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2011年07月31日

上半期のエンターテインメントの収穫 『ジェノサイド』


先日惜しくも直木賞を逃した
高野和明さんの『ジェノサイド』(角川書店)ですが、
『本の雑誌』8月号ではめでたく
上半期エンターテイメントのベスト1に選ばれました。

とはいえ『本の雑誌』のランキングは、
ゆる~い雰囲気の座談会で選ばれるので
(まぁ、そこがいいんですけど)、
なし崩し的に1位になった感も否めませんが、
個人的には「よくぞ選んでくれた」と納得のベスト1です。

この小説のなにがすごいって、
ともかくスケールが大きいのです。
ざっとストーリーをご紹介すると・・・・・・


大学院で創薬化学を専攻している古賀研人のもとに、
ある日死んだ父親からのメールが届きます。
ウィルス学者だった父親から送られてきたメールには、
「アイスキャンディで汚した本を開け」
という奇妙な指令が書かれていました。

このメールが発端となり、
研人は父親が行っていた謎の研究を引き継ぐことになります。
どうやら父親は新しい薬をつくろうとしていたようなのです。
しかもその薬の完成までにはタイムリミットが設けられていました。


一方、アメリカでは、
イラクでの任務を終え帰国したばかりの
特殊部隊出身の傭兵、ジョナサン・イエ―ガーに、
新しい極秘任務の話がもたらされていました。

任務の詳細は不明。
ただしギャラは破格。
事前に明かされたのは、
「人類全体に奉仕する仕事」ということだけ。

イエ―ガーは、難病で苦しむひとり息子の治療費を稼ぐため、
依頼を引き受けます。

やがてアフリカに飛んだイエ―ガーらに明かされた任務は、
コンゴ共和国のジャングルに侵入し、
あるアメリカ人と彼が潜む部族のキャンプを殲滅せよ、
というものでした。

「ガーディアン作戦」と名付けられたその極秘任務には、
奇妙なことに、
「もし任務遂行中に、見たことがない生物に遭遇したら、真っ先に殺せ」
という謎めいた指令が付け加えられていました。

父の遺志を継ぎ手探りで新しい薬をつくりはじめた研人と、
ひとり息子を救うために危険なジャングルへと足を踏み入れるイエ―ガー。

本来、交わるはずのないふたりの人生は、
やがて思いもよらないかたちで交錯することになります。

ふたりの人生がクロスするとき、
人類の未来を賭けた壮絶な戦いの幕が切って落とされるのでした――。


と、こんなふうにストーリーをまとめてみましたが、
これだけでも物語のほんの入り口に過ぎません。

しかもこの先の展開を予測できる人はおそらく誰もいないでしょう。
それくらい壮大で、衝撃的で、かつ驚愕のストーリー展開が待っていますので、
ぜひとも、本を手にとって体感してください。

SFとしての面白さだけでなく、
冒険小説や国際謀略小説の要素も詰まっていますし、
ウィルス学や人類学、進化論などの
知見も散りばめられて知的興奮を覚えるうえに、
「ヒトはなぜ争うのか」という深遠なテーマも抱合している。
そして読み終えた後は、人類の未来について深く考えさせられる。

こんな素晴らしい娯楽作品はそうそうありません。
ひさしぶりに直球ド真ん中の(それも160キロを超える豪速球の)
エンターテインメント小説を読んだ満足感に浸れること請け合いです。


さて、実際に読んでいただいた方は、
おそらくこの作品のキーワードである
「人類の進化」について考えてみたくなることでしょう。
最後にそっち方面の参考図書もいくつかあげておきます。

現生人類は「かしこい人」を意味する
「ホモ・サピエンス」と呼ばれています。
にもかかわらず大昔から争いごとを繰り返していて、
実際にはちっとも「かしこく」なんかありません。

暴力とはなにか。
人間の持つ攻撃性はどこからきているのか。
その謎にサルの研究から迫ったのが
『暴力はどこからきたか 人間性の起源を探る』山極寿一(NHKブックス)です。
人類は霊長類として進化する過程で暴力を獲得し、
またそれだけではなく、
争いごとを解決するための社会性も同時に手に入れてきたことがわかります。

