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2009年04月05日
「英雄」の光と影
本をたくさん読むのに特別なコツはありません。
ともかく時と場所を選ばずただひたすら読むこと。これに尽きます。
重度の活字中毒のぼくも、ご多分にもれず電車やタクシーに乗った時、
湯船につかっている時、お酒を飲むとき、ヨメに話しかけられた時などなど、
ありとあらゆる場面を利用して本を読んでいますが、
世の中で唯一、美容院でだけはどうしても本が読めません。
髪を切ってもらっているあの小一時間あまりというのは、
本来は読書にもってこいのひとときのはず。にもかかわらず読めない。
というか、正確にいえば、ある時を境に美容院で本が読めなくなってしまったのです。
もうずいぶん前のことになりますが、
ある日、髪を切ってもらいながら本を読んでいると、
「何を読んでるんスか?」
美容師さんが話しかけてきました。
その時どんな本を読んでいたのかはもう忘れてしまったけれど、
本好きの美容師さんかと思ったぼくは、こんなの読んでます、と彼に表紙をみせました。
ところが、本の話題で盛り上がるかと思いきや、彼は意外なひと言を口にしたのです。
「へぇ~凄いっスね。こんなぶ厚い本が読めるなんて。俺、尊敬しちゃいますよ」
聞けば、彼はこれまでの人生でほとんど本を読んだことがないのだそうです。
小学生の時、教科書を上手に読めなかったことで
活字に苦手意識が芽生えてからというもの、本を手に取らなくなってしまった。
けれどもお客さんと会話をしながら仕事をするようになって、
これまで本を読まずにきたことを後悔するようになったといいます。
どうして後悔してるの?と聞いてみると、彼はこう答えました。
「だって本読めば、教養が身につくじゃないスか」
世の中には、本を読むことが素晴らしいことだと思っている人々がいます。
そういう人たちはきまって、本にはこの世界の隠された秘密や
人生の奥義のような大切なことが書かれてあって、
読書をすることでそれらを身につけることができると考えています。
本を読めばいろんな知識を獲得でき、感性を磨け、
思慮深く、洞察力にすぐれた人間になれると思い込んでいる。
でもそれはおおいなる勘違いです。
だって本にはとても危ないことだって書かれているじゃありませんか。
世の中から隠されていること、時の権力者にとって不都合な真実、
異端とされる思想、人前で口に出すのも憚られるような願望――。
他人に本棚をみられると恥ずかしいのは、
そこに並ぶのが立派な本ばかりではなく(むしろそういう本は少ない)、
普段は隠している自分の裏の顔がバレてしまうような本も並んでいるからです。
本を読むことは立派なことだと思い込んでいる美容師さんから
毎度毎度「なに読んでるんスか」と聞かれたのでは落ち着きません。
この時からぼくは、美容院で本を読めなくなってしまいました。
本は時として猛毒や劇薬にもなり得るもの。
宮部みゆきさんの『英雄の書』上 下(毎日新聞社)は、
本が引き起こす恐ろしい災厄を入り口に
「人間はなぜ物語を必要とするか」を考えるファンタジー大作です。
主人公は小学五年生の森崎友理子。
どこにでもいるごく普通の小学生だった彼女の幸福な日常は、
ある日、中学生の兄、大樹が事件を起こしたことで暗転します。
大樹は友だちをナイフで刺し殺し、そのまま行方不明になってしまったのです。
勉強もできスポーツマンでもある兄がどうしてあんな恐ろしい事件を起こしたのか。
悩んでいたのならどうして家族に相談してくれなかったのか。
そんな疑問に苛まれながら兄の部屋で過ごしていたある日、
友理子は虫の羽ばたきのようにかすかな囁き声を耳にします。
彼女に話しかけてきたもの、それは古い一冊の辞書でした。
古い辞書が語るところによれば、大樹がおそろしい事件を起こしたのは、
〈英雄の書〉という本に取り憑かれてしまったからだというのです。
友里子は古い辞書に導かれ、行方不明になった兄を捜すため、そして解き放たれた
〈英雄〉を封印するために「無名の地」と呼ばれる場所へ向かいます。
「無名の地」、そこはあらゆる「物語」が生まれて、そして帰ってくる場所でした――。
この小説のテーマは、「物語」です。
人間にとって「物語」とは何か。
ぼくたちはなぜ「物語」を必要とするのか。
そのような本質的なテーマに、物語を紡ぐ名手である宮部みゆきさんが
正面からぶつかっていて、非常に読み応えのある作品に仕上がっています。
ところでひとくちに「物語」といっても、
これは小説のような「おはなし」だけを指すものではありません。
歴史であるとか法律であるとか
世の中の価値観であるとか個人の人生であるとか
そういったものもすべて「物語」に含まれます。
そのような「物語」の中で最強の力を持つのが〈英雄〉の物語です。
なぜ最強の力を持つのかって?考えてもみてください。
歴史というものが、いったいどれくらいの
歴史上の偉人たちのエピソードの集まりから成り立っているかを。
古来より数多くの「英雄伝」が書かれてきたことからもわかるように、
ぼくたち人間はいつの時代でも〈英雄〉を求めてきました。
〈英雄〉の登場に熱狂し、その活躍を讃え、
後の世まで〈英雄〉の偉業を語り継いできました。
いつだって〈英雄〉は人々の希望を体現し、
正義の側に立つものとして語られてきたのです。
けれども『英雄の書』で宮部さんが描き出そうとするのは、〈英雄〉の負の側面です。
光が強くなればなるほど影が濃くなるように、
輝かしい〈英雄〉の物語の背後には、常に闇がひっそりと寄り添っている。
そのことに無自覚であることがいかに危険かを知るには、
大衆に熱狂的に迎えられたアドルフ・ヒトラーが
その後何をしたかということを想起するだけで十分でしょう。
経済が停滞し、社会が閉塞感におおわれた現代は、
ともすれば〈英雄〉待望論が起きかねない時代です。
宮部みゆきさんのアンテナは、おそらくそういうトレンドを
敏感にとらえているに違いありません。
他人の命を奪い行方不明になった兄を捜すために
アナザーワールドへと飛び込んだ友理子の旅は、
ちょっと意外な結末でピリオドが打たれます。
かならずしもそれはハッピーエンドではありませんが読後感は悪くない。
それはきっと、宮部さんがこの作品を通じて
ぼくらに送ってくれているメッセージが、とてもポジティブなものだからでしょう。
人は生きることで「物語」を紡いでいます。
ひとりの人間が人生の終盤でふと立ち止まり来し方を振り返るとき、
自らの歩みのあとには壮大な物語が記されているはずです。
その物語はその人だけのもの、かけがけのない個人の生の記録です。
けれども時として人間は、自分の足で物語を紡ぐのをやめて、
世の中にすでに存在する陳腐な物語を追いかけようとします。
「あの人のようなセレブな生活がしたい」
「あの人のように出世してちやほやされたい」
このような陳腐な物語をなぞって生きるとき、
その人の人生は凡庸で生彩を欠いたものになります。
(〈英雄〉の物語が忍び込むのはそういう人々の心です)
生きていれば過ちも犯すし苦しいこともたくさんある。
それでも自分の足で歩いていくこと。
自分にしか紡げない物語を紡いでいくことがいかに大切か。
ぼくがこの『英雄の書』という本から聴き取ったのはそういうメッセージでした。
投稿者 yomehon : 2009年04月05日 02:34