« 年にいちどのお楽しみ♪リンカーン・ライム・シリーズの最新作が届いた! | メイン | これぞ現代エンタテイメント小説の最高水準! 東野圭吾 『新参者』 »
2009年12月28日
キャッチャーという人生
最近、同僚との酒の席で、ふとしたはずみから昔は野球少年で、
しかもポジションはピッチャーだったと白状していまい、笑われてしまいました。
まぁこの太鼓腹で野球少年だったなんて言っても、冗談としか思われないでしょうね。
でもピッチャーといえば聞こえはいいですが、実際のところは「行き先はボールに聞いてくれ」
という典型的なノーコンで、四球を連発しては自滅するというパターンを性懲りもなく繰り返す
どうしようもない選手でした。
あれは夏休みの練習試合だったか、あまりにストライクが入らないことにキレた監督に
「ずっと投げてろ馬鹿野郎!」と怒られ、マウンド上でさらし者にされたことがあります。
しまいには延々と続く四球と押し出しに嫌気がさした野手からも「いい加減にしろよ!」と
責められる始末。相手チームからは笑い物にされるは、どこにも逃げ場はないはで、
焦れば焦るほど、萎縮すればするほどコントロールが定まらない悪循環にハマってしまいました。
ところがそんな四面楚歌の中で、ただひとり、励まし続けてくれた人間がいました。
キャッチャーです。
『キャッチャーという人生』赤坂英一(講談社)を読みながら、ぼくは炎天下のグラウンドに
キャッチャーのかけ声だけが響いていたこの時の光景を思い出していました。
すでに試合はピッチャーのひとり相撲でぶち壊しになっているにもかかわらず、
チームの中でただひとり、キャッチャーだけが最後まで辛抱強く声を出し続けている。
こう書くと、いかにもキャッチャーをやっていた男が
チームメート思いの優等生みたいですが、それは違います。
この時のキャッチャーの行動というのは、個人の性格や人間性というよりも、
なにかキャッチャーというポジションが持つ性質に由来しているように思えるのです。
名捕手・野村克也氏は、 『野球は頭でするもんだ!』(朝日文庫)という本の中で
こんな面白いことを書いています。
キャンプ中に宿舎の大広間でミーティングを行う際に、
選手のスリッパの脱ぎ方を観察していた野村さんは、
ポジションごとに傾向があることに気がつきます。
内野手はスリッパが散らかっているのに文句をいいながら片付けようとはしない。
外野手は黙ってスリッパを脱いでいく。
ピッチャーはみんなのスリッパの上に平気で脱ぎ捨てていく。
(それも脱いだスリッパが右と左、歩幅のまま残っている)
ではキャッチャーはといえば、
これが「散らかったスリッパをそろえ、わずかな空き地に脱いでいく」というんですね。
キャッチャーというポジションはよく「女房役」にたとえられますが、
なるほどいかにもしっかりものの女房な感じがするエピソードではあります。
ただし野球で言う「女房役」というのは、きわめて特殊な役回りです。
なにしろこの女房、一試合のうちに何人もの旦那の相手役を務めなければなりません。
旦那にもいろいろいます。プライドの高いベテランから、ノミの心臓のルーキーまで、
あらゆるピッチャーを勝利という目標に向けてリードしていくという役割を負っています。
こんな特殊なポジションを務めているのは、いったいいかなる人間なのでしょうか。
『キャッチャーという人生』では、さまざまな捕手の人間像が描かれます。
より正確にいえば、そこで光を当てられているのは、野村克也と古田敦也という
ふたりの天才の陰に隠れて、これまであまり語られることのなかったキャッチャーたち
なのですが、彼らの人間像というのがとにかくむちゃくちゃ面白い。
この本は今年のスポーツノンフィクションの中でもいちばんの掘り出し物といえるでしょう。
著者の赤坂英一さんは、日刊ゲンダイのプロ野球記者として
長く現場を取材してこられた方ですが(現在は独立)、まずなによりも
選手を身近に取材している者ならではのディテールへの目配りが素晴らしい。
その細やかな観察眼は冒頭からいきなり発揮されます。
(以下、選手のみなさんの敬称は略させていただきます)
本書は著者が村田真一(巨人打撃コーチ)に取材を依頼するところから始まります。
その書き出しはこうです。
「村田真一の顔は、唇の左端が右端よりも下に垂れ下がっている。
彼は、自分の意思でその左端を動かすことができない。現役時代、
顔面の左側に受けたデッドボールによって、鼻と口の周辺の神経が
断裂してしまったからだ。
『それ以来、写真は嫌いやねん。よく見て。こうして笑うたら、はっきり分かるでしょ』
そう言って、村田は笑みをつくった。唇の間から白い歯がのぞき、唇の右端があがる。
しかし、左端は下がったままだ。右端が上がったぶん、余計に口全体の形が歪にみえる」
読む者にまるでその場に同席しているようかのように情景を思い浮かべさせ、
ストーリーの中へとぐいと引きずり込んでしまう見事な書き出しです。
しかもこの後遺症のエピソードは、意味もなく冒頭に置かれているわけではありません。
(このことについてはまた後で触れます)