この他、人類の進化のミステリーを堪能したい人には、
『ホモ・フロレシエンシス 1万21千年前に消えた人類』(NHKブックス)もオススメ。

2004年に科学誌「ネイチャー」に発表された論文が世界を驚かせました。
インドネシアの孤島、フローレス島で、新種の人類の化石が発見されたのです。

なにが世界を驚かせたか。
この人類は、90センチほどの身長で脳の容量がチンパンジー並みながら、
火を使い、石器を操り、狩りをして暮らしていたというのです。

これまでの人類学の常識では、
「人間らしさ」を示す主な特徴として、

①手を自由にした直立2足歩行の確立
②食性に対応する咀嚼器官の変化
③文化を生み出す大脳の拡大

の3つが必須だったらしいのですが、
木にも登り、脳も小さい新種の人類化石の発見は、
従来の「ヒトがヒトである条件」に根本的な見直しを迫るものでした。

さらに驚くべきことは、
彼らがわずか1万2千年前まで地球上に存在していたということです。
1万2千年前といえば日本では縄文時代。
縄文時代にわれわれとは別の人類が存在していたという事実は、
「人類には別の進化の可能性もあったのではないか」
「いまぼくらが人類として生き残っているのは、たまたまではないか」
という想像をもたらします。

以上の本は『ジェノサイド』の世界ともどこかでつながっていますので、
こちらもぜひ手に取ってみてください。


投稿者 yomehon : 23:55

2011年07月20日

祝 直木賞受賞! 『下町ロケット』


まず、最初に謝っておきます。

「ごめんなさい!このたびは大変申し訳ございませんでした」

第145回直木賞の予想、今回は大きく外してしまいました。
せっかく『下町ロケット』の名前をあげながら、迷いに迷って最後の最後に
『恋しぐれ』『ジェノサイド』の同時受賞を予想してしまうという展開は、
決定力の弱さというか勝負事での弱さをさらけだしてしまったようで
恥ずかしい限りです。

ただ、池井戸潤さんの記者会見のやりとりをみると、
山本周五郎賞で落選していたために、
ご本人もまさか受賞するとは思っていなかったみたいですね。
ぼくも同じ理由で受賞はないと読んでいただけに、今回の受賞にはびっくりしました。

おそらく選考委員の頭には、東北大震災のことがあったのではないかと思います。

ぼくはあの震災の後、しばらく小説が読めなくなりました。
人間の想像力を遥かに超えるあれだけの惨事を目にしてしまうと、
圧倒的な現実の前にただ立ちすくむしかなくて、とてもじゃありませんが、
そんな時に作家が頭の中でこしらえた程度の物語なんて
読んでる場合じゃないという感じになってしまったのです。

でも、震災から少しずつ時間がたつにつれて、徐々にではありますが、
小説の出番が増えてきたのではないかと思うようになりました。

いまにも生命が危険にさらされているような場面では
小説に出来ることなんてまったくありませんが、
ひとまず危険が去って、人々がようやく腰を上げ始めたようなタイミングに
その背中を押す役割は、小説をはじめとするフィクションにこそ可能だと思うのです。

『下町ロケット』はまさにそのような力を持った小説です。


東京の大田区といえば、
すぐれた技術力を持つ中小企業が集まる地域として知られていますが、
この地に社屋をかまえる佃製作所が物語の舞台です。
資本金3千万円、従業員200人を抱える佃製作所は、
エンジンやその周辺のデバイスを手掛ける精密機械製造業の会社です。

社長の佃航平は、かつて宇宙開発機構でロケット開発に従事していましたが、
自らが設計したエンジンバルブシステムの不調による打ち上げ失敗の責任をとって
研究職を辞め、いまは家業を継いで佃製作所の社長をつとめています。

