少ないかという理由も
ちゃんと書いてあります。そのあたりのことはぜひ本で確かめてください)、
バランスよく言葉がおさめられた辞書というのは、
全体の真ん中あたりにくる単語が『す』や『せ』ではじまるようになるのだとか。
(この日本語の特性を利用して、しりとりに勝つコツなんてのも本書に出てきます)


いやー、辞書って面白いなぁ。

新約聖書には「はじめに言葉があった」とあるけれど、
考えてみれば、人間は言葉を持つことで初めていろいろなものを生み出せたのですね。


「なにかを生み出すためには、言葉がいる。岸辺はふと、はるか昔に地球上を
覆っていたという、生命が誕生するまえの海を想像した。混沌とし、
ただ蠢くばかりだった濃厚な液体を。ひとのなかにも、同じような海がある。
そこに言葉という落雷があってはじめて、すべては生まれてくる。愛も。心も。
言葉によって象られ、昏い海から浮かびあがってくる」


そう。
愛という概念も、心というコンセプトも、
すべては「言葉」によって名付けられることで初めてぼくたちの前に姿を現したのです。

読みはじめると止まらない面白いストーリーの裏側に、
このような言葉に対する深い思索が隠されている。
本当に素晴らしい小説だと思います。


さて、辞書と言葉に興味のある方は、
『博士と狂人 世界最高の辞書OEDの誕生秘話』
サイモン・ウィンチェスター 鈴木主税訳(ハヤカワノンフィクション文庫)

という本もオススメです。

41万語以上の収録語数を誇る英語圏最高の辞書『オックスフォード英語大辞典』。
この世界的に有名な辞書の編纂の中心人物が、
貧困の中、独学で数々の言語と教養を身につけたマレー博士です。
このマレー博士には、日々手紙で用例を送りつけてくる謎の協力者がいました。
ある日、協力者のもとを訪ねたマレー博士はその意外な正体を知ることになります。
さて、その協力者の正体とは——?

どうですか?
こちらも読みたくなったでしょう。
言っときますが、これ小説じゃなくてノンフィクションですからね。
『舟を編む』とあわせてぜひどうぞ。


投稿者 yomehon : 2012年01月31日 22:14