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2008年11月24日

まだ間に合う「源氏物語」


新しいことにチャレンジしたいのに
きっかけが見つけられないということはよくあります。

古典なんてその最たるものじゃないでしょうか。
死ぬまでにいちどは読んでみたいと思いながら、
なかなかきっかけを見つけられずにいる人がおそらく大半です。

でもご安心を。
実は古典を読むのに今年ほどぴったりの年もないのです。

いま都心のちょっと大きめの書店に足を運べば
あちこちでフェアが開催されていますから
きっとご存知の方もいらっしゃることでしょう。

今年は「源氏物語千年紀」。
あの古典の中の古典、キング・オブ古典といってもいい屈指の名作
「源氏物語」が書かれてから千年という記念すべき年なのです!

・・・・・・と書いておきながらあわてて補足するのですが、
実は「源氏物語」がいつ書かれたかというのは正確にはわかっていません。
わかっているのは、紫式部が書いた回顧録である「紫式部日記」に
初めて「源氏物語」についての記述がみられるのが1008年だということ。
これをもって今年を「源氏物語千年紀」としているわけです。

新しいことを始めるには良いきっかけが必要です。
だとするならこれほど贅沢なきっかけもないでしょう。
なにしろ千年です!千年に一回しか廻ってこないイベントを
きっかけにできるのは、ぼくたち現代人にだけ許された特権です。
ぜひこれをきっかけにみなさんに「源氏物語」を手に取っていただきたい。

でも中には「いきなり源氏物語はちょっと・・・・・・」と気後れする人もいるかもしれません。
そこで今回は、十分にウォーミングアップをした後、
スムーズに「源氏物語」に入っていけるための本をご紹介いたしましょう。


ところで「源氏物語」とはどんな物語なのでしょうか。

全54帖(巻)からなる物語は、
400字詰め原稿用紙に換算すると約2300枚。
登場人物はのべ400人を超え、
描かれる歴史は帝の代にして四代、年月にして70年を数えます。

物語の内容はといえば、当代最高の美貌と頭脳の持ち主である光源氏が、
個性的な魅力を備えた女性たちと、さまざまな恋を繰り広げるというもの。
純愛、不倫、略奪愛、近親姦、そこではありとあらゆる男女の関係が描かれます。

当時これだけの物語が書かれたということは、
世界史のうえでも画期的なことでした。

20世紀最高の女性作家のひとりであるヴァージニア・ウルフは、
先祖たちがまだ猪と戦っているような時代に、レディ・ムラサキは、
男女の恋の真理を繊細に描いたと源氏物語を賞賛しています。

映画監督のピーター・グリーナウェイも
(こちらは「源氏物語」ではなく「枕草子」を例に挙げながらですが)
「我が英国がほとんど“野蛮人の国”と同様だった時代なのに、
どうしてこれだけ自由に文章を書ける女性がいたのか」と驚きを語っています。
(橋本治さんの『これで古典がよくわかる』で紹介されているエピソード。
この本は古典に興味がある人は必読の大名著です)


でもそんな素晴らしい作品であるにもかかわらず、
現代人のぼくらがその原文を読むのは極めて困難です。

まず文章が「ひらがな」だけで書かれていて非常に読みにくいこと。
(現代では当たり前の「漢字かな混じり文」の登場は鎌倉時代まで待たなくてはなりません。
個人的には、日本語に真に画期的な変化をもたらしたのは、明治時代の言文一致よりも
鎌倉時代の漢字かな混じり文の登場だと思います)

そして全編にわたって和歌が散りばめられていること。
(その数は795にものぼります。和歌で想いを伝えることが当たり前だった
時代ならいざしらず。現代人のぼくらに和歌の解読はハードルが高すぎます)

さらに当時の慣習や風俗がよくわからないこと。
(男女が目をあわせただけでどうしてセックスしたのと同じになっちゃうんだろう、とか)

いくら「源氏物語」を読もうと試みても、
以上のようなことが妨げになれば一発でイヤになってしまいます。

そうならないためにもまずは入門書を何冊か読むこととしましょう。

「誰も教えてくれなかった『源氏物語』の本当の面白さ」(小学館101新書)は、
林真理子さんと気鋭の研究者・山本淳子さんの対談形式で「源氏」が楽しく学べる一冊。
「心かカラダか?現代人にも通じるリアリズム」、
「なんと年収四億円!光源氏のセレブライフ」など
下世話な話題もうまく盛り込んで読者を飽きさせない工夫がされています。