ことエンジンに関する技術とノウハウでは大企業をも凌ぐという評判の
佃製作所ではありますが、そこはしがない中小企業。

取引額が総売り上げの10%を占めるような大口取引先から
いきなり来月からの取引停止を告げられても文句は言えず、
長年の信頼関係にある(と思っていた)銀行に融資を冷たく断られて傷つき、
あげくのはてには大手企業から特許を侵害されたといちゃもんをつけられ
90億円にものぼる損害賠償訴訟をおこされ右往左往・・・・・・。

このままいけば会社は遠からず行き詰まってしまう。
そんな八方ふさがりの日々を送っています。


でも、どんなに困難な状況にあっても、最後はかならず、
自分たちの技術力を信じて壁を乗り越えていくのです。
この物語の随所にそんな前向きな言葉があふれています。


「キーテクノロジーを我々は押さえている。その強みを利用しないでどうする」

「カネの問題じゃない」
「これはエンジンメーカーとしての夢とプライドの問題だ」

「穴を開ける、削る、研磨する――技術がいくら進歩しても、
それがモノ作りの基本だと思う」

「町工場だと思って舐めんなよ」


この物語全編にみなぎる「あきらめない」という意志や
「なにがなんでもやりぬくんだ」という不屈の精神は、
震災後の社会にもっとも必要とされているものではないでしょうか。

毎週毎週、読者の興味を惹かなければならない
週刊誌連載がもとになっているということもあって、
ストーリーは起伏に富んでいて飽きさせませんが、
欲をいえばちょっと立ち止まって
人物像を掘り下げてほしい場面もありました。
(特に凄腕弁護士の神山や、航平の別れた女房の沙耶などは
もっと書き込んで欲しかったと思います)

でもそんなことは瑣末なことです。
大切なのは、この『下町ロケット』がいまこそ読まれるべき小説だということ。

なでしこJAPANの活躍にぼくらが勇気づけられたように、
この『下町ロケット』もきっとあなたに元気を与えてくれるはずです。

投稿者 yomehon : 01:28

2011年07月12日

 第145回直木賞直前予想!


夏の本格的な到来と歩をあわせるかのように
今年も直木賞のシーズンがやってまいりました!
第145回(平成23年度上半期)の直木賞の選考会は7月14日(木)。
というわけで、さっそく恒例の受賞作予想とまいりましょう。

今回の候補作は以下のとおりです。

『下町ロケット』池井戸潤(小学館)

『アンダスタンド・メイビー』島本理生(中央公論新社)

『オーダーメイド殺人クラブ』辻村深月(集英社) 
※辻村の「つじ」は正しくは二点しんにょうの表記です。

『ジェノサイド』高野和明(角川書店)

『恋しぐれ』葉室麟(文藝春秋)


池井戸さんが3回目、葉室さんが4回目の候補入りで、そろそろ、という気もします。
辻さんは2回目、島本さんは芥川賞でこれまで3回候補になっているものの
直木賞は初めて。初エントリーは高野さんのみです。

ざっと内容をご紹介すると、

『下町ロケット』は、高い技術力を持った大田区の中小部品メーカーが、
契約切りや知財をめぐる訴訟などといった大企業からの嫌がらせに屈することなく、
やがて国産ロケットに部品を供給するに至るまでを描いた作品。

作者は建設業界の談合を題材にした『鉄の骨』
吉川英治文学新人賞を受賞するなど、着実に階段をのぼってきている作家です。
この『下町ロケット』は、読むと心が奮い立つというか、
震災を経験したいまだからこそ、たくさんの人に読んでいただきたい一冊。


『アンダスタンド・メイビー』は、作家生活10年をきっかけに書き下ろされた作品。
幼馴染の男性との関係を軸にしながら、ひとりの少女の成長が描かれます。
主人公の女性が男性とうまく関係を結べないところがポイント。
ネタばらしになるからあまり言えないのですが、
そういう主人公の男性関係に親との関係が影を落としていることがわかり、
主人公は初めて自分の過去と向き合うことになります。
そして見えてきた真相とは・・・・・

