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2010年07月11日
宇宙飛行士になりたい!!
ちょっとわけあってずいぶんご更新を無沙汰してしまいました。
実はヨメとのあいだで史上最大のバトルが勃発していまい
徹底抗戦を続けてきたのですが、先日ようやく停戦合意が結ばれ、
日常生活に復帰することができたわけです。
それにしてもこの2カ月あまりというもの、
仕事から帰宅するとまっすぐ本の部屋に向かい
バリケードに立てこもるという過酷な日々を送っていました。
いまとなっては紛争のきっかけさえ定かではないのですが
(たぶん世の夫婦喧嘩の多くがそうであるようにささいなことですきっと)
諍いがエスカレートするにつれてヨメの攻撃対象が本へと移っていったものですから
さあ大変。命の次に大切な本を守ろうと自衛権を発動し紛争が長期化したのです。
過酷な闘争の日々にあってもページを捲る手だけは
休めることはありませんでしたが、そんな特殊なストレス環境下にいたせいか
今回はみなさんにぜひこの本をご紹介したいと思うのです。
『ドキュメント宇宙飛行士選抜試験』大鐘良一 小原健右(光文社新書)は、
2008年に日本で10年ぶりに募集された宇宙飛行士選抜試験の一部始終を
史上初めて取材することに成功したNHKの番組スタッフによるドキュメンタリー。
応募総数は史上最多。
けれども、人類にとってもっとも過酷な環境である宇宙空間で活動する
宇宙飛行士を選ぶだけあって、その選抜試験は難関かつ苛烈を極めます。
いったい宇宙空間はどれくらい人間にとって過酷な環境なのでしょうか。
宇宙ステーションの薄い壁の向こうはほとんど真空に近い状態で、
温度も寒暖の差が200度以上にもなります。
宇宙飛行士は放射線に間断なくさらされているだけでなく、
「スペースデブリ」と呼ばれる古い人工衛星の残骸などが
いつ宇宙ステーションに直撃して隔壁に穴を開けないとも限らない
危険とも隣り合わせです(実際、1997年にはロシアの宇宙ステーション「ミール」で
酸素供給装置に不備があり火災が発生するという事故がありました)。
中でも1970年4月に打ち上げられたアポロ13号で発生した事故は、
宇宙飛行士を襲った史上最悪の事態として広く知られています。
酸素タンクが爆発し、酸素も電気も水も新たに供給することができない。
しかも地球に帰還するためには3人の宇宙飛行士が
100時間を宇宙空間で過ごさなければならないにもかかわらず、
二酸化炭素を除去するフィルターは2人分でしかも2日分しかない。
このような絶望的な状況のもと、宇宙飛行士たちは、電力供給が断たれ、
氷点下近くまで温度の下がった船内で、地上からの指示に従って、
ボール紙などのありあわせの材料でフィルターを自作したほか、
地球への再突入にあたっては、地上が新たに作成した手順書を
(読み上げるのに2時間もかかるほど複雑多岐にわたる内容だったそうです)
正確に理解して冷静に実行に移していったのです。
ただでさえ過酷な宇宙空間で、予期せぬトラブルが起き、
しかも想像を超えるような危機的状況に陥ってしまった――。
JAXA(日本宇宙航空研究開発機構)は、
10年ぶりに実施した宇宙飛行士選抜試験で、
このような最悪の事態にも対処できる人間を選ぼうとしていました。
最終選抜試験に残ったのは10人の候補者たち。
男性が9名、女性が1名、年齢は全員が30代ですが、
職業は航空自衛隊や民間航空会社のパイロット、医師、
民間企業の技術者や科学者などバラエティにとんでいます。
彼らにまず課せられたのは、閉鎖環境施設での共同生活でした。
どんなに気心の知れた仲間であっても、宇宙ステーションのような
閉鎖空間での生活が長く続くと、相手のささいな言動や仕草に
ストレスを感じてしまうということが起こりえます。
文化や習慣の違う他国の人間との共同生活ともなればなおのこと。
ロシアの宇宙ステーション「ミール」では、長期滞在に耐えられず仲間と不仲になり、
うつ病になってしまった宇宙飛行士もいるそうですし、実際の宇宙ステーションの
