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2011年10月22日
日本ラグビー栄光の日々
ぼくが生まれ育ったのは九州の大分県というところです。
まぁ一般的には温泉が有名なのかもしれませんが、
大分は九州のなかでも比較的ラグビー熱が高い県で、
県立大分舞鶴高校というラグビーの名門校もあります。
大分舞鶴はこれまで全国優勝を1回、準優勝を3回経験している強豪校。
音楽ファンのなかには、松任谷由実さんの名曲『NO SIDE』の
モデルになった高校としてご存知の方もいらっしゃるかもしれません。
(1983年の第63回大会決勝で天理高校に敗れた大分舞鶴が
この曲のモチーフになったという説があります)
ぼくが高校生の頃には、のちに早稲田大学や日本代表でも活躍する
今泉清というスター選手を擁して注目を集めていました。
また大分港に面した臨海工業地帯に新日鉄の製鉄所があることから、
社会人ラグビーへの関心も高く、新日鉄釜石のラグビー部が大活躍していた頃には、
地元大分のチームではないにもかかわらず応援していました。
ぼく自身はどちらかといえば野球が好きでしたけど、
このようにラグビーに接する機会の多い土地で育ったせいで、
いまでもラグビーシーズンになるとなんとなくそわそわしてしまいます。
そんなわけで先日行われたラグビーワールドカップのことも気になっていました。
最終のカナダ戦を目にしたのはちょうど営業活動中のこと。
繁華街にあるカフェで試合を店内放送しているのをみかけて思わず足が止まりました。
店に入ると、ラグビーファンらしき20名程度のお客さんが肩を寄せ合うように
戦況を見守っていました。
試合はちょうど後半のなかばあたり。
日本は前半をリードして折り返したにもかかわらず、
対戦相手カナダの猛攻を受け、じりじりと後退しているところでした。
ご存知の方も多いかもしれませんが、結果は引き分けに終わり、
日本は20年ぶりのワールドカップでの勝利を逃してしまいました。
驚いたのは、試合が終わって店内を見渡したときのことです。
落胆して肩を落としているのは一部のラグビーファンだけ。
ほとんどのお客さんは試合結果にまったく関心がなく、
携帯をいじったりおしゃべりに興じたりしているではありませんか。
日本代表が背水の陣で臨んだ最終戦であるにもかかわらず、
まるでそんな試合なんてなかったかのようです。
これがサッカー日本代表だったらもっと雰囲気は違っていたに違いありません。
「いつからラグビーを取り巻く環境はこんなになっちゃったんだろう……」
そんな淋しい思いを押さえることができませんでした。
かつて日本ラグビーに輝かしい時代があったことを
いまどれほどの人が記憶にとどめていることでしょう。
『釜石ラグビー栄光の日々』上岡伸雄(中央公論新社)は、
「空前のラグビーブーム」を日本中に巻き起こした
新日鉄釜石ラグビー部の強さの秘密を、
多数の関係者の証言から描き出した傑作スポーツノンフィクション。
新日鉄釜石は、1978年から1984年まで
日本選手権で前人未到の7連覇を成し遂げた伝説のチームです。
東北や北海道出身の無名の高卒選手を徹底的に鍛え上げ、
松尾雄治という天才プレーヤーのもとに鉄の結束を誇り、
圧倒的な強さで日本ラグビー界に君臨しました。
なぜ釜石はあれほど強かったのか。
またなぜあの時代のラグビーに人々は熱狂したのか。
著者は80人近い関係者にインタビューし、
それぞれの証言を丹念につきあわせることで
鮮やかに当時を再現することに成功しています。
釜石の強さの秘密とはなんだったのでしょうか。
よく云われるのは、
ラグビー界最強のスクラムを誇るフォワードと、
多彩な攻撃能力をもったバックス陣とが、
理想的なかたちで組合わさったチームだったということです。
この本のなかでも、
スクラムやパスなどの細かい技術に関して
いかに釜石の選手たちが優れていたかという証言がいくつも出てきます。
スクラムで押しながらすみやかに後ろへボールを送る技術や、
間(ま)をうまく使うことで相手をかわすステップなど、
釜石の強さを裏付けるようなディテールに富んだ証言がいくつも出てくる。
これらの証言を読んでいると、
スタンドオフの松尾選手が滞空時間の長いキックを蹴って、
重戦車のような釜石のフォワードが敵陣へ押し寄せる光景や、
一瞬たりとも途切れることなく展開されたボールを最後に受け取った
センター森重隆選手が、韋駄天のごとくフィールドを駆け抜けて行く場面が
脳裏に浮かぶという往年のファンも少なくないでしょう。
でも釜石の強さを支えていたのは、
そのような個々の選手の能力や技術だけではありませんでした。
この本のなかに、高橋博行という印象的な選手の話がでてきます。
秋田高専から技術者として釜石に入社した新入社員だった高橋さんは、
ラグビー部の練習をみているうちに自分もやりたくなって入部を志願します。
ラグビーでとった社員ではないから入部は罷りならぬ、と反対する会社側を説得して、
晴れてラグビー部の一員となったものの、練習にはまったくついていけませんでした。
懸垂が一回もできないくらい体力がなく、練習でもすぐにばててしまう高橋さん。
ところがどんなに練習についていけなくても決して部を辞めることはありませんでした。
いつしか高橋さんが息を切らせて走る姿は、
釜石ラグビー部ではお馴染みの練習風景となっていきます。
さて、話はここで終わりません。
凄いのはここからです。
入部して4年目の豪州遠征で、南豪州代表との試合に出場する機会を得た高橋選手は、
相手の巨大なナンバーエイトに強烈なタックルをかまして一発で倒してみせました。