藤壺、葵の上、紫の上、夕顔、六条の御息所、浮舟など、
「源氏物語」に登場する女性たちついての解説が充実しているのは
瀬戸内寂聴さんの『寂聴源氏塾』(集英社文庫)。
恋に悩み、愛に苦しむ女たちの心情についての共感に満ちた解釈は、
「源氏物語」と13歳で出会ってから70年以上も親しくつきあってきた著者ならでは。

「源氏物語」はなぜ千年も読み継がれてきたのか。
その時代時代で「源氏物語」はどのような人々に支えられ、
今日まで伝えられてきたのかという側面から書かれているのが
島内景二さんの『源氏物語ものがたり』(新潮新書)。
画期的な注釈書を書き上げ、「源氏物語」の大衆化に貢献した
北村季吟をはじめ、源氏に取り憑かれた9人の人物が登場します。

「香り」という思いも寄らない切り口にスポットを当てるのは、
『香りの源氏物語』嶋本静子(旬報社)。
この本で初めて知ったのですが、「源氏物語」には実に多くの「香り」についての
描写が出てきます。とてもセクシーな場面で香りが使われることもあれば、
「ニンニクの匂いが消えたころにまたきてください」なんて女が源氏に言う場面もある。
マンガも使ったわかりやすい解説で理解を助けてくれます。

「源氏物語」が書かれた一条天皇の時代に焦点を当てるのは、
先ほども紹介した山本淳子さんの『源氏物語の時代』(朝日選書)。
紫式部が生きた時代を生き生きと甦らせた手腕はお見事。
第29回サントリー学芸賞芸術・文化部門を受賞した名著です。


さて、入門書で十分にウォーミングアップをしたら
いよいよ「源氏物語」を手に取りましょう。
ぼくがおすすめしたいのは以下の3人の訳です。

まずいちばんのおすすめは『瀬戸内寂聴訳 源氏物語』(講談社文庫)。
和歌を五行詩で訳すなど独自の工夫を試みており、読みやすい訳に仕上がっています。
それに男女のあいだのことはやはり著者の独壇場でしょう。

新しもの好きな人は、大塚ひかりさんの個人全訳版『源氏物語』(ちくま文庫)を。
特色は随所にはさまれる「ひかりナビ」なる豆知識。
古典エッセイストの著者らしい工夫です。
「光源氏のセックス年表」(!)までついてまさに至れり尽くせり。

「いちばんやさしい源氏がいい」という人には、アーサー・ウェイリーの英語訳を
再び日本語に訳した『ウェイリー版 源氏物語』(平凡社ライブラリー)を。
イギリスの東洋学者アーサー・ウェイリーによる美しい英語訳のおかげで
「源氏物語」は世界中で読まれるようになりました。
いちど英訳されたものを日本語に戻すと、こうも違うかというくらい雰囲気が変わります。
現代の小説のように源氏物語を読みたい人にはおすすめのシリーズです。

千年紀も残りわずか。
でもまだ十分間に合います。
ぜひこれを機に「源氏物語」との出会いを経験してください。

投稿者 yomehon : 20:58

2008年11月09日

新しい「忠臣蔵」の誕生


時は元禄十五年十二月十四日、子の中刻(十五日午前零時)。
残雪が皓々たる月光に映える中、凍てついた道を急ぐ一群の男たちがいた――

なんて感じの文章を読めば、誰もがピンとくるはず。
主君の無念を晴らすため義に殉じた忠臣たちの物語といえば――そう、「忠臣蔵」です。

元禄十四年三月十四日、殿中松の廊下で浅野内匠頭が
吉良上野介を小刀で斬りつけるという前代未聞の事件が発生します。
幕府の対応は素早く、内匠頭は即日切腹に処せられ、
一方「恨まれる覚えなし」と主張した上野介はお咎めなしとなりました。

幕府の処分により浪人の身となった赤穂浪士たちは、
雌伏の時を経た後、吉良邸の襲撃を敢行。
上野介の首をとり、亡き主君の無念を果たすというのが、
誰もが知る「忠臣蔵」のストーリーではないでしょうか。


一連の事件が「忠臣蔵」の名で親しまれるようになったのは、
事件から半世紀近くたった寛延元年(1748年)、大坂で初演された
人形浄瑠璃の『仮名手本忠臣蔵』が大当たりをとって以来のことだそうです。