さすが作家生活10年を記念しただけのことはある力作です。
ただ、上下巻という形態自体は選考会でネックになるかもしれません。
(これまで上下巻刊行の作品が受賞したケースがあまり記憶にないため)

特に主人公の中学高校時代を描いた上巻は、
もう少し刈込めたのではないかと思いますし、
物語が長い割に、あっと驚くような展開もないので、
なんだか全体的にもったいない感じがします。


『オーダーメイド殺人クラブ』は、
世間の記憶に残るような衝撃的な方法で殺されたいと願う
中学生の少女を主人公にした作品。
思春期の少女の不安定な心のありようが見事に描かれた佳作です。

別作品でありますが、作者は今年吉川英治新人文学賞を受賞したばかりで、
同じ年に直木賞まで獲得するかなというのは少々ギモンが残るところ。
選考委員は「もう少しこの人の作品をみてみたい」とかいって、
今回は選ばないような気がするのはぼくだけでしょうか。


『ジェノサイド』は候補作の中でもっとも骨太なテーマと格闘した作品。
亡くなったウイルス学者の父が息子に託した謎のメッセージ。
そしてある傭兵に課せられたアフリカ奥地での暗殺指令。
このふたつが、「進化」をテーマに結びつく構成はお見事。
年末のミステリーのランキングでも上位にランクインすること間違いなし、
今年のエンターテイメントの収穫といえる一作です。


『恋しぐれ』は、江戸期の画家・俳人の与謝蕪村を主人公に、
彼を取り巻く弟子や友人たちとの交わりを丁寧に描いた連作短編集。

同じ俳人でも、松尾芭蕉や小林一茶、尾崎方哉などは
狂気を内に抱え込んだ表現者という感じがするのですが、
蕪村といえば、京の都にのんびり暮らしながら、絵を描いたり
俳句を詠んだりしていた優雅な人、というイメージしかありませんでした。
でもこの小説における蕪村は、ちゃんと表現者としての業も抱えた
魅力的な人物として描かれていて、とても好感が持てました。

ひとつひとつの短編には特にインパクトはありませんが、ただただ「巧い」。
衝撃はないけれど、物語職人としての安定感は抜群。
直木賞がひとつ好みそうな傾向の作品であることは確かです。


さて、ざっと見てまいりましたが、今回の予想は・・・・・・うーん、難しい。
文句なし、ダントツのトップがいない、団子レースという感じは否めません。
そんな中、なんとか予想をひねり出すとすると・・・・・・、

今回はまず、葉室麟さんが受賞をするのではないでしょうか。
候補になった回数からみてもそろそろでしょうし、
『恋しぐれ』には、これといった欠点も見当たりません。
「欠点がないのが欠点」という人もいるかもしれませんが、
誰もが安心して読める上質な物語、という意味では、
社会的影響も大きい直木賞にふさわしい作品といえるでしょう。


そして、そして――、今回はもう一作、同時受賞するのでないかと思うのです。
池井戸潤さんか高野和明さんか・・・・・・どちらだろう・・・・・・。

池井戸さんの『下町ロケット』は電車の中で思わず涙した作品です。
ひと言でいえば、「あきらめなければ夢はかなう」的な物語。
震災後はこういうストレートに心に届く物語が待ち望まれている気がします。
ただ、この作品で気になるのは、山本周五郎賞の候補になり落選していること。
直木賞の老舗文学賞としてのプライドの高さを考えると、
山本周五郎賞落選作が直木賞をとるという展開は・・・・・・うーんどうだろう。

かたや高野和明さんは、
江戸川乱歩賞受賞作『13階段』でデビューして以来、
寡作ながらも、着実に面白い小説を世に送り出している作家です。

聞くところによれば、作者は『ジェノサイド』の構想を
25年間もあたため続けていたのだとか。物語のスケール感といい、
あっと驚く真相といい、構想25年にも納得の仕上がりです。

エンターテイメント作品としては今年最大の収穫ですし、作品の射程が広く、
「人類とは何か」を考えさせるところまで届いていることを考えると、
もう一作にはこの『ジェノサイド』を推したい気がします。


