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2009年03月15日
大阪が全停止!?万城目学の最新作がスゴイ!!
あるうららかな春の日。
ぼくは「肉うどん」を求めて大阪の街をさ迷っていました。
急に決まった大阪出張。
しかも思いがけず仕事が早く終わり、あとは東京に戻るだけ、となれば
「帰りの新幹線はできるだけ遅くして、うまいものを食べ尽くそう!」となるのは道理です。
大阪といえば「粉もん」文化圏の中心地。
でもたこ焼きやお好み焼きはさんざん食べた。
ならばあとは「うどん」だろう。
そう考えたぼくは、かねてからレベルが高いと感じていた
大阪の「肉うどん」を食べ尽くす旅に出たのでした。
あっちの店でズズー。
こっちの店でズズー。
「ああなんてうまいんだ!!」
ところが好事魔多し。
順調にお店まわりをしていた矢先、ある繁華街で道に迷ってしまいました。
地下鉄の駅で降りたのですが、ちょっと変な出口から出てしまったために
位置関係を見失ってしまったのです。
とりあえず駅周辺で地図を探すことにしたものの
東京であればあちこちで見かける地図看板がなぜか見当たりません。
繁華街の駅ですからまわりはかなりの人混みで、
当然のことながら大阪弁の会話が四方八方から耳に飛び込んできます。
そんな中、地図を探してしばらくあたりをうろうろしているうちに、
いつしかぼくは不思議な感覚にとらわれていました。
それは「この街でヨソ者なのは自分だけなんじゃないか」という感覚です。
東京みたいにヨソ者が多く集まる街であれば必要な地図案内も、
大部分が「大阪人」で構成されている大阪の街には必要ないのかもしれない。
それに口をきくだけで「大阪人」と「それ以外」が劃然と分けられてしまうあの言葉。
大阪ほど自分が「その街の住人ではないこと」を痛感させられる街はありません。
そう、まるで別の国のような――。
『プリンセス・トヨトミ』(文藝春秋)は、
奇想天外な物語を書かせたら天下一品の作家、万城目学さん待望の新作です。
お堀越しに大阪城をながめる3人の人物のイラスト、
帯にデカデカと踊る「5月末日木曜日、大阪全停止」というコピー。
個性的な表紙が、なんばグランド花月前のジュンク堂書店で思いっきり目立っていました。
万城目さんはデビュー以来、
『鴨川ホルモー』、 『鹿男あをによし』と
立て続けに見事なホームランを放っている作家。
迷わず購入し帰りの新幹線で読み始めると、すぐさま物語に引き込まれました。
新大阪から品川まで、いちども車窓の風景に目をやることなく読み耽り、
155ページで「えーっ!!」と腰を抜かし、
406ページにさしかかったところで興奮して拳を握り、
446~448ページのところで目頭が熱くなり、
462~464ページのところでは腹を抱えて笑い、
品川から乗り換えた山手線をぐるっと一回りしたところで読み終えました。
読み終えた瞬間、ぼくは山手線の中で(心の)声を大にして叫んでいました。
「すごい。3打席連続ホームランだ。しかも3本目は場外ホームランだ!!」
物語は東京から3人の男女が大阪へ向かうところから始まります。
アイスクリームを手放さない年配のハンサムな男、
おしゃべりでそそっかしい若い小太りの男、
誰もが振り返るほどの美貌を誇るハーフの若い女性。
3人は会計検査院の調査官です。
会計検査院というのは、国のお金が正しく使われているかどうかを調査する機関。
彼らは立ち入り調査のために大阪へ向かいます。
ところが彼らの調査はやがて大阪の人がひた隠しにしている
あるとんでもない秘密をあぶり出すことになったのでした。
そのとんでもない秘密とは何か。
それは「大阪が独立国だった」というオドロキの事実だったのです――。
「小説とは何か」という問いに対して、ごく素朴に「それはホラ話である」と定義するならば、
巧みにつくられたホラ話ほどすなわち面白い小説ということになります。
万城目学さんは、いまの日本でホラ話をつくらせたらこの人の右に出る人はいない、
というくらい素晴らしく上手にホラを吹く作家です。
『プリンセス・トヨトミ』でなによりもぼくが感心させられたのは、このホラ話のホラ度合いが
これまでの作品に比べ格段にパワーアップしていることでした。
歴史をネタにホラ話をつくろうと考えた場合、
普通は現代から遠ざかれば遠ざかるほどホラ話はつくりやすくなります。
神話が荒唐無稽なのは、それが検証しようがないほど遠い遠い過去のことだからです。
「古代の日本にこんなことがあった」「平安時代にあんなことがあった」
そういうホラ話は、つくろうと思えばまぁつくれる。(と思う。たぶん)
ところが時代が現代に近づけば近づくほどホラを吹くのは難しくなります。
史料だってたくさん残っているし、場合によっては生き証人だっているかもしれない。
そのような中でもっともらしいホラ話をでっちあげるのは至難の業です。
『プリンセス・トヨトミ』が素晴らしいのは、この困難を見事にクリアしていることです。
つまり、歴史的には「ついこの間」といってもよい、
日本が近代国家としての産声をあげた明治期を取り上げながらも、
近代国家成立の歴史的プロセスにもっともらしい大ボラを持ち込むことに成功している。
そこがなによりもスゴイと思うのです。
辰野金吾なんていう人物(東京駅舎や国会議事堂を設計した日本の近代建築を
語るうえで欠かせない実在の人物)が物語にからんできた時は、さすがに驚かされました。
ただ、ついつい奇想天外なホラ話の部分に目を奪われがちになってしまいますが、
万城目学さんの小説は一方ではきわめてオーソドックスな物語をベースにしていることも
忘れてはいけません。
「大阪が実は独立国だった」というぶっ飛んだ設定の『プリンセス・トヨトミ』も、
ベースになっているのは「父と子の物語」というとても普遍的なテーマです。
(大阪では父が子に何を伝えていくかということが語られる場面で、
ぼくの涙腺はゆるんでしまいました。そういえばマキメさんの小説で涙したのは初めて)
あるいはもっと深読みをすれば、この小説のいちばん深いところには、
歴史がつねに勝者によってつくられてきたことに対する反発があるようにも思えます。
でももしかしたらぼくは、大阪という街がもともと持っている要素(「アンチ東京」の精神)に
感応してそんなふうに感じてしまっただけかもしれないのですが。
この他にも人情味あふれる商店街とか、思春期の男子のフクザツな胸のうちとか、
信念を貫くことの大切さとか、会計検査院が実際にどんな仕事をしているのかとか、
ここでは紹介しきれないくらいにいろんなことが、大阪という唯一無二の街を舞台に描かれます。
それにしても京都(『鴨川ホルモー』)といい、奈良(『鹿男おをによし』)といい、
万城目学さんは見事にその街でしか成り立たない小説を生み出してみせますね。
これほどまでに街と不可分の物語を生み出す作家は他にいないのではないでしょうか。
以前、ぼくは万城目学さんが東京の街を描いた物語を読んでみたいと書いたけれど、
『プリンセス・トヨトミ』のような大傑作が読めるならば東京でなくたって全然かまわない。
万城目さん、次の街はどこですか??
投稿者 yomehon : 2009年03月15日 17:28