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2008年07月21日

巨大コンペをめぐる血湧き肉躍るドラマ


「あのさ、これまでの人生の中でいちばん感動したタテモノって何?」

昔々、まだ学生だった頃のこと。
友人が唐突にこんなことを訊いてきました。
とっさに何を尋ねられたのかわかりませんでしたが、
そいつが建築学科だったことに思い至ってようやく
「ああ、タテモノって建物のことね」と気がついたのでした。

それにしても変わったことを訊くやつがいたものです。
本とか映画ならまだしも建物なんて言われてもなあ。
その時はたしか「うーん、東京タワーかな~」などと
適当なことを答えてお茶を濁したような気がします。


けれども後年、フィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ教会で、
ぼくは友人の質問の意味を知ることになります。

混雑する昼間を避けて朝一番に訪れた教会で
入り口から聖堂の内部に入った途端、ぼくは息を飲みました。

暗がりの中、一筋の朝の光がステンドグラスを透過して
床に色あざやかな模様を描いていたのです。

その光景を目の当たりにした瞬間、背筋に震えが走りました。

「この世に神はいると思うか」と尋ねられたら
ぼくは答えに窮するような人間ですが、
あの瞬間だけは神の存在を認めたくなりました。
それくらい神々しさに満ちあふれた空間だったのです。

建物に感動する。空間に畏怖をおぼえる。
そういうことが実際にあるのだということをこの時初めて知りました。


ところで建物は人を感動させるものばかりとはかぎりません。

たとえばもしも「これまでの人生の中でいちばん怖かった建物は」と訊かれたとしたら?
ぼくは迷わず「水戸芸術館のタワー!」と答えます。(写真でもいかにも怖そうでしょう?)

この水戸芸術館を設計したのは磯崎新さん。


たまたま同郷ということもあって、子どもの頃からよく
磯崎さんの名前はよく耳にしていました。
現在は改修されたようですが、彼の出世作である
「大分県立大分図書館」などには何度通ったかしれません。

子どもの頃に抱いていた磯崎新さんのイメージは
「ヘンな建物をつくるおっさん」というもので、
まさか彼が世界的に有名な建築家だなんて思いもしませんでした。


そんな世界的に有名な建築家が、
建築界に君臨する自らの師匠に全力で闘いを挑んだのが、
いまから23年前、バブル前夜の1985年に実施された
新しい東京都庁舎をめぐる設計競技(コンペ)でした。

総工費1365億円。
新宿副都心の超高層ビル街の3ブロックに
延べ床面積約34万㎡の巨大ビルを建設するビッグプロジェクトです。

『磯崎新の「都庁」 戦後日本最大のコンペ』平松剛(文藝春秋)は、
新都庁舎設計コンペを軸に、戦後日本を代表するふたりの建築家、
丹下健三と磯崎新の師弟対決を描いたむちゃくちゃ面白い建築ノンフィクションです。


ところで設計コンペとはなんでしょうか。
瀧口範子さんは『にほんの建築家 伊東豊雄・観察記』(TOTO出版)という
これまたむちゃくちゃ面白い建築ノンフィクションの中でこんなふうに書いています。


「実は設計コンペは紀元前から行われている建築界の伝統である。
紀元前5世紀、ペルシア戦争に勝ったアテネが戦勝記念碑をアクロポリスに建てた際、
複数の建築家に案を出させて市民にその評価をゆだねた。その後時代をずっと下って
有名なコンペは、ブルネレスキが勝ったフィレンツェの花の大聖堂。これは15世紀初頭。
ホワイトハウス、パリのオペラ座、エッフェル塔、ロンドン議事堂なども、コンペの結果
生まれた建物である」   (15ページ)


新宿への移転は、当時丸の内にあった庁舎が手狭になったことから決定されました。
(この丸の内庁舎の設計者も丹下健三氏であったのは面白い)

コンペに指名された設計事務所は9社。
磯崎アトリエを除けばいずれも社員をたくさん抱えた大手ばかり。
しかも作品提出までの期限はたった3ヶ月。
わずか20名のスタッフを率いて磯崎新の挑戦が始まります。