といわけで、第145回直木賞、
当ブログの予想は、

高野和明さん『ジェノサイド』
葉室麟さん『恋しぐれ』
の二作同時受賞です。

投稿者 yomehon : 13:00

2011年07月10日

プロ野球二軍監督


みなさんは所沢の西武ドームに行ったことはありますか?
「自然共存型スタジアム」を謳っているだけあって、
狭山丘陵の豊かな緑にステンレスのお皿をさかさまにしたような
ユニークな形状のドームがよく映える西武ドームは、
家族でのびのびと野球観戦をするにはうってつけの球場といえます。

ところで、この西武ドームの敷地内に、
二軍選手が暮らす合宿所「若獅寮」があることはご存知でしょうか。

中村剛也選手の豪快なホームランや
涌井秀章投手が奪う三振にぼくらが歓声をあげているとき、
二軍選手たちは、ドームの目と鼻の先の寮の一室で、
華やかな歓声にじっと耳を傾けているのです。
いつかあのきらびやかなカクテル光線の中でプレーすることを夢見て・・・・・・。


『プロ野球二軍監督 男たちの誇り』赤坂英一(講談社)は、
ファームで奮闘する選手たちと、彼らを懸命に後押しする指導者たちの
人間ドラマを描いた出色のスポーツノンフィクションです。

この一冊は、こんな印象的なシーンから幕を開けます。

2010年の札幌ドームで行われた
北海道日本ハムファイターズと読売巨人軍の交流戦の試合前、
巨人の坂本勇人選手がひとりの選手のもとに駆け寄り、頭を下げて挨拶をしました。
そのまま親しそうに話し込む光景は記者たちの注目を集め、
いったいどういう縁があったのかと周囲の興味をかきたてたといいます。

坂本選手が挨拶していたのは、ファイターズの尾崎匡哉(まさや)選手。
坂本選手と同郷の兵庫県伊丹市出身で、報徳学園3年の2002年夏には
ショートを守り、甲子園でバックスクリーンに先頭打者ホームランを放ちました。
このときのホームランを、当時中学生だった坂本選手はきのうのことのように
おぼえているといいます。尾崎選手は坂本少年の憧れの選手だったのです。

けれどもプロ入り後に尾崎選手と坂本選手が歩んだ道は対照的でした。

2001年に光星学院からドラフト1位で巨人入りした坂本選手は、
早くも2年目から1番ショートに定着。いまや押しも押されもせぬスター選手です。

一方、走攻守を兼ね備えた超高校級の大型内野手として
プロ入り前の評価はむしろ坂本選手よりはるかに高かった尾崎選手は、
02年のドラフト1位で入団したものの伸び悩み、いまは内野手ではなく、
捕手に転向して活路を見出そうとしています。


たとえ甲子園で大活躍したような選手でも一軍では活躍できるとはかぎらない。
毎年のように戦力外通告を受け去っていく選手がいる厳しく、残酷な世界。
それがプロ野球です。

でもそんな過酷な環境でも、選手に手を差し伸べてくれる人々がいます。
それが二軍監督です。

たとえば、才能の片鱗はみせながらなかなか芽が出ない尾崎選手をなんとかしようと
キャッチャーへの転向を命じたのは、当時二軍監督だった水上善雄さんでした。

水上善雄といえば、オールドファンには懐かしい名前ではないでしょうか。
かつてはロッテの名ショートとして一世を風靡した選手です。
でもそんな水上さんも、引退後は魚河岸やコインパーキングで働くなど
苦労を重ね、プロ野球とはかけ離れた生活をしていたところを、
当時ファイターズのGMに就任していた高田繁さんに声をかけられました。
「二軍は人間教育の場でもある」という考えを持つ高田さんに
白羽の矢を立てられ、再びプロ野球の世界に戻ってきたのです。