本書には、達川光男、山中潔、大久保博元、谷繁元信、里崎智也といった捕手が
登場しますが、あえて主人公をあげるなら、村田真一ということになるでしょう。
本書でたびたび言及される村田のエピソードは、村田個人の人物像のみならず、
「キャッチャーとはいかなる人種か」ということもぼくらに教えてくれます。
村田真一はついぞ名捕手と謳われることのなかった選手でした。
巨人軍の歴史の中では、森祇晶の1833、山倉和博の1253に続く歴代3位の
1087試合に出場し、90年代を通して正捕手の座を守り続けたにもかかわらず、です。
ご存知の方も多いかと思いますが、その理由のひとつに村田の「肩」があげられます。
現役の頃、盗塁阻止率の低かった村田には「肩が弱い」という定評がありました。
入団5年目に手術をした村田の右肩は、当時抜群の盗塁阻止率を誇った古田や
リーグ随一と言われた中日・中村武志の強肩と比べると、どうしても見劣りがすると
言われていたのです。
ところが本書ではその評価が事実に反することが明らかにされます。
当時の巨人のピッチャーはクイックモーションが不得手で、
監督だった藤田元司も「チュウ(村田の愛称)、おまえが悪いんじゃないから」と慰め、
ピッチャー連中も「チュウ、悪いな、ごめんな」と村田に頭を下げていたそうです。
でもだからといって村田は、自分のせいではないとメディアに吹聴したりはしません。
世間に何を言われようと監督やチームメートがわかってさえいればそれで十分、
そんな自分のことよりもピッチャーにしっかり仕事をしてもらうことのほうが大事だ、
と自らは口をつぐんでいました。
自分を犠牲にしてまでもピッチャーのことを考える。
そういう村田の姿勢は、広島カープの黄金期を支えた
名捕手・達川光男にも共通するものがあります。
本書には達川のこんな言葉が紹介されています。
「ピッチャーにいい球を投げてもらうには、こっちが受けさせていただくという気持ちが
大事じゃ。そりゃあ揉めたり、ぶつかったりすることはあるけどよ、結局はピッチャーに
投げてもらわんことには始まらんのやから、野球はね」
達川は、1992年10月4日、広島市民球場での巨人戦を最後に引退します。
現役最後の打席に入ったときマスクを被っていたのは村田でした。
その最後の打席で村田は達川に声をかけます。
「達川さん、お疲れ様でした。全部真っ直ぐです。心置きなく振ってください」
それを聞いた達川は、
「村田、見えん。ボールが見えん」
と涙で頬を濡らしながらつぶやくように答えたといいます。
おそらく同じキャッチャーだからこそわかりあえるものがあるのでしょう。
バッターボックスでのキャッチャー同士の会話といえば、こんな場面もありました。
ただしこちらは生命を危険にさらすような壮絶な場面ですが・・・・・・。
1999年4月9日横浜スタジアム。
齋藤隆の投げたストレートがバッターボックスの村田真一の顔面を直撃。
ボールは顔の左側に当たって跳ね、村田はそのまま仰向けに倒れ込みました。
この時のキャッチャーは谷繁元信でした。
谷繁によれば、倒れ込んだ村田は「シゲ、信じてるからな」と言ったそうです。
もちろんわざとではありません。
谷繁はいまでも、本当に狙ったのかボールが抜けたのか、
キャッチャーである村田ならわかってくれていると思っているそうです。
村田真一は2001年に引退します。
この年、ドラフト1位で中央大学から入団したルーキー阿部慎之助が127試合に出場。
新旧交代とばかりに村田の出場は54試合にとどまりました。
本書で描かれる村田真一のキャッチャー人生は、まさに「傷だらけ」です。
デッドボールで死線をさ迷ったのもそうですが、1997年には4歳の可愛いお嬢さんを
交通事故で亡くすという不幸にも遭われています。
(このくだりは涙なしには読めません。ちなみに告別式で最後に献花し、
嗚咽する村田を抱き留めたのは同じキャッチャーの大久保博元だったそうです)
村田真一の傷だらけのキャッチャー人生からみえてくるものはなんでしょうか。
それは、どんなに辛いことがあっても、弱音ひとつ吐かず黙々と自分の仕事をこなす
大人の男の姿です。それもとびきりの「いい男」の。
なるほどキャッチャーというのは、ピッチャーという主役を引き立てるための脇役かもしれません。
しかしプロの脇役に徹したこの男たちの人生は、なんと陰影に富み深みがあることか。
本書のエピローグで、著者はそれぞれのキャッチャーに
「もし生まれ変わったら、もういちどキャッチャーをやりたいか」
という質問を投げかけています。
いちばん最後に村田の答えが紹介されているのですが、ここで著者はふたたび
デッドボールの後遺症が残る村田の顔に触れつつ、稿を閉じています。
この本を最後まで読んだ人は、ここに至って初めて自分自身の変化に気がつくはずです。
最初は痛々しく思えた村田の顔面の傷跡が、いつのまにか誇らしく感じられることに。
プロ野球ファンのみならず、胸の奥が熱くなるような男たちのドラマを求めている方にも
ぜひオススメしたい一冊です。
投稿者 yomehon : 2009年12月28日 00:56