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2010年03月08日

『天地明察』が時代小説の新しい扉を開く!


長年愛用していたパソコンがぶっ壊れてしまい、しばらく不自由な生活が続いていて、
先日ようやく秋葉原に出かけることができたのですが、その際、奇妙な光景を目にしました。

まるで「今日はとことん食うぞ!」と気合を入れて焼き肉屋に向かう客のように、
ただならぬ迫力を表情にみなぎらせた人々が、ずらりと並んだ何台もの観光バスから
続々と降りてきては、我先にと電気店に突入していくではありませんか。
「なにか特別な催し物でもあるんだろうか?」
店員さんに聞いてみると、この日は春節のお休みで、中国人観光客がわんさと押し掛けてきて
いるのだと教えてくれました。

春節は日本でいう旧正月、旧暦の正月のこと。
中華文化圏では爆竹を鳴らしまくって派手に新年を祝うとは聞いていましたが、
買い物でもこんなふうに大盤振る舞いをするなんて知りませんでした。
ともあれ、電気街を買い占めようかというほどの旺盛な購買力にしばし圧倒されてしまいました。


旧暦は、現在世界で広く用いられているグレゴリオ暦以前に使われていた暦です。
ご存知のとおり暦には古くからいろいろなものがあり、その歴史はそのまま人類が
天のことわりを解き明かそうと努力してきた歴史と重なります。

わが国における暦の歴史は古く、古代までさかのぼるといわれています。
当時は最先端の技術や思想はすべて大陸から入ってきました。
暦も例外ではなく、正確な時期までは不明ですが、6世紀頃にはすでに百済から輸入されていたようです。

わが国独自の暦が初めて歴史に登場するのは江戸時代のこと。
貞享元年(1684年)まで待たねばなりませんでした。
大陸より最初に暦が輸入された(と思われる)頃から、実に千年以上がたっています。

この偉業を成し遂げた者の名は、渋川春海(しぶかわ・はるみ)。
誰あろう今回ご紹介する傑作小説『天地明察』の主人公です。


ところで話は変わりますが、文芸誌といえばマイナーなものと相場は決まっています。
そこには一部の好事家にだけ好まれるような小説や評論が十年一日のごとく並び、
市場で多くの読者の目に触れることを意識した作品や、小説の新しい可能性を切り開こうとするような
作品にお目にかかる機会はほとんどありません。
そんな中、唯一の例外といっていい文芸誌が、『野生時代』です。

池上永一さんの『テンペスト』や道尾秀介さんの『球体の蛇』といった、
従来の小説にはない新しい切り口と、誰が読んでも面白いストーリーを兼ね備えた作品が、
いま『野生時代』を舞台に次々と生まれています。

冲方丁(うぶかた・とう)さんの『天地明察』(角川書店)はその最新の
成果であると同時に、近年の時代小説ブームが生み出した新しい傾向の
作品群の中でも、最大の収穫といっていい傑作です。


時は寛文元年(1661年)。
江戸開府より将軍家は四代を数え、時代は安定期に入っていました。
戦国の世ははるか遠くへ去り、人々は天下泰平を謳歌している。
この小説の主人公、渋川春海が生きているのはそんな時代です。

春海は碁打ち衆の家に生まれました。
普段は大名などのお相手を務め、時には将軍様の前で腕前を披露する。
いわば碁をもって徳川家に仕えるのが碁打ち衆なのですが、春海自身は
ただ登城して碁を打つだけの仕事にすっかり退屈していました。

気持がなぐさめられるのは大好きな「算術」に没頭しているときだけ。
この時代、算術はそろばんとともに全国に普及し、老若男女、身分の別を問わず、
人々のあいだで広く親しまれていました。

碁打ち衆としての日々に倦み、算術の勉強に没頭する春海に、ある日、
老中酒井忠清より下命がありました。全国へ赴き、天の動きを測れというのです。

日本人の手で初めて暦を編纂するという、天を相手にした春海の一世一代の
勝負がここから始まるのでした――。


『天地明察』で驚かされるのは、戦国武将や忍者や合戦シーンや剣の達人といった
時代小説の定番がいっさい出てこないにもかかわらず、無茶苦茶面白いこと。
まずそこが従来の時代小説にはない新しさを感じさせるところです。

ではこの『天地明察』ならではの「新しさ」を支えている要素はなんでしょうか。

ひとつは「算術」という比較的手あかのついていない目新しいアイテムを
小説の題材として引っ張ってきたことでしょう。
江戸は人口からいっても文化的な水準からいっても当時の世界の最先端をいく
都市でしたが、江戸庶民のあいだに広く普及し、 『天地明察』の登場人物でもある
関孝和という天才によって「和算」という日本独自の数学へと進化を遂げたほどに、
算術は江戸時代の重要な文化遺産であるにもかかわらず、これまで真正面から
算術を扱った小説は(『算法少女』などの例外を除いて)ほとんどありませんでした。
作者はまるでスポ根ものドラマのように、主人公・春海が情熱的に算術に打ち込む
姿を描きます。このあたりの筆の運びはなかなか巧みで、読者は読み進むうちに
いつの間にかすっかり春海に共感し、胸を熱くしながら物語にのめり込んでいる
自分に気づかされるのです。

登場人物がすこぶる魅力的なのも特筆すべき点です。
読者は血の通わない登場人物に共感することはありません。
小説を書くうえでもっとも大切なのは、キャラクターにいかに命を吹き込むかですが、
作者の冲方丁さんはライトノベルやSFのジャンルで実績のある書き手だけあって
『マルドゥック・スクランブル』は名作!)うまく誇張をまじえながら登場人物を
「キャラ立ち」させていく手並みは見事です。
特に主人公・春海の造形が素晴らしい。
真理の探究者に特有のピュアな魂の持主であることが見事に描かれていて、
読む者に清々しい読後感を与えてくれます。
(このあたり、小川洋子さんの『博士の愛した数式』を連想させます)


日本人でこれまでただのひとりもなしえたことのない、暦の編纂という
難事業に挑む青年の情熱を描いた『天地明察』は、テーマの選択といい
キャラクターの描き方といい、先人たちによって突き詰められた感のあった
時代小説のジャンルに、まだまだ未開拓の鉱脈があることを教えてくれました。

その意味でもこの『天地明察』は、ひとつの優れた作品ということにとどまらず、
時代小説のジャンルの新しい扉を開く画期的作品といえるのです。


さて、最後に関連書籍の読書案内を。

『天地明察』で算術の魅力のとりこになった人は、ジュニア向け歴史小説の名作、
遠藤寛子さんの『算法少女』(ちくま学芸文庫)をぜひ。
『天地』にも出てくる「算額奉納」が物語の発端です。こちらの物語の主人公は、
算数好きの町娘あき。

数学者ってどんな人なんだろうと興味を持った人には、日本を代表する大数学者、
岡潔さんのエッセイ『春宵十話』(光文社文庫)はいかがでしょう。
数学は論理的な学問であると思われているけれど、実は大切なのは情緒であると
岡先生はおっしゃいます。

子どもの頃に胸ときめかせながら夜空を見上げたことを、あらためて思い出した人も
いるかもしれません。
そんな人にぜひ読んでいただきたいのが野尻抱影の星座エッセイ。
おススメは『星空のロマンス』(ちくま文庫)です。こちらは古本で探してみてください。

投稿者 yomehon : 2010年03月08日 00:44