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2011年07月04日

きずついた つばさを なおすには


3月11日のあの日から今日まで、ただひたすらに本を読んでいました。
義援金を寄付したり、被災した友人へ支援物資を送ったりといった
すぐにでもやらなければならないひと通りのことはやり終え、
まだ何か自分に出来ることはないだろうかと考えた時に、残されていたのは、
あの日に起きたことをもっともっと深く知るために本を読むことだけでした。

津波で破壊された地域はどんな歴史を持っているのか。
人々はそこでどんな暮らしを営んできたのか――。

そんなことを切実に知りたくなって、ぼくは本を読み始めました。

気仙沼の漁師、畠山重篤さんの名エッセイ『森は海の恋人』には、
三陸のリアス式海岸がどれほど豊かな恵みを人々にもたらしていたかを教えられ、
でも一方で、その豊かな自然が時に牙をむき、人々を苦しめてきたことも
吉村昭さんの『三陸海岸大津波』などに教えられました。

梅原猛さんの『日本の深層』や、網野善彦さんの『東と西の語る日本の歴史』、
赤坂憲雄さんの『東北学/忘れられた東北』などには、大和朝廷に支配される前に
この日本列島の文化的な中心をなしていたのは、まさに東北の地であったことを
教えてもらいました。
津波に家々が流される映像をみて、まるで自分の故郷が蹂躙されているかのような
怒りをおぼえたのは、たぶんぼくのDNAに、はるか昔の原日本とでもいうべき時代の
記憶が残っているからではないかと思いました。

ともかく、読めば読むほどに痛感させられたのは、
自分がいかに被災地のことを知らなかったかということです。
この数カ月に手に取った本はどれも読んでいただきたいものばかりなので、
折をみてこの場でご紹介していこうと思いますが、きょうは一冊だけ、
みなさんにぜひおススメしたい本があります。

『きずついたつばさをなおすには』ボブ・グラハム作 まつかわまゆみ訳(評論社)は、
3・11以来、ぼくが心の片隅に置いている一冊です。

この絵本のストーリーはとても単純です。

都会の高層ビルの窓につばさをぶつけた一羽の鳥が地上へとおちてきます。

けれど街を行き交う人々は誰も気がつきません。
つばさを痛め、アスファルトに横たわる鳥のそばをたくさんの人が通り過ぎます。

そんな中、地下鉄から母親と手をつないで出てきたウィルという小さな男のだけが
傷ついた鳥に気がつきます。

ウィルは鳥を大切に抱いて家に連れ帰って両親といっしょに看病をはじめます。


「とれた はねは もどらないけど・・・・・・」
「きずついた つばさは なおるかも」


いくつもの夜と朝を迎えて、ずいぶんとときがたった頃、
窓の外を鳥がじっと眺めていることに一家は気がつきます。
それはまるで窓から希望の光が差し込んできたような光景でした。


「鳥は とべるかもしれない」


ウィルと両親は、以前鳥がおちてきた場所に足を運びます。

そしてウィルが両手を広げたら、
鳥は力強く羽ばたいて空高く飛び去っていったのです。


たったこれだけのお話。
でもたったこれだけなのにもかかわらず、読んだ後には深い余韻が残ります。


いまぼくには被災地の人たちを明るく励ますことはできません。
彼の地について書かれた本を読めば読むほど、
何も知らないまま軽々しくポジティブな言葉を口にすることがはばかられるからです。

でもそのかわりにぼくはこの本のウィルのようでありたいと願います。

つばさが傷ついているにもかかわらず、誰にも気がついてもらえない。
もしそういう人がいたとしたら、ぼくは傍らを通り過ぎるのではなく、
ウィルのように立ち止まり声をかけられるような人間でありたいと思います。

ずいぶんと綺麗事を言っているように思われるかもしれませんね。
でも、すぐれた本は、こんなふうに読んだ人間の背中を押す力を持っているもの。
それも今回の震災を経てあらためて痛感したことです。

これからもみなさんの心に届くような本をご紹介してまいります。

というわけで、しばらくお休みしていたブログを再開します。


投稿者 yomehon : 2011年07月04日 01:59