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2009年06月28日
私、『1Q84』の味方です
まさかここまで売れるとは思っていませんでした。なんのことかって?
もちろん村上春樹さんの『1Q84』BOOK1 BOOK2(新潮社)のことです。
ひさしぶりの新作長編と聞いて、待ち焦がれていた読者がいっせいに書店に殺到したとか、
タイトルと発売日以外はいっさい情報を伏せて飢餓感を煽る宣伝戦略が当たったとか、
このところノーベル文学賞の候補として名前があがるなどして、村上作品に興味関心を
持つ人々が増えていたからだとか、あれこれもっともらしくヒットの要因をあげつらうことはできますが、
そんなことより、まだ読んでいない人にとっていちばん関心があるのは、
この『1Q84』がはたして本当に面白い小説かどうかということではないでしょうか。
かといって、ネットで『1Q84』の評判を調べてみたとしても、あなたはたちまち途方に暮れるはず。
なぜなら新作の評価をめぐる議論は、賛否両論まっぷたつだからです。
本好きには、ベストセラーにはまず斜に構えてみるという悪いクセがあるので、
『1Q84』を批判する声があふれるのもわからないでもありません。
けれどもいくらなんでも「そりゃないよ」という批判が多すぎる。
やれ「これまでの村上作品と比べて代わり映えがしない」だの、
やれ「作品世界にリアリティが感じられない」だの、あんまりじゃなかろうか。
この小説をめぐるさまざまな批判に目を通すうちに、いつしかぼくは村松友視さんの
傑作プロレスエッセイの名前を借りて、声を大にこう叫びたい気分になっていました。
「私、『1Q84』の味方です!」
渋滞する首都高3号線。
高速道路上でタクシーを乗り捨て、非常階段の鉄柵を乗り越え、
地上へと駆け下りていくヒロインの青豆(あおまめ)――。
『1Q84』は素晴らしく印象的なシーンから始まります。
カーラジオから不意に流れてきたヤナーチェックの『シンフォニエッタ』。
「見かけにだまされないように。現実というのは常にひとつきりです」という
タクシー運転手の謎めいたアドバイス。
物語冒頭から、なにかが起きそうだと予感させる仕掛けが満載です。
しかも青豆の仕事は正義の名のもとに殺人を請け負う殺し屋だというではありませんか。
これまでの村上作品にはないヒロイン像に一挙に物語の世界へ引き込まれます。
物語はこの青豆のエピソードと、
もうひとりの主人公、天吾のエピソードが交互に語られるかたちで進行します。
予備校で数学を教えながら小説を書いている天吾は、
ある日、文芸誌の新人賞の下読みのアルバイトで、
「ふかえり」という17歳の女子高生が書いた『空気さなぎ』という奇妙な作品と出会います。
稚拙だけれど誰にも真似できない世界を描いた『空気さなぎ』に魅了される天吾。
けれども旧知の編集者から持ちかけられた『空気さなぎ』をリライトして世間に発表するという
企みに天吾が加担したあたりから、彼の周囲で不穏な出来事が起こり始めます。
青豆と天吾。
2人の主人公の物語が交互に進むうちに、
やがて山梨に本拠を置くあるカルト教団の存在が浮上します。
そしてこのカルト教団を軸に青豆と天吾の人生は次第に重なり合っていくのでした――。
ところで、『1Q84』というタイトルを初めて目にしたとき
「なんて読むんだろ?」とか(いちきゅーはちよんと読みます)、
「妙なタイトルだな」と思った方も多いと思いますが、
この「1Q84」という表記は、現実の1984年ではない
「パラレルワールドとしての1984年」を意味しています。
『1Q84』は、主人公が現実の1984年の世界から、
パラレルワールドへと迷い込んでしまう設定の小説なのです。