さまざまな人生経験を重ねてきた苦労人だからこそ、
なかなか一軍に上がれずもがいている選手への指導にも熱が入ります。

「やられたらやり返せ!」

水上さんは事あるごとに選手たちにそう言い聞かせました。

プロの世界はやるか、やられるか。
その自覚がない選手はやがてグラウンドを去ることになる。
そういう目に遭った人間たちを自分は何人もみてきた・・・・・・。

厳しい言葉の裏には、いざ引退して世の中に出てみたら、
自分が何もできないことに気がついて愕然としたという、
水上さん自身の人生経験からくる思いが込められています。

プロ野球選手にとっては、選手であり続けることが最も幸せなこと。
だからこそ長く選手を続けられるように自覚を強く持て、という親心なのでしょう。
(そんな水上さんの公私にわたる徹底した指導で、今年見違えるような
プレーや言動をみせている選手が、ファイターズの新しい4番、
中田翔選手なのですが、その指導ぶりはぜひ本書でお読みください)


この本を読んでいると、プロ野球の世界には、
いまどき珍しいくらいに泥臭い人間ドラマが息づいていることがわかります。

読売新聞の記者から巨人の球団代表に転身した清武英利さんは、
『こんな言葉で叱られたい』(文春新書)の中で、プロ野球界に身を投じた当初、
監督やコーチ、先輩選手たちに言葉をかけられた一流選手たちが、
球場の隅でしばしば涙を流すのを見て、不思議に思ったと書いています。

「東大入学よりもはるかに厳しい競争を勝ち抜いてきたエリート」である
一流選手たちが、人目もはばからず涙を流すのはなぜか。
清武さんはやがて、優れた野球人には長く厳しい体験に裏打ちされた
「叱る力」とでもいうべき言葉の力が備わっているということに気がつくのです


『プロ野球二軍監督』には、清武さんが「叱る力」と呼んだ技術を持っている
優れた指導者が多数登場します。

たとえば、赤ゴジラこと嶋重宣を覚醒させた
山崎立翔(りゅうぞう)広島東洋カープ二軍監督は、
指導者に大切なのは選手の一瞬の目の輝きを見逃さないことだと言います。


「練習中の言葉や動きだけじゃ、本当に進歩しているかどうかはなかなか
わかりません。でも、その選手が、あっ、いい感じだとか、何かが変わったとか、
新しい感覚に気づいたときは、うれしさや喜びが目の光に表れるんですよ。
目つきが変わるというかね。ほんの一瞬です。その一瞬を見逃しちゃいけない。
そういう光を見つけるのが、ぼくにとってのたまらない快感なんですね。
それが楽しくて指導者をやっていると言ってもいい」


一瞬の目の輝きを捉えて、そこで初めて相手の心に届くアドバイスをする――。
すごい指導者だと思います。一般企業ではちょっと考えられないというか、
そもそも部下をこんなふうにみている上司なんていないんじゃないでしょうか。
こういう指導者に野球を教わることができる選手は本当に幸せだと思います。


ぼくらプロ野球ファンは、選手の超一流のプレーに大いに興奮させられ、
惜しみない拍手をおくりますが、この『プロ野球二軍監督』を読むと、
そのような華やかなスポットライトがあてられた一軍のプレーは、
例えて言うなら富士山の頂上からみる絶景のようなものではないかと思わされます。

頂点に立つことができる選手はもちろん凄いけれど、
その凄さを支えているのは、
二軍という広大な裾野なのではないでしょうか。
そんなことに気づかせてくれる一冊です。

今シーズンもまもなく折り返し点に差しかかろうとしています。
読めばプロ野球への見方が一段と深まるこの一冊、
後半戦のスタート前にぜひお読みになってみてはいかがでしょうか。


追記:
昨年本が出たタイミングでご紹介しそびれたのですが、
『人を見抜く 伝説のスカウト河西俊雄の生涯』 澤宮優(河出書房新社)
プロ野球をめぐる素晴らしいノンフィクションですのでこちらもぜひ!