それから今日にいたるまで、忠臣蔵を題材とした小説や映画やテレビドラマは
いやというほどつくられてきました。

けれども、これほどまでに「忠臣蔵」が世の中に氾濫しているにもかかわらず、
実は事件の核心ともいえる謎はいまだ解明されないままなのです。

その謎とはなにか。

「浅野内匠頭はなぜ吉良上野介を斬りつけたのか」という謎です。


時代小説の新星・加藤廣さんの『謎手本忠臣蔵』上巻 下巻(新潮社)は、
この忠臣蔵の核心にある謎の解明に挑戦し、これまでにない新しい忠臣蔵を
創り出すことに見事成功したオススメの一作です。


「内匠頭はなにゆえ上野介を斬りつけたのか」

謎を解き明かすためのポイントとなるのは、
吉良上野介が幕府でどんな役割を担っていたかという点です。

吉良家は高家(こうけ)という役職にありました。
由緒正しい名家・名門から選ばれる高家は、
おもに幕府の儀式典礼を司るのが仕事ですが、
幕府の命を受け、しばしば朝廷への使者も務めてきました。

この「吉良上野介が朝廷に対する交渉役だった」という事実が、
実は忠臣蔵の謎を解き明かすうえで重要な糸口となるのです。

その謎解きの面白さはぜひ本書でご堪能いただくとして、
ここでは、赤穂浪士の事件によって幕府と朝廷とのパワーバランスは
その後大きく変わることになる、とだけ申し上げておきましょう。


この本の面白さは謎解きだけにととどまりません。
読者をぐいぐいとひきつける大きな魅力となっているのは、
まず本書で作者がもっとも力を注いだと思しき「諜報戦の描写」です。

幕府、朝廷、大石内蔵助――彼らがいかに情報を入手し、どのように分析し、
情報操作を行うかというディテールがみっちりと書き込まれている。

忍び、密偵、二股諜者(ふたまたちょうじゃ=二重スパイのこと)などが跋扈する
スパイ戦の面白さは、この小説の読みどころのひとつです。


史実に忠実に寄り添いながら物語を組み立てているところも好ましい。

赤穂浪士は決して一枚岩ではなく、内部に対立や相互不信などを抱えていたことは、
たとえば『忠臣蔵 赤穂事件・史実の肉声』野口武彦(ちくま学芸文庫)などが
明らかにしています。そのような専門家の研究成果をどん欲に取り入れて書かれた
物語はどこまでもリアル。正確な時代考証をもとに物語を組み立てておきながら、
最後の最後で小説的想像力を飛躍させているのが、この小説の魅力でもあります。


おしまいに作者の加藤廣さんについても触れておきましょう。
時代小説のジャンルは近年優れた人材を次々と輩出していますが
作者の加藤廣さんのデビュー作を読んだときにはさすがに驚きました。
なんと加藤さんがデビューされたときのお年が75歳だったからです。

デビューが遅い時代小説作家といえば、故・隆慶一郎さんもそうですが
彼ですら『吉原御免状』を世に問うた時は60歳でした。
(ちなみにぼくの時代小説こころのベストワンはこの『吉原御免状』です)

しかもデビュー作『信長の棺』は、
とても75歳の老人(失礼!)が書いたとは思えない斬新な作品でした。

なにしろ本能寺の変で信長の遺体が見つからなかったという
歴史の謎に大胆に挑み、ひじょうに説得力のある説を提示したうえに、
時代小説と本格推理が結びついたような「あっ!」と驚く小説的仕掛けを
施すという、信じられない離れ業をやってのけているのですから。


そういえば、 『謎手本忠臣蔵』『信長の棺』も、
歴史上の大きな謎をテーマとしていることでは共通しています。

加藤廣さんの小説は、面白いだけでなく、いくつになっても旺盛な好奇心さえあれば
素晴らしい仕事ができるのだということも、ぼくたちに教えてくれているような気がします。

投稿者 yomehon : 22:37

2008年11月03日

 お待ちかねディーヴァーの新作にニューヒロイン登場!


