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2011年08月03日
『FBI美術捜査官』は犯罪ノンフィクションの大傑作だ!!
2007年マイアミ。
ビーチに向かうスカイラインを1台のロールスロイスが疾駆していた。
防弾ガラスを入れ、装甲を施された車のトランクには、
ドガ、ダリ、クリムト、オキーフ、スーティン、シャガールの名作が
無造作に積まれている。絵はいずれも盗品だ。
車に乗っているのは、暗黒街にコネクションを持つ2人のフランス人と、
アメリカ人の美術商。
マリーナに着いた3人は、豪華な白いヨットに乗り込み、
たっぷり1時間のクルーズに出かける。
デッキには冷えたシャンパンやフルーツが用意され、
ビキニ姿のブロンドの美女たちが待っていた。
いや、待っていたのは美女だけではない。
コロンビアの麻薬ディーラーとその取り巻きたちも彼らを待っていた。
マイアミ湾の上で、これから盗品絵画の売買が始まろうとしていた――。
まるでハリウッド映画のようなシーンですが、
これは映画なんかではなく、実際にあった出来事。
しかも2人のフランス人を除く全員が、FBIの潜入工作員というから驚きます。
そう、ブロンドの美女も、コロンビアの麻薬ディーラーとその手下も、
ヨットの船長も、給仕も、アメリカ人の美術商も、すべてFBIの捜査員。
冒頭のシーンは、
盗まれた絵画を取り戻すために仕組まれた囮捜査の一環だったのです。
『FBI美術捜査官 奪われた絵画を追え』(柏書房)は、
美術館や博物館から忽然と姿を消した歴史的傑作を取り戻すために、
長年にわたって命がけの潜入捜査を行ってきたFBIの名物捜査官の回想録。
いやーもう、書店で手に取った瞬間から、
面白そうなニオイがプンプンしていたのですが、
案の定、読み始めたら個々のエピソードのあまりの面白さに
ページを捲る手が止まらず、そのまま徹夜で読み切ってしまいました。
この本の著者は、ロバート・K.ウィットマン。
アメリカ人の父と日本人の母を持つハーフで、
FBI特別捜査官として美術犯罪チームの創設に尽力した凄腕の美術探偵です。
冒頭のマイアミビーチでの囮捜査で
彼がなりすましていたのが「ボブ・クレイ」と名乗るアメリカ人美術商。
そして、この囮捜査は、
合衆国史上最大の窃盗事件といわれる未解決事件を解決するための
ほんの前哨戦にすぎなかったのです。
合衆国史上最大の窃盗事件――。
その事件が起きたのは1990年3月、霧の夜のボストンでした。
分子生物学者・福岡伸一さんの傑作科学エッセイ
『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)にこんな場面がでてきます。
福岡さんは当時、
ハーバード大学医学部の研究員として
新しいタンパク質を発見するために日夜実験を繰り返していました。
世界中に競争相手がいて、
いつ第一発見者の座をとられるかわからないプレッシャーの毎日。
ある朝、研究室に出勤した福岡さんは、同僚の研究者に
「シンイチ、知っているかい。とられちゃったんだよ」
と言われ、一瞬、言葉を失います。
よくよく説明を聞いて、ようやく福岡さんは、
とられたのは自分たちが探し求めているものではなく、
ハーバード大医学部からほんの数ブロック離れた
イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館に飾られていた
名画だということに気がつくのです。
この時、盗まれたのは、
フェルメールの名画『合奏』やレンブラント唯一の海景画や自画像、
ドガの素描などで、被害総額は5億ドル。
500万ドルの懸賞金がかけられるも、いまだ事件は解決に至っていません。
「ガードナー事件」といわれるこの未解決事件との対決が描かれた
「第四部 オペレーション・マスターピース」が本書のクライマックスですが、
ぼくがもっとも惹きこまれたのは、著者が手掛けた数々の事件を振り返る
「第三部 作品群」でした。
著者が取り戻したのは、ヨーロッパの名画だけにとどまらず、
ノーマン・ロックウェルの絵画や南北戦争の連隊旗、
ジェロニモの頭飾りや権利章典の写本、
パール・バックの『大地』の原稿にいたるまで、実に多岐にわたります。
どのエピソードをとってもハズレなしの面白さなうえに、
どれもそれだけで映画が1本撮れそうなくらい内容が濃い。
もう、寝食を忘れて夢中で読んでしまいました。
また、個別エピソードが群を抜いて面白いのもさることながら、
もうひとつ、本書を読み応えのある作品たらしめているのが、
著者ロバート・K.ウィットマンその人の半生だということも忘れてはいけません。
人種差別を受けた少年時代、
FBI捜査官に憧れながら回り道をした青年時代、
念願のFBI捜査官になった著者を襲った大きな挫折、
硬直化した組織との軋轢などなど、
本書で語られる著者の半生が実に読ませるのです。
この人の語り口の上手さは天性のものなのでしょう。
おかげで、本の中で主人公をはじめとする登場人物たちは、
どれもあたたかい血の通ったキャラクターとして僕らの前に立ち現れます。
この手の特殊な職業に従事した人の本は、
往々にしてトリビア的な内容に偏りがちですが、
この本は、そうした著者の語り口の上手さもあって、
数々の人間ドラマがぎゅっと詰まった一冊にも仕上がっているのです。
とかく殺人事件や麻薬事件に比べて軽視されがちな
美術品の盗難事件について、著者は次のようにいいます。
「美術品泥棒はその美しい物体だけではなく、
その記憶とアイデンティティをも盗む。歴史を盗む」
「われわれの仕事は歴史の一片、過去からのメッセージを守ることにある」
事件が解決したことを華々しく発表する記者会見の模様を、
潜入捜査員の著者は、いつもカメラに映らない位置からそっと見つめていました。
その姿に古の侍のイメージを重ねてしまうのはぼくだけでしょうか。
著者は日本版刊行にあたって、
巻末に「日本のみなさんへ」と題した一文を寄せています。
日米のハーフの著者ならではの思いが綴られたこの短い文章も心に残ります。
頭から尻尾までぎっしりアンコが詰まった『FBI美術捜査官』。
ぜひとも手にとっていただきたい一冊です。
投稿者 yomehon : 2011年08月03日 01:54