村上春樹さんは、現実とは別の世界をこしらえて、
そこでなにを描こうとしているのでしょうか。
『1Q84』にはしばしば登場人物が自分の現実感覚を疑う場面が登場します。
ふと気がつくと、これまで当たり前だと思っていた現実に歪みが生じているような。
現実に歪みが生じ、気がつけばいつの間にか違う世界にいる。そんな感覚。
この「気がつけばいつの間にか違う世界にいる」という感覚は、
2009年を生きるぼくたちにもどこか身に覚えのあるものではないでしょうか。
好もうが好むまいが、私は今この「1Q84」に身を置いている。
私の知っていた1984年はもうどこにも存在しない。今は1Q84年だ。
空気が変わり、風景が変わった。私はその疑問符つきの世界のあり方に、
できるだけ迅速に適応しなくてはならない。新しい森に放たれた動物と同じだ。
自分の身を護り、生き延びていくためには、その場所のルールを一刻も早く理解し、
それに合わせなくてはならない。 (「BOOK1」202ページ)
「空気が変わり風景が変わった」。
この感覚をたしかにぼくらは知っています。
1995年1月17日
1995年3月20日
2001年9月11日
2003年3月19日
いずれもぼくらの平穏な日常を根底から脅かす出来事が起きた日付です。
これらの日を境に、確実に「なにかが変わった」ことをぼくらは知っています。
つまり「1Q84」というのは、いまぼくたちが生きている
この現実世界そのもののメタファー(隠喩)でもあるのです。
もうひとつ、『1Q84』で描かれている大切なことに触れておかなくてはなりません。
村上春樹さんは、デビュー以来ずっとひとつのことを
書き続けてきた作家だということをご存知でしょうか。
村上さんが書き続けてきたこと。
それは、ぼくたちが生きる日常世界に突如侵入し、
秩序を壊し、安寧を突き崩し、時には生命すら脅かすような〈マイナスの力〉に、
ぼくらはいかに抗すればいいのかということです。
この〈マイナスの力〉のことを、村上さんはこれまでいろんな名前で呼んできました。
「やみくろ」、「猫の手を万力で潰すような邪悪なもの」、
「アンダーグラウンド」、「システム」――。
『1Q84』では、それは「リトル・ピープル」と名付けられています。
〈マイナスの力〉は、いつも突然現れ、ぼくらの平穏な日常を切り裂きます。
休日の歩行者天国で突如振るわれる凶刃や、
オフィス街のビルに突っ込んでいくジャンボジェット機、
あるいは地の底から人々の安らかな眠りを突き破る大地の咆哮、
こうした〈マイナスの力〉はたちどころに人々の人生を奪い去ってしまいます。
世界にはなぜこのような理不尽な出来事があふれているのか。
運命を翻弄する負の力を前に、私たちひとりひとりになにが出来るのか。
村上春樹という作家がずっと格闘し続けているのはそのようなテーマです。
『1Q84』でそれらの問いに明確な解決策が提示されているわけではありません。
個人の内に秘められたある種の「記憶」が、人生を支える力になるということが
わずかにぼんやりとしたヒントとして示されるのみです。
そういう意味ではこの『1Q84』は未完の小説です。
「空気が変わり風景が変わった」この世界にあって
どう生きていけばいいのか、いまだぼくたちが答えを見つけられずにいるように、
『1Q84』にもただ問いだけがあり、答えを探すのは読者に委ねられている。
すぐれて現代的な問題を扱いながら
多様な読み方へと門戸が開かれた『1Q84』は、
まさに傑作という名にふさわしい小説ではないでしょうか。
投稿者 yomehon : 21:21
2009年06月01日
ダチョウ力
どうやら今年はサイエンス本の当たり年のようです。