「うーんまたこれか・・・・・・」

本を読みながら思わず呟いてしまいました。
この人の小説を読むたびに繰り返されるお馴染みのパターン。
なにしろ、すでに犯人の命運は決しているにもかかわらず、
ぼくの手元にはあと100ページ近くが残されているのですから――。

普通のミステリーであれば犯人の正体が明かされたところで物語は終わり。
ところがジェフリー・ディーヴァーの場合は例外です。
普通のミステリーが終わるところから、さらに驚きの展開が待っている。

今回はいったいどんな「どんでん返し」を見せてくれるのでしょうか。
ぼくは再びページをめくり始めました――。


世界中でいまもっとも新作が待たれる作家、
ジェフリー・ディーヴァーの最新作
『スリーピング・ドール』池田真紀子・訳(文藝春秋)は、
あのリンカーン・ライムを主人公にした人気シリーズからのスピン・オフ(派生)作品です。

リンカーン・ライムは、四肢麻痺のハンデを負いながら、
犯行現場に残されたわずかな物証をもとに殺人犯を追い詰める天才犯罪学者。
ディーヴァーが生み出した現代ミステリー界屈指のヒーローです。

ライムシリーズの醍醐味は、なんといっても解決不可能と思われた事件が
わずかな科学的物証によって解き明かされていくプロセス。
現場から発見された極小の繊維片や微量の化学物質といった証拠物件が
次々とホワイトボードに書き出され、ライムがそのひとつひとつに(時にはベッドの上で、
また時には車椅子に乗りながら)検証を加えていく光景はシリーズではお馴染みです。

この天才犯罪学者と殺人犯との「知恵比べ」が
毎回物語の大きな魅力となっていますが、前作『ウォッチメイカー』では、
袋小路に入りかけたライムの捜査を手助けするひとりの女性が現れました。

彼女の名前はキャサリン・ダンス。

カリフォルニア州捜査局捜査官をつとめる彼女は「キネシクス」のエキスパートです。
「キネシクス」とは、所作や表情の変化などから相手の内面を読み解く技術のこと。
彼女は尋問のプロであり、またいかなるウソも通用しない「人間ウソ発見器」なのです。

ライムが物的証拠を扱うプロフェッショナルであるのに対して、
ダンスは人間を扱うことにかけてのプロフェッショナルといっていいでしょう。
『ウォッチメイカー』の事件は、この一見対照的な捜査手法を得意とするふたりが
協力することで解決へと向かうのですが、キャサリン・ダンスの名は、「キネシクス」という
耳慣れない単語とともに深く印象に残りました。


『スリーピング・ドール』は、そんなキャサリン・ダンスを主人公にすえた一作。

ある日、裕福なIT会社経営者一家を惨殺した罪で
収監されていたカルトの指導者ダニエル・ペルが脱獄します。
キャサリン・ダンスみずから捜索チームの指揮をとるものの
人の心を操る技術に長けたペルは、大胆に捜査の裏をかき逃げ続けます。

鍵を握るのは、かつてペルとともに暮らしたことがある3人の女たち。
そしてもうひとり、惨殺事件の唯一の生き残りの少女。

心を閉ざす彼女たちの前に立つキャサリン・ダンス。

尋問のプロは果たして彼女たちの心を開かせ
手がかりを得ることができるのでしょうか――。


物語の読みどころはまず
「キネシクス」の技術がどのようなものかじっくりと描かれていること。
人がウソをつくときにはどんな徴候があらわれるか。
ウソつきにはどのようなタイプがあるか。
尋問するのに最適な「距離」はどれくらいか、などなど。
このような知識を駆使したダンスの尋問シーンは読み応え十分です。

ところが、そんな「キネシクス」の達人も
プライベートな問題に関してはひとりの無力な母親だったりします。
(ダンスは夫と死別し複雑な年頃の子どもを2人抱えています)

この仕事でのスーパーウーマンぶりと、
子どもとの距離のとりかたに悩むごく普通の母親像とのコントラストが、
キャサリン・ダンスというキャラクターに奥行きを与えています。
さすがディーヴァーはエンターテイメント小説の手練れだけあって、
主人公のキャラクターがしっかり「立って」いるのはお見事。

そして冒頭でも触れましたが、ディーヴァー作品といえば
どうしても「どんでん返し」に言及せざるを得ません。

本来であれば書評で
「この小説には最後にどんでん返しがありますよ」
などと前もって予告するのは、読書の興を削ぐ明らかなルール違反。

でもディーヴァーに限っては事情が違います。
この人の小説で「どんでん返し」があるのは当たり前。
問題はそれがどれくらい我々を驚かせてくれるか。
それがもっとも重要なポイントなのです。

ではこの『スリーピング・ドール』の「どんでん返し」は???

それはぜひあなたの目で確かめてみてください。
なお、この『スリーピング・ドール』は、
これまでのライムシリーズを読んでいなくても十分楽しめます。
予備知識は不要ですのでご心配なく。

投稿者 yomehon : 01:01