生活には、人間関係だけでなくさまざまなストレス要因があるといいます。
本書で初めて知ったのですが、そのひとつが「音」です。
宇宙ステーションの中はものすごくうるさいらしい。
換気扇や冷却ポンプといった機器類が絶え間なく引き起こす騒音が
船内には充満しているそうです。
もうひとつ、「臭い」もストレスの大きな原因となるそうです。
これも知らなかったのですが、宇宙ステーションやスペースシャトルの中は
ものすごく臭いらしい。長期滞在ともなれば6ヶ月間は風呂に入れないわけですから
当然といえば当然ですが、閉鎖環境下で暮らす人間にとっては他人の体臭が
ストレスの原因となることもじゅうぶんにあり得るわけです。
ともあれ、10人は閉鎖環境施設に入れられ、仲間たちと1週間過ごすことを
余儀なくされます。しかも24時間すべてを監視され、その間の言動のすべてが
評価の対象になるという過酷な状況。
それだけではありません。10人にはさらに15分単位で細かく決められた
スケジュールをこなすという負荷がかけられます。
JAXAはここで、ストレス耐性だけではなく、団体行動の中で
それぞれがどんな力を発揮するかをみようとしていました。
JAXAはこれを「リーダーシップ」(指導力)と
「フォロワーシップ」(リーダーを支援する力)と呼び、
今回の試験でもっとも重要な採用基準としていました。
国際宇宙ステーションでの長期滞在が当たり前となるに伴い、
JAXAでは「船長」となれる人物を育成しようと考えるようになりました。
実際、若田光一さんのように、ロボットアームの操作で世界屈指技量を持ち、
NASAの評価で最高ランクの宇宙飛行士とされるような人物も出てきています。
JAXAでは、他国の宇宙飛行士からもリスペクトされる若田さんのように、
「船長」になれる可能性を秘めた人間を今回の試験で発掘しようとしていたのです。
試験はその後、「空飛ぶ車を売れ」という架空の課題に向かって
10人で一丸となる必要のある課題が出されたり、規定時間内で千羽鶴を折らされたり、
2チームに分かれてロボットを作らされたりします。しかも国内の試験の後は
渡米してNASAでの面接が待っているのですが、そのあたりの詳しいプロセスは、
ぜひ本を手にとってお読みください。JAXAはもとより、NASAも宇宙飛行士の
試験を公開するのは50年の歴史で初めてのことだそうです。
本書がいかに貴重なドキュメントかがおかわりいただけると思います。
ぼくがこの本を読んで非常に面白いと感じたのは、
いろんな試験の場面で、その都度力を発揮する人間が替わることでした。
たとえば、「自己紹介を特技などを使って行え」という課題では、
それまで10人の中でもっとも冷静だと思われていたある候補者が
意外な一面をみせてみんなの度肝を抜きます。
またNASAの幹部を前にしたプレッシャー面接では、
ある候補者が取り出した一冊のノートが面接官たちの心を動かします。
ある試験では結果を出すことができなかった候補者が、
別の局面では誰よりも力を発揮することがある。
候補者それぞれの個性が垣間見えるこのあたりは
本書の読みどころのひとつでもあります。
試験というと、なにか特定の能力に長けているかどうかをみるものと
思われがちですが、本書を読み進むうちに見えてくるのは、
宇宙飛行士選抜試験で試されているのは、
そういう限定的な能力や知識にとどまらない、
その人の「人間力」そのものだということです。
「人間力」をもう少し詳しく言葉にするならば、
「困難に直面しても、決して折れない心で他人と協力しあえる能力」
とでもまとめられるでしょうか。
その意味では、10人の候補者は、誰もが「人間力」あふれる魅力的な人物でした。
でもなによりも、就職試験にしてみたらこれ以上ないというくらいに
狭き門である宇宙飛行士に求められる資質が、けっして特殊なものではなく、
すべての職業に通じるようなものだということがちょっと意外ではありませんか。
投稿者 yomehon : 2010年07月11日 04:13