北半球で300億匹ものミツバチが消えた謎を追った
『ハチはなぜ大量死したのか』ローワン・ジェイコブセン著 中里京子訳(文藝春秋)、
脳科学界の俊英が母校の後輩たちへ脳科学の最前線をわかりやすく説いた
『単純な脳、複雑な「私」』池谷裕二(朝日出版社)、
DNAの発見に匹敵する大発見といわれる脳の「ミラーニューロン」の発見者
ジャコモ・リゾラッティ博士の『ミラーニューロン』柴田裕之訳(紀伊國屋書店)など、
ページをめくるたびにわくわくするような知的興奮をおぼえる本が目白押しです。
それらの本はいずれ機会をあらためてご紹介するとして、
今回は、すぐれたサイエンス本であるにもかかわらず、ちょっとヘンなタイトルのせいで
世間ではあまり評判にならずに埋もれてしまっている感のある一冊をご紹介しましょう。
その本の名は『ダチョウ力』塚本康治(朝日新聞出版)といいます。
「ダチョウ力」と書いて「ダチョウぢから」と読ませるヘンなタイトル。
(個人的には「ダチョウりょく」のほうがまだ語呂がいいと思うけどなぁ)
しかも本の帯には、「バカ力!アホ力!!ダチョウ力!!!」とか、
「『ダチョウ博士』の異常な愛情が人類を救う」とか書いてある。
これでは初手から「キワモノです」と宣言しているようなもので、
本屋さんで誰かに手に取ってもらうせっかくの機会を逸しているとしか思えません。
ところが侮るなかれ、この本の内容たるや実に面白いのです。
しかも読んでいるうちに、帯に書いてあるアホみたいなコピーすらも
あながち的外れではないと思えてくる。
そう、もしかしたらダチョウは、本当にぼくたち人類の救世主になるかもしれないのです!
ところでダチョウの卵はご覧になったことはありますか?
昔、ダチョウを飼育しているところに中継でお邪魔した番組スタッフが持ち帰った
ダチョウのゆで卵を食べる機会に恵まれたことがあります。
実物を前にまず驚かされたのは、赤ん坊の頭ほどもあろうかという大きさでした。
とにかくデカい。たぶん恐竜の卵だと言ったら信じる人がいるでしょう。
しかも殻がハンパじゃなく硬い。机の角にぶつけたくらいではビクともしません。
その時は悪戦苦闘の末、最後は金槌で殻を割ってようやく食べることができました。
ダチョウの卵の重さは約1・5キロだそうです。
ニワトリの卵の25倍の大きさというのですから、
いかにダチョウの卵が規格外のデカさかがわかります。
規格外なのは卵だけではありません。
体長は2・5メートルを超え、時速60キロという並はずれた脚力を誇ります。
この数字だけみれば、ダチョウは地球上でも最強の部類に入る生物のように思えます。
でも悲しいかな、恵まれた体格と抜群の運動神経を持つにもかかわらず、
ダチョウには決定的に欠けているものがあるのです。
それは、「脳ミソ」。
ダチョウの脳はとても小さく、しかもシワがありません。
まあわかりやすくいえば、身体能力は高いけどオツムがちょっと足りないわけです。
けれどもこのアンバランスさがダチョウにどこか憎めない魅力を与えているのも事実。
『ダチョウ力』にはそんな彼らの愛すべきマヌケぶりが余すところなく描かれています。
たとえば塚本ハカセが発見した「ダチョウのアホな行動法則」その1。
次のような場面を思い浮かべてください。
ダチョウの群れの中から一羽が走り出すと、他のダチョウも足並みを揃えて走り出す。
このとき先頭の一羽が羽を広げると、他も次々に羽を広げて走る――。
サバンナで生きる草食動物には、天敵から身を守るために集団で行動する動物もいます。
ダチョウの行動もそれと同じようなものなのでしょうか?
塚本ハカセはダチョウたちを注意深く観察するうちにそうではないことに気がつきます。
実はダチョウたちは何も考えていなかったのです!
