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2008年07月21日
巨大コンペをめぐる血湧き肉躍るドラマ
「あのさ、これまでの人生の中でいちばん感動したタテモノって何?」
昔々、まだ学生だった頃のこと。
友人が唐突にこんなことを訊いてきました。
とっさに何を尋ねられたのかわかりませんでしたが、
そいつが建築学科だったことに思い至ってようやく
「ああ、タテモノって建物のことね」と気がついたのでした。
それにしても変わったことを訊くやつがいたものです。
本とか映画ならまだしも建物なんて言われてもなあ。
その時はたしか「うーん、東京タワーかな~」などと
適当なことを答えてお茶を濁したような気がします。
けれども後年、フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ教会で、
ぼくは友人の質問の意味を知ることになります。
混雑する昼間を避けて朝一番に訪れた教会で
入り口から聖堂の内部に入った途端、ぼくは息を飲みました。
暗がりの中、一筋の朝の光がステンドグラスを透過して
床に色あざやかな模様を描いていたのです。
その光景を目の当たりにした瞬間、背筋に震えが走りました。
「この世に神はいると思うか」と尋ねられたら
ぼくは答えに窮するような人間ですが、
あの瞬間だけは神の存在を認めたくなりました。
それくらい神々しさに満ちあふれた空間だったのです。
建物に感動する。空間に畏怖をおぼえる。
そういうことが実際にあるのだということをこの時初めて知りました。
ところで建物は人を感動させるものばかりとはかぎりません。
たとえばもしも「これまでの人生の中でいちばん怖かった建物は」と訊かれたとしたら?
ぼくは迷わず「水戸芸術館のタワー!」と答えます。(写真でもいかにも怖そうでしょう?)
この水戸芸術館を設計したのは磯崎新さん。
たまたま同郷ということもあって、子どもの頃からよく
磯崎さんの名前はよく耳にしていました。
現在は改修されたようですが、彼の出世作である
「大分県立大分図書館」などには何度通ったかしれません。
子どもの頃に抱いていた磯崎新さんのイメージは
「ヘンな建物をつくるおっさん」というもので、
まさか彼が世界的に有名な建築家だなんて思いもしませんでした。
そんな世界的に有名な建築家が、
建築界に君臨する自らの師匠に全力で闘いを挑んだのが、
いまから23年前、バブル前夜の1985年に実施された
新しい東京都庁舎をめぐる設計競技(コンペ)でした。
総工費1365億円。
新宿副都心の超高層ビル街の3ブロックに
延べ床面積約34万㎡の巨大ビルを建設するビッグプロジェクトです。
『磯崎新の「都庁」 戦後日本最大のコンペ』平松剛(文藝春秋)は、
新都庁舎設計コンペを軸に、戦後日本を代表するふたりの建築家、
丹下健三と磯崎新の師弟対決を描いたむちゃくちゃ面白い建築ノンフィクションです。
ところで設計コンペとはなんでしょうか。
瀧口範子さんは『にほんの建築家 伊東豊雄・観察記』(TOTO出版)という
これまたむちゃくちゃ面白い建築ノンフィクションの中でこんなふうに書いています。
「実は設計コンペは紀元前から行われている建築界の伝統である。
紀元前5世紀、ペルシア戦争に勝ったアテネが戦勝記念碑をアクロポリスに建てた際、
複数の建築家に案を出させて市民にその評価をゆだねた。その後時代をずっと下って
有名なコンペは、ブルネレスキが勝ったフィレンツェの花の大聖堂。これは15世紀初頭。
ホワイトハウス、パリのオペラ座、エッフェル塔、ロンドン議事堂なども、コンペの結果
生まれた建物である」 (15ページ)
新宿への移転は、当時丸の内にあった庁舎が手狭になったことから決定されました。
(この丸の内庁舎の設計者も丹下健三氏であったのは面白い)
コンペに指名された設計事務所は9社。
磯崎アトリエを除けばいずれも社員をたくさん抱えた大手ばかり。
しかも作品提出までの期限はたった3ヶ月。
わずか20名のスタッフを率いて磯崎新の挑戦が始まります。
建築家がコンペにのぞむまでにどんな作業をするのか、