投稿者 yomehon : 08:14

2011年07月04日

きずついた つばさを なおすには


3月11日のあの日から今日まで、ただひたすらに本を読んでいました。
義援金を寄付したり、被災した友人へ支援物資を送ったりといった
すぐにでもやらなければならないひと通りのことはやり終え、
まだ何か自分に出来ることはないだろうかと考えた時に、残されていたのは、
あの日に起きたことをもっともっと深く知るために本を読むことだけでした。

津波で破壊された地域はどんな歴史を持っているのか。
人々はそこでどんな暮らしを営んできたのか――。

そんなことを切実に知りたくなって、ぼくは本を読み始めました。

気仙沼の漁師、畠山重篤さんの名エッセイ『森は海の恋人』には、
三陸のリアス式海岸がどれほど豊かな恵みを人々にもたらしていたかを教えられ、
でも一方で、その豊かな自然が時に牙をむき、人々を苦しめてきたことも
吉村昭さんの『三陸海岸大津波』などに教えられました。

梅原猛さんの『日本の深層』や、網野善彦さんの『東と西の語る日本の歴史』、
赤坂憲雄さんの『東北学/忘れられた東北』などには、大和朝廷に支配される前に
この日本列島の文化的な中心をなしていたのは、まさに東北の地であったことを
教えてもらいました。
津波に家々が流される映像をみて、まるで自分の故郷が蹂躙されているかのような
怒りをおぼえたのは、たぶんぼくのDNAに、はるか昔の原日本とでもいうべき時代の
記憶が残っているからではないかと思いました。

ともかく、読めば読むほどに痛感させられたのは、
自分がいかに被災地のことを知らなかったかということです。
この数カ月に手に取った本はどれも読んでいただきたいものばかりなので、
折をみてこの場でご紹介していこうと思いますが、きょうは一冊だけ、
みなさんにぜひおススメしたい本があります。

『きずついたつばさをなおすには』ボブ・グラハム作 まつかわまゆみ訳(評論社)は、
3・11以来、ぼくが心の片隅に置いている一冊です。

この絵本のストーリーはとても単純です。

都会の高層ビルの窓につばさをぶつけた一羽の鳥が地上へとおちてきます。

けれど街を行き交う人々は誰も気がつきません。
つばさを痛め、アスファルトに横たわる鳥のそばをたくさんの人が通り過ぎます。

そんな中、地下鉄から母親と手をつないで出てきたウィルという小さな男のだけが
傷ついた鳥に気がつきます。

ウィルは鳥を大切に抱いて家に連れ帰って両親といっしょに看病をはじめます。


「とれた はねは もどらないけど・・・・・・」
「きずついた つばさは なおるかも」


いくつもの夜と朝を迎えて、ずいぶんとときがたった頃、
窓の外を鳥がじっと眺めていることに一家は気がつきます。
それはまるで窓から希望の光が差し込んできたような光景でした。


「鳥は とべるかもしれない」


ウィルと両親は、以前鳥がおちてきた場所に足を運びます。

そしてウィルが両手を広げたら、
鳥は力強く羽ばたいて空高く飛び去っていったのです。


たったこれだけのお話。
でもたったこれだけなのにもかかわらず、読んだ後には深い余韻が残ります。


いまぼくには被災地の人たちを明るく励ますことはできません。
彼の地について書かれた本を読めば読むほど、
何も知らないまま軽々しくポジティブな言葉を口にすることがはばかられるからです。

でもそのかわりにぼくはこの本のウィルのようでありたいと願います。

つばさが傷ついているにもかかわらず、誰にも気がついてもらえない。
もしそういう人がいたとしたら、ぼくは傍らを通り過ぎるのではなく、
ウィルのように立ち止まり声をかけられるような人間でありたいと思います。

ずいぶんと綺麗事を言っているように思われるかもしれませんね。
でも、すぐれた本は、こんなふうに読んだ人間の背中を押す力を持っているもの。
それも今回の震災を経てあらためて痛感したことです。

これからもみなさんの心に届くような本をご紹介してまいります。

というわけで、しばらくお休みしていたブログを再開します。


投稿者 yomehon : 01:59