一羽が気まぐれで動き出すと、それにつられてまわりも動き出す。
塚本ハカセがダチョウ牧場で目撃したのは、
動き出した一羽にぞろぞろと何も考えないでついていった群れが、
丘を登っていって行き止まりになると、どうしていいかわからなくなり、
最後尾でつかえたダチョウが仕方なく後ろ向きに歩き出すと、
今度はそのダチョウに従ってぞろぞろと坂を下りてくるという、
まるでコントのような光景でした。
塚本ハカセ曰わく、「それぞれのダチョウが勝手に動いて、勝手に群れが振り回されて、
右往左往している――そのパターンが延々と続いている」。
なんともトホホな光景ではありませんか。
ダチョウはアホなだけじゃなくて、とんでもなく鈍感だという話もあります。
ある日、塚本ハカセは、エサを食べていたダチョウのところに
カラスが舞い降りてきて、尻のあたりを攻撃するのを目撃します。
ところがダチョウは平然とエサを食べています。そのうちつつかれて出血したところを
カラスたちが集団でつつきはじめ、尻や腰の肉がクレーター状にえぐれました。
でも、血だまりができているにもかかわらず、それでもまだダチョウはエサを食べている。
ひどいケースになると目玉や小腸をカラスに食べられてしまったダチョウもいるそうです。
そこまでいけば当然ダチョウも瀕死の状態になってしまいますが、
事態がそこまで悪化してもなお平然としていられる鈍感さというのはある意味スゴイ。
そしてもっと驚くべきは、ダチョウは瀕死の状態で救い出されたとしても
「簡単には死なない」ということです。
ひどい傷を負っていても驚異的な快復力をみせるというのです。
これは何を意味するのでしょうか?
塚本ハカセは、このダチョウの驚異的な快復力に注目します。
ケガをしたダチョウの傷口を観察すると、細胞が他の動物よりもはるかに早く
傷口をふさごうと動いていました。このことからハカセは、ダチョウの免疫力が
きわめてすぐれたものであることを知るのです。
人間の免疫システムは、インフルエンザウィルスなどの外敵と戦うために
「抗体」という攻撃部隊を備えています。
鳥類にも同じように免疫システムがありますが、ダチョウの抗体は鶏の抗体に比べ、
感染を抑える力が4倍から8倍も高いというのです。
このダチョウ抗体に目をつけた塚本ハカセは、試行錯誤の末、
ダチョウの卵の黄身から抗体を取り出すことに成功します。
そしてこのダチョウ抗体を塗ったマスクの開発を思いつき
これも試行錯誤の末、実用化にこぎつけます。
(このあたりのドタバタはぜひ本でお楽しみ下さい)
同じ抗体でも、ラットやウサギから生産される抗体は1グラムあたり数億円もするのが、
ダチョウの抗体の1グラムあたりの製造原価は10万円なのだそうです。
この安さが抗体マスクの大量生産を可能にしました。
実際、ダチョウの卵1個からはとれる抗体は4グラムで、
ここから8万枚のマスクがつくれます。1羽あたり卵を年間100個産んだとして、
そこから年間最大800万枚ものマスクをつくることができるのだそうです。
ダチョウパワーの活用はマスクだけにとどまりません。
塚本ハカセによれば、ダチョウの糞には緑化をうながす秘密が隠されていそうだし、
ダチョウからとれたオイルは皮膚のトラブルに効果がありそう。
そして例の抗体からは肺ガン治療薬開発の道も開けるかもしれないのだそうです。
それにしても塚本ハカセは、あふれんばかりの愛を日々ダチョウたちに注ぎながら、
その一方で、新型インフルエンザの流行をにらんで何年も前からダチョウ抗体の
地道な研究に取り組んでいるのですから立派です。
誰よりも対象にのめり込み、そこから新しい発見をして、社会へと還元していく。
これぞ科学者としてのあるべき姿ではないでしょうか。
最後に、この本でいうダチョウ力とは、「ふだんは失敗や挫折ばかりしていても、
自分の興味のあることを追いかけ続けて、ここぞというときに人々のために
すごい力を発揮する」ということのようです。
全編にポジティブなパワーが漲った
読めば前向きな気持ちになれるサイエンス本です。
科学に興味をお持ちのお子さんなどと一緒に読んでみてはいかがでしょう。
投稿者 yomehon : 00:00