« 高校野球の夏がやってきた! | メイン | 京都に住みたい! »
2011年08月16日
進化し続ける「新宿鮫」
長いこと本を読んでいると、ひとくちに読書といっても、
いろいろな愉しみかたがあるということがわかってきます。
「シリーズものを追いかける」というのもそのひとつ。
もちろん現在進行形で追いかけるからには、作者は現役であることが条件。
いまかいまかと待ち焦がれた新作のページを開く瞬間の幸福感といったらありません。
たとえばジェフリー・ディヴァーのリンカーン・ライムシリーズ。
四肢不自由の科学捜査官リンカーン・ライムが活躍するこのシリーズは、
次々に現れる凶悪犯罪者との知恵比べが最大の読みどころですが、
もうひとつ、周囲の人々との関わりの中でライムが徐々に心を開いていき、
生きることに前向きになっていくプロセスも、シリーズに欠かせない魅力となっています。
そういえば、このシリーズに登場した
カリフォルニア州の敏腕心理捜査官キャサリン・ダンスも、
その後独立した主人公としてシリーズ化され、
リンカーン・ライムシリーズとはひと味違った魅力を放っています。
(昨年出た『ロードサイド・クロス』は、本欄で紹介し損ねましたが
面白いのでぜひ。ネットの炎上とか現代的なテーマが盛り込まれています)
シリーズものの主人公は必ずしもヒーローばかりではありません。
「出来ればこいつとは友だちになりたくない」
というような人物を主人公にしたシリーズもあります。
マイクル・コナリーの刑事ハリー・ボッシュシリーズなどがそう。
不幸な生い立ちやベトナム戦争での体験などいろんな背景があって
他人とうまく関係が結べないボッシュは、いわば負のヒーローといえるでしょう。
(そういえば昨年出た『エコー・パーク』もご紹介できていません。
連続殺人事件の謎解きの面白さもさることながら、愛する女性との
不器用な関係の結びかたに、痛みを感じさせられてしまう作品です)
さて、我が国を代表する名シリーズといえば、
大沢在昌さんの「新宿鮫」シリーズをおいてほかにありません。
第一作『新宿鮫』が刊行されたのが1990年9月ですから、
実に20年以上にわたって売れ続けていることになります。
(そういえば『新宿鮫』には肩掛けタイプのデカい携帯電話なんてのが登場します。
時代を感じますね)
「新宿鮫」の異名を持つ新宿署の鮫島警部を主人公とした本シリーズは、
キャリア制度から落ちこぼれ、たとえ組織の嫌われものになろうとも
己の生き方を変えない鮫島のハードボイルドな人物造形と、
恋人のロックミュージシャン晶、署内で「マンジュウ(死体)」と
揶揄されながら密かに鮫島を助ける桃井警部、変わり者鑑識官の薮ら、
魅力的な登場人物たちによって、ミステリー界を代表する人気シリーズとなりました。
20年も続いていると、さすがにいろいろなことがあって、
4作目の『無間人形』では直木賞受賞というエポックな出来事がありましたし
(これはシリーズものの一冊が賞をとるという珍しいケースとなりました)、
ストーリーの面でも、
6作目の『氷舞』では、初めて鮫島が晶以外の女性に心を動かしたり、
7作目の『灰夜』では、初めて新宿以外の場所が舞台となったり、
8作目の『風化水脈』では一転、新宿の歴史が物語の主役になるなど、
作品ごとにさまざまに切り口を変えながら続いてきました。
そして今年、前作から5年ぶりに発表されたのが、
『絆回廊 新宿鮫Ⅹ』(光文社)です。
シリーズ10作目。21年目突入の年に出た記念すべき新作です。
とはいえ、最初にこの新作を手に取ったときはちょっぴり不安でした。
シリーズも9作を数えてなんとなく安定路線に入りつつあったし、
「いろんなことをやり尽して、さすがにもうマンネリなんじゃ……」
そう思ったのです。
でも嬉しいことにその心配は杞憂でした。
結論から申し上げましょう。
この『絆回廊』は、新宿鮫シリーズの最高傑作であると断言します!!
物語は鮫島がクスリの売人の取引現場をおさえたことに端を発します。
売人は見逃してもらうかわりにネタを提供するといい、
警官を殺すために拳銃を手に入れようとしている男がいる、といいます。
しかも男は誰か特定の警官への復讐を考えているようだったというのです。
男が口にしたという、現在は解散した組の名前だけを手掛かりに、
たったひとりで捜査を始める鮫島。
やがて鮫島は特殊な中国人犯罪集団の存在を突き止めるのでした……。
ネタバレになるのであまり詳しく書けないのですが、
この『絆回廊』をもってして「シリーズ最高傑作」とする理由は、
鮫島にこれ以上はあり得ないというくらいの試練が課されるからです。
シリーズもめでたく10作目。
しかも読者から絶大な人気を博しているとなれば、
マンネリをむしろ歓迎して、ただひたすらに読者が喜びそうな物語だけを提供して
安定を図るというやりかたもあったはず。
でも、作者の大沢在昌さんのとった選択肢は違いました。
鮫島から大切なものを奪って絶望の淵に叩き込むという、
これまでのシリーズの流れを断ち切るような方向に踏み出したのです。
これには驚きました。
この先、新宿鮫シリーズはどうなってしまうのだろう?
おそらく、作者にもこの先の展開はみえていないはずです。
にもかかわらず、ここで鮫島にあえて十字架を背負わすというのは……。
『ミステリーの書き方』日本推理作家協会編著(幻冬舎)は、
現役作家が惜しげもなく執筆の極意を披露したたいへん面白い一冊なのですが、
この中で大沢在昌さんがまさに「シリーズの書き方」について答えています。
大沢さんは小説をシリーズ化する場合のポイントについてこんなふうに話しています。
「小説のかたちを変えるということです。最初に言っておかないといけないのは、
小説を書くとき、とくにシリーズものはそうなんですが、僕はまず『かたち』を
考えるんですよ。今度はどんなかたちの小説にしようかと」
なるほど。
たしかに『絆回廊』は、これまでのどの「新宿鮫」とも違うかたちの小説です。
なにしろシリーズを通じて当たり前のように存在していた大切なものを、
鮫島の手から奪い取ってしまうのですから——。
20年にわたって走り続けてきた物語を
さらに加速させるために作者がとった手法は、
これまで積み重ねてきたものを壊すことでした。
この肚の据わりかた。
面白い小説を書くためなら、これまでのキャリアなんぞ
捨て去ってもいいのだという作者の声が聞こえてくるようです。
作者自身を追い込みかねない、
より緊張感のある展開へと舵をきったことで、
安定路線に傾きつつあった物語は見事に息を吹き返しました。
後に振り返ったときに、
『絆回廊』は、新宿鮫シリーズのリスタートを告げた
記念碑的作品であるといわれることになるでしょう。
でも……はたして鮫島は立ち直れるんだろうか。
いまからそんなことを心配しつつ、
次回作から幕を開けるであろう
シリーズの第2ステージがいまから楽しみでなりません。
投稿者 yomehon : 2011年08月16日 22:28