そのまま脳しんとうで退場してしまったものの強烈な印象を残すプレーでした。
足が速いわけでも器用なわけでもない高橋選手には、
実は誰にも負けないタックルの才能があったのです。
当時を振り返って誰もが「あいつのタックルはすごかった」と口をそろえ、
入部したときはまさかあそこまで行くとは思わなかったと云います。
高校時代まったくの無名だった高橋選手は、
やがて釜石の黄金時代を支える選手に成長していきました。
ここに釜石の強さの秘密をみてとることができます。
釜石ラグビー部の部員数は30人前後。
しかも明治大学出身の森選手や松尾選手のような大卒選手はごくわずかで、
ほとんどが高橋選手のようにラグビーエリートではない無名の高校生たちでした。
そんな彼らが、厳しい寒さのなか行われる辛い練習に耐え忍ぶうちに、
やがて「これなら誰にも負けない」という能力を発見し、
チームの中に確たるポジションを見いだすようになります。
この個々の選手の潜在能力を見事に引き出すところに釜石の強さの秘密がありました。
実はそこには釜石の社風も深く関わっています。
釜石にはたとえラグビー部員であろうとも、
まず仕事が立派にこなせるようになってこそ一人前、という雰囲気がありました。
驚いたことに7連覇の時代ですら、部員たちは
朝9時から5時まできっちり働いてからラグビーをしていたそうです。
そのため、必然的に選手たちと職場の結びつきは強くなりました。
大きな試合の前には職場をあげて選手たちを送り出してくれたといいます。
同僚たちは、ラグビーのスター選手だからというのではなく、
同じ溶鉱炉の前で汗を流して働く仲間として選手たちを全力で応援したのです。
新人たちはこのような環境のなかで、
ラグビー選手として、人間として、大きく成長を遂げて行きました。
「職場の仲間たちのためにも負けられない」という思いが、
辛く厳しい練習に耐え抜く心の強さや大舞台でも負けない精神力を支えていたのです。
この『釜石ラグビー栄光の日々』を読みながら、
ぼくはいまのラグビー日本代表に欠けているのは、
ある種の「物語」ではないかと思いました。
無名の存在から釜石の名フランカーにまで成長した高橋選手に象徴されるような物語。
わかりやすくこれを「成長の物語」とか「成功の物語」といってもいいでしょう。
「エリートでなくても頑張ればスゴいことが出来るんだ」
とぼくらが感情移入し、心から共感し、夢を託したくなるような物語が、
いまの桜のジャージには欠けているのではないか。そう思えてなりません。
今回のワールドカップで日本代表にはずらりと外国出身者が並びましたが、
人々がいまいち感情移入できなかったのは、彼らの背後にどんな物語が
あるのかということがよく見えなかったからではないかと思うのです。
2019年のワールドカップ開催地は日本。
いまよりももっと魅力的な代表チームをつくって
かつてのようなラグビー人気を取り戻すことが急務ではないでしょうか。
さて、ラグビーの魅力を伝えてくれる本としては、
『仲間を信じて ラグビーが教えてくれたもの』村上晃一(岩波ジュニア新書)も
素晴らしかった。
ラグビーがいかに人生を豊かにしてくれるスポーツかということを、
6人のラガーマンの生き方を通じて描き出した良書です。
この本に登場するラガーマンがみな「信頼」を口にしているのが印象に残りました。
ラグビーというスポーツには、身体を激しくぶつけあったり、
ボールをつなぐために自らが犠牲になるといった特徴がありますが、
そういった特性が、敵味方関係なく、相手への信頼を生み出す土壌となっているようです。
3・11の大震災では釜石の街も甚大な被害を被りました。
残念なことに『釜石ラグビー栄光の日々』にも証言者として登場する
名フランカーの佐野正文さんとその奥様も津波の犠牲となりました。
(本書70ページには日本選手権でトライする佐野さんの勇姿がのっています。
ご冥福をお祈りします)
悲しみの淵から立ち上がり、少しずつでも前に進まなければならないいま、
ラグビーの精神からぼくたちが学べることはたくさんあるような気がします。
ONE FOR ALL, ALL FOR ONE(一人はみんなのために、みんなは一人のために)
という言葉が、ラグビー精神をあらわすフレーズとしてよく知られていますが、
意外なことにこの言葉は、海外のラグビー界では使われていません。
もともとはアレクサンドル・デュマの『三銃士』に出てくる言葉で、
なぜか日本のラグビー界で使われるようになったそうです。
日本代表や神戸製鋼でロックとして活躍した林敏之さんは、
『仲間を信じて』のなかで、
日本人がラグビーを初めて見たときに、
そういう精神をこのスポーツの中に見たのではないか、
だからこそ三銃士の言葉をあてはめて大切にしてきたのではないか、
とおっしゃっていますが、案外この仮説は当たっているかもしれません。
黄金時代の新日鉄釜石のプレーは多くの人を励ましました。
厳しい練習に耐え日本選手権へと勝ち上がったみちのくの無名戦士たちに、
人々は自分自身の人生を重ね合わせて応援しました。
あの頃、毎年日本選手権には6万人もの観衆が集まったといいます。
かつてラグビーが人々に勇気を与えていた時代がたしかにありました。
あの時代をもう一度、と思うのは、単なる夢物語に過ぎないのでしょうか。
いや、ぼくはそうではないと思います。
震災に見舞われて下を向きがちな世の中に向けて、
ラグビー界が発することのできるメッセージはきっとあるはずです。
『釜石ラグビー栄光の日々』を読んでひさしぶりに心を奮い立たせられました。
本書は今年のスポーツノンフィクションのベストワンだと思います。
投稿者 yomehon : 2011年10月22日 17:53