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2008年09月23日

うまいホットドックはここにある!


ときどき無性に食べたくなるものってありませんか?
僕の場合は「ホットドック」がそれにあたります。

ちなみに小説でホットドックをもっとも美味しそうに書いた作家は、
故・藤原伊織さんではないでしょうか。

名作『テロリストのパラソル』(角川文庫)で、主人公のアル中のバーテンダーが、
店を訪れた二人組のヤクザにホットドックを作る場面は次のように描かれています。


オーブンレンジのスイッチをいれた。パンを手にとってふたつに割り、バターをひいた。
ソーセージに包丁で刻みをいれる。それからキャベツを切りはじめた。
(略)
フライパンにバターを溶かし、ソーセージを軽く炒めた。次に千切りにしたキャベツを
放りこんだ。塩と黒コショウ、それにカレー粉をふりかける。キャベツをパンにはさみ、
ソーセージを乗せた。オーブンレンジに入れて待った。そのあいだ、ふたりの客は
黙ってビールを飲んでいた。ころあいをみてパンをとりだし皿に乗せた。ケチャップと
マスタードをスプーンで流し、カウンターに置いた。
青いスーツがホットドックをひと口かじり、無邪気な声をあげた。
「へぇ。うまいですね、これ」
「ああ」白いスーツがうなずいた。その目からふっと氷が溶け去ったようにみえた。
私の思い違いかもしれない。
「おれの口にゃあわねえが。そうだな、たしかにこりゃよくできてる」
白いスーツはそういった。
「それはどうも」
「かんたんなものほど、むずかしいんだ。このホットドックは、たしかによくできてる」
白いスーツがくりかえした。


そう、ホットドックは簡単です。
でも、だからこそ難しく、
それゆえにうまいホットドックを出す店は少ない。

だけど幸運なことに、ぼくはとびきりのうまいホットドックを出す店を知っています。
そのお店は新宿――それも毎日たくさんの人が通り過ぎる新宿駅にあります。


『新宿駅最後の最後の小さなお店ベルク』井野朋也(P-Vine Books)は、
わずか15坪ながら一日中たくさんのお客さんで賑わうお店
「ベルク」のオーナーによる奮闘記。

ベルクまでの道案内はとっても簡単です。
新宿駅の東口改札を出て左へ行き、
地下道へおりる手前、ちょうど有料トイレの横あたりに
奥まった通路があるのですが、その中にあります。

ベルクを初めて訪れた人はきっと驚くはずです。
テーブルは満席、立ったまま飲み食いしている人も大勢います。
店内はかなりごった返しているのにお客さんはひきもきらず
レジには常に長い注文の列ができています。

客層も多様です。
コーヒーとサンドイッチで慌ただしく食事をすませる学生さんもいれば、
ソーセージや鰊の薫製をツマミにビールでうまそうに喉を潤す会社員もいます。
かと思えば、日本酒をちびちびやっているおじさんの隣で
ワイン片手にゆったりと文庫本のページをめくる妙齢の女性がいたりします。

カフェでもありパブでもあり居酒屋でもある不思議なお店。
ベルクのようなお店を探そうにもちょっと他では見当たらない。
まさに世界でここだけにしかないような個性的なお店なのです。


さて、そんなベルクのホットドックですが、
ここのホットドックはきわめてシンプルです。
軽くトースターであたためたパンにソーセージを挟んであるだけ。
ケチャップとマスタードは注文の際にどうするか訊かれるのでお好みでどうぞ。

でもシンプルだからといって侮ってはいけません。
実はパンは専門のパン職人が焼いたものだし、
ソーセージも本場ドイツで受賞歴のある職人がつくったものなのです。

ホットドックだけではありません。
210円のコーヒーだって、初めて飲んだ人はあまりのおいしさに仰天するはずです。
それもそのはず。
ちゃんと専門のコーヒー職人が調合・焙煎した豆を使い、
コーヒーマシンも豆の状態にあわせて毎日微調整しながら淹れているうえ、
アイスコーヒーにいたっては豆を北海道に送り羊蹄山の湧き水にまる一日ひたして
水出しするという凝りよう。おいしくないはずがありません。


このようにどんな商品も手間をかけて丁寧につくることで
多くのお客さんに愛されてきたベルクがにわかに注目を集めているのは、
このお店が現在、立ち退きの危機にさらされているからです。

そのあたりの詳しい経緯はぜひを読んでいただきたいのですが、
立ち退き要請の背後にあるのは、「巨大資本に駆逐される個人商店」という
いまや全国のあちこちで目にすることができる普遍的な問題です。

巨大資本をバックに持つチェーン店の進出によって
古くからのお店が次々に潰れ、その結果、街の風景や
そこに暮らす人々のライフスタイルが画一化してしまうことを、
三浦展さんは「ファスト風土化」と呼んでいますが、
ベルクのオーナー井野さんがこの本で述べている内容には、
ファスト風土化に対抗し、個人店が生き残るためのヒントが満載です。

個人商店が生き残っていくためにはどうすればいいか。
それはいかにして「どこにも真似できない」お店をつくるかということに尽きます。

ベルクでは食材の原価率が50%だそうです。
通常、飲食業では30%から高くても40%くらいが相場だそうですから
これはちょっとあり得ない数字なのですが、この常識破りを可能にしているのは、
新宿駅という絶好の立地を活かした薄利多売です。
(ベルクでは普通の喫茶店の一週間分のコーヒーが一日で売れるそうです)

安物を安く売るのではなく、いいものを出来るだけ安く売る。
しかもただ売るだけではなくてお客さんに喜んでもらうための努力を惜しまない。
(ベルクではどんなに忙しくても注文を受けてから調理を始めるそうです。
オープンキッチンなのでその様子はお客の目からもみえるようになっています)

あのときびりおいいしいホットドックの裏にはそんな企業努力があったのです。


この本のエピグラフにエリック・ホッファーの言葉が引用されているのを目にして、
ぼくはベルクの魅力の秘密がわかったような気がしました。

正規の学校教育をいっさい受けていないうえに天涯孤独の身だった
エリック・ホッファーは、港湾労働者として働きながら読書と思索を続け、
やがて「沖仲仕の哲学者」としてアメリカ中の尊敬を集めるまでになりました。
(興味のある方は『波止場日記』『魂の錬金術』などをどうぞ)

ベルクのオーナー井野さんが励まされるというホッファーの言葉は次のようなものです。

「四六時中物事を良好な状態に保つために費やされるエネルギーは、真の活力である。
山を動かす技術があるところでは、山を動かす信仰はいらない」


お客さんを喜ばせ、自分たちが納得できる仕事をするための日々の小さな努力を惜しまない。
人気店ベルクを支えているのはそんな哲学だったのです。


『新宿最後の小さなお店ベルク』は、素人がオンリーワンのお店をつくりあげるまでの奮闘記としても、
また個人商店がサバイバルする方法を明かしたビジネス書としても面白く読める本です。
ベルクのホームページも見どころ満載なのでぜひのぞいてみてください。

投稿者 yomehon : 2008年09月23日 20:27