その細部のドラマはぜひ本書を手にとって楽しんでいただくとして、
ここでぜひ触れておきたいのは、本書の登場人物たちについてです。
この本を読み物として非常に面白いものにしているのは、
登場人物のキャラクターによるところ大です。
特に磯崎氏の師匠である丹下健三のキャラ立ちぶりは特筆もの。
コンペ参加者への説明会が行われたときのこと。
遅刻しそうになった磯崎さんがエレベーターに駆け込むと
目の前に丹下健三が立っている。
かつての師匠ですからあわてて挨拶をするのですが
丹下氏はソッポをむいて完全に無視をします。
余談ですが、この時、説明会の会場には、やはりコンペに指名された前川國男氏も
80歳という高齢ながら車椅子に乗って参加していたというのですからスゴイ。
なにがスゴイって、前川國男は磯崎新の師匠の丹下健三のそのまた師匠だからです。
三代にわたって師弟が参加するコンペなんて聞いたことがありません。
さらに余談ですが、前川國男の師匠はといえば、なんとこれが
近代建築の巨人ル・コルビジェだというのですからこれまたスゴイ話ではありませんか。
話を説明会に戻すと、丹下健三氏は磯崎氏だけではなく、
師匠の前川國男も無視します。かつての師も弟子もすべて「敵」なのです。
そして極めつきは説明会からの帰り道での出来事。
車に乗り込みスタッフが早速、隣に座った丹下にコンペの話を持ちかけようとすると、
黙って人差し指を唇に当て、「黙れ」と仕草で示します。
そして事務所に帰り着いた途端、猛烈にスタッフを叱りとばしたのです。
「車の中でコンペの話をするもんじゃありません!盗聴マイクが入っているかも
しれません!車の中では絶対に話しちゃいけません!」
丹下健三の情報管理は徹底していました。
コンペの間はスケッチや図面などどんどんゴミが出ますが、
これが流出して他の参加者に見られたりすることのないよう
新人2人を一日中シュレッダーに張りつかせていたといいます。
そして「ぶっちぎりで勝とう!ぶっちぎりで勝とう!」とスタッフを鼓舞し続けたのです。
建築界の巨人をこれほどまでに本気にさせたコンペではありますが、
実はコンペ要項を仔細に検討すると、容積率の規定のせいで
自動的に「超高層のツインタワーが正解」と導き出せてしまうのでした。
ところが、磯崎新氏はコンペに「低層階」の案を提出します。
キーワードは「錯綜体」と「広場」。
その斬新なコンセプトが生まれてくる過程はぜひ本を読んでいただきたいのですが、
当時、磯崎さんの提案がいかに新しかったかは、作品の説明書で、
村上春樹の小説から取り出した「やみくろ」への言及があったことでもうかがいしれます。
(「やみくろ」を知らない人はこちらを読みましょう。現代社会の重要な隠喩です)
コンペでは唯一の「低層階」である磯崎案が最後まで検討の俎上に上るものの
公的な建築では数々の実績を誇る丹下案が当選となりました。
これがぼくたちがいま目にしている東京都庁です。
現在の都庁について本書で知った面白い話をひとつ。
都庁が完成した時、ファサード(建物の表面)の独特の格子模様が、
コンピュータ・チップを連想させると多くのメディアで言われましたが、
本書で明らかにされたところによれば、あのデザインのもとになっているのは、
あるアメリカ人建築家が集めた日本の古い建築の意匠図の中にあった、
大阪のさる旧家の天井の模様なのだそうです。
(この本はこういうちょっとした面白いエピソードの宝庫です)
さて、この戦後最大のコンペには後日談があります。
横浜港国際客船ターミナル(後の横浜大桟橋)の国際コンペの
審査員となった磯崎新氏が、オランダから同じ審査員として招かれた
レム・コールハース氏を横浜の会場へと案内していたときのこと。
突然、コールハースが窓の外を指さしてこう言いました。
「おい、磯崎、あそこに君の都庁が建っているじゃないか。
コンペには負けたんじゃなかったのかい?」
「いや、違うんだ。あれは丹下さんの仕事なんだよ」
磯崎さんは苦笑しながら答えました。
コールハースが指さした先にあったのは、
なんとお台場のフジテレビ本社ビルだったのです。
投稿者 yomehon : 2008年07月21日 22:12