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2008年10月30日
「アラフォー」の次は「オバミマ」!?
ある晩のこと。
ヨメに隠れてぼくは都内某所のレストランで女性と密会していました。
その日は会話も弾み、ひじょうにいい雰囲気で食事を愉しんで、
そろそろ食後のデザートも終わろうかという頃、ふと目をやると、
ワインの酔いで瞳を潤ませた彼女がこちらを見つめているではありませんか!
(※注:個人の網膜に映った映像をさらに脳内で特殊加工しています)
(も、もしやこれは・・・・・・)
気がつけばいつの間にか幸福の天使たちが現れ
テーブルのまわりをグルグル飛んでいるではありませんか!
「YOUいっちゃいなよ!」「YOU決めちゃいなよ!」
彼らはくすくす笑いながらぼくに悪戯っぽくウィンクします。
(※注:個人の網膜に映った映像をさらに脳内で特殊加工しています)
千載一遇のチャンスとはまさにこのこと。
(も、もしやこれは、10年にいちどのビッグ・ウェーブじゃないか――っ!!)
けれども勝利を確信した刹那、あることをきっかけに
幸福の青い鳥は我が掌中からするりと逃げ去ってしまったのでした・・・・・・。
きっかけは彼女が甘えた声で発した
「最近の本で面白いのがあったら教えて~」というひとこと。
おやすい御用!とばかりに、オススメの本について熱弁をふるったのですが、
ふと不穏な空気を感じて彼女をみると、潤んだ瞳からうって変わって
険しい目でこちらを睨みつけているではありませんか――。
そして、彼女はこう言い放ったのです。
「わたし、その人キライ!!」
ぼくはこの年になって初めて知りました。
世の中には2種類の女性がいることを。
2種類の女性――すなわち
「酒井順子を認める女性」と「認めない女性」です。
傑作エッセイ『負け犬の遠吠え』でお馴染みの酒井順子さん。
最新刊『おばさん未満』(集英社)は、四十路を迎えた彼女が
初めて遭遇した「老いの徴候」についてあれこれ考察した爆笑エッセイです。
でもこれ、すすめる相手によっては地雷にもなるオソロシイ一冊でもあります。
例えばこの本をぼくがすすめた女性。
彼女はなぜ気分を害したのか。
それはこういうことでした。
彼女に言わせれば「酒井順子は女の敵」なんだそうです。
女性のもっとも触れられたくないところをあげつらい、
それを文章に仕立て上げ、男性読者に提供している女の敵なのだと。
彼女は、ちょっとこちらがドン引きしてしまうくらいに
悪し様に酒井さんのことを罵ります。
う―む、そうだろうか。
あまりにそれは一方的な見方というものではないか。
ぼくからすれば酒井さんはきわめて優秀な観察者です。
日常を仔細に観察し、思いもよらぬかたちで切り取ってみせる腕のいい職人のような。
それにしてもここまで酒井さんに抵抗感を示すのはなぜだろう?
なにか彼女自身に原因があるんじゃないだろうか。
そう思って彼女がどんな人物かあらためて振り返ってみると――
「酒井順子嫌い」を標榜する彼女は現在31歳。
自己診断による性格は「ロマンチスト」ですが、
夢見がちで現実を直視せず占いなどに左右されやすい傾向あり。
ファッションは生足に短めのスカートとかちょっと見20代な感じ・・・・・・。
なるほどそうか。
ここまで考えてぼくは、はたと気がついたのです。
「酒井順子を認める女性」と「認めない女性」は、
そのまま
「現実に目を向ける女性」と「現実から目をそむける女性」
というふうに置き換えることができるのではないかと。
『おばさん未満』で扱われるのは、
まさにこれからおばさん世代にさしかからんとする女性が
老いという現実とどう向き合うべきかという問題です。
「髪形」や「体型」、「化粧」「性欲」などなど、
酒井さんはあらゆることにスルドイ観察眼を注いで
冷静な分析力と抜群のユーモアで事象を切り取ってみせる。
彼女が提示する問題に読者はしばしば爆笑を誘われます。
例えば、「口元」についての考察。
酒井さんは40歳になって
「どんな口紅を塗ったらいいかわからない」
という問題に直面しているといいます。
バブル期はディオールの青みピンクのようにクッキリとした色が流行っていたけれど、
バブル後、時代の針は一気にナチュラル志向へと振れました。
けれども酒井さんは、
「ナチュラル色の口紅というのは、肌にハリとかツヤがあるからこそ、映えるもの」で、
「自身が中年期にさしかかった時、身の置き所、というか唇の着地点がおぼつかなく」なったと言います。
「問題は、死人顔になかなか自分では気がつかない、ということでしょう。
『私はまだイケてる』といった気分のまま、若い頃と同じ口紅を使っていると、
集合写真の中で自分だけが心霊写真のようになっていたり、トイレの鏡に映った顔に
ギョッとしたりすることがあるのだけれど、『蛍光灯のせいだわ』みたいな言い訳をして
自分を納得させてしまいがち。
クッキリ色の口紅をつければ簡単に解決する問題ではないか、というご意見もありましょう。
しかしナチュラル時代の現在において、クッキリ色の口紅を塗るというのはすなわち、
『私はおばさんの世界に入りました。もう戻りません』
と宣言をするようなもの」
なるほど死人顔か。うまいこと言うなぁ・・・・・・なんて感心してる場合じゃないけれど、
このような細かなところまで目配りの利いた観察力が本書の大きな魅力です。
もうひとつ、「旅」についての考察もあげてみましょう。
ここで酒井さんが直面するのは、「いつまでリュックを背負っていいものか」という問題。
国内の小旅行なら、これまでは「エルベ・シャプリエの小さなリュック」で済ませていた
酒井さん。けれども最近は「旅立つ前にリュックを背負った姿を鏡に映すと、
『これって、いいんでしょうかねぇ』と、思う」と言います。
若者がリュックひとつで颯爽と旅をするのは自然だし、
逆に60代をすぎてもリュックは楽だから「アリ」。
けれども中年のリュックがどこかみすぼらしくみえるのはなぜだろう――。
彼女はそんなふうに問題提起し、
お馴染みの観察力を存分にふるいながら考察を加えていきます。
(余談ですが、年をとるにつれて革製のカバンが重くてダメになり、
ナイロンしか持てない身体になってきた、などというくだりには思わず笑ってしまいました)
そしてなにげなく提示される次のような言葉に、
ぼくは酒井さんが並々ならぬ観察者であることを思い知らされるのです。
「年齢にそぐわないのはわかっているのに、便利さに抗うことができずに
『実用』の方面に流れていってしまうと、人は老けて見えるのです」
すぐれたエッセイストはイコールすぐれた観察者である。
これは清少納言の時代から変わらないマスト事項ではないでしょうか。
考えてみれば、いま「老い」という問題に直面している40代の女性たちは、
消費行動によって自己表現をすることをおぼえた最初の世代でもあります。
ぼくは、そんなパイオニア世代が、
同世代に「酒井順子」という類い希な観察者を抱えていることは、
絶妙な天の配剤だと思うのです。
彼女たちがこれからどう年をとっていくかということは、
後続世代にとって貴重なロール・モデルとなることでしょう。
もしかしたら彼女たちはこれから新しいお年寄り像を生み出していくかもしれない。
『おばさん未満』は、そんな彼女たちの「老い」とのファースト・コンタクトを描いた
貴重な記録でもあります。
投稿者 yomehon : 2008年10月30日 01:24