建築家がコンペにのぞむまでにどんな作業をするのか、
その細部のドラマはぜひ本書を手にとって楽しんでいただくとして、
ここでぜひ触れておきたいのは、本書の登場人物たちについてです。

この本を読み物として非常に面白いものにしているのは、
登場人物のキャラクターによるところ大です。
特に磯崎氏の師匠である丹下健三のキャラ立ちぶりは特筆もの。


コンペ参加者への説明会が行われたときのこと。
遅刻しそうになった磯崎さんがエレベーターに駆け込むと
目の前に丹下健三が立っている。
かつての師匠ですからあわてて挨拶をするのですが
丹下氏はソッポをむいて完全に無視をします。


余談ですが、この時、説明会の会場には、やはりコンペに指名された前川國男氏も
80歳という高齢ながら車椅子に乗って参加していたというのですからスゴイ。
なにがスゴイって、前川國男は磯崎新の師匠の丹下健三のそのまた師匠だからです。
三代にわたって師弟が参加するコンペなんて聞いたことがありません。
さらに余談ですが、前川國男の師匠はといえば、なんとこれが
近代建築の巨人ル・コルビジェだというのですからこれまたスゴイ話ではありませんか。


話を説明会に戻すと、丹下健三氏は磯崎氏だけではなく、
師匠の前川國男も無視します。かつての師も弟子もすべて「敵」なのです。

そして極めつきは説明会からの帰り道での出来事。
車に乗り込みスタッフが早速、隣に座った丹下にコンペの話を持ちかけようとすると、
黙って人差し指を唇に当て、「黙れ」と仕草で示します。
そして事務所に帰り着いた途端、猛烈にスタッフを叱りとばしたのです。


「車の中でコンペの話をするもんじゃありません!盗聴マイクが入っているかも
しれません!車の中では絶対に話しちゃいけません!」


丹下健三の情報管理は徹底していました。
コンペの間はスケッチや図面などどんどんゴミが出ますが、
これが流出して他の参加者に見られたりすることのないよう
新人2人を一日中シュレッダーに張りつかせていたといいます。
そして「ぶっちぎりで勝とう!ぶっちぎりで勝とう!」とスタッフを鼓舞し続けたのです。


建築界の巨人をこれほどまでに本気にさせたコンペではありますが、
実はコンペ要項を仔細に検討すると、容積率の規定のせいで
自動的に「超高層のツインタワーが正解」と導き出せてしまうのでした。

ところが、磯崎新氏はコンペに「低層階」の案を提出します。

キーワードは「錯綜体」と「広場」。

その斬新なコンセプトが生まれてくる過程はぜひ本を読んでいただきたいのですが、
当時、磯崎さんの提案がいかに新しかったかは、作品の説明書で、
村上春樹の小説から取り出した「やみくろ」への言及があったことでもうかがいしれます。
(「やみくろ」を知らない人はこちらを読みましょう。現代社会の重要な隠喩です)


コンペでは唯一の「低層階」である磯崎案が最後まで検討の俎上に上るものの
公的な建築では数々の実績を誇る丹下案が当選となりました。


これがぼくたちがいま目にしている東京都庁です。


現在の都庁について本書で知った面白い話をひとつ。
都庁が完成した時、ファサード(建物の表面)の独特の格子模様が、
コンピュータ・チップを連想させると多くのメディアで言われましたが、
本書で明らかにされたところによれば、あのデザインのもとになっているのは、
あるアメリカ人建築家が集めた日本の古い建築の意匠図の中にあった、
大阪のさる旧家の天井の模様なのだそうです。
この本はこういうちょっとした面白いエピソードの宝庫です)


さて、この戦後最大のコンペには後日談があります。

横浜港国際客船ターミナル(後の横浜大桟橋)の国際コンペの
審査員となった磯崎新氏が、オランダから同じ審査員として招かれた
レム・コールハース氏を横浜の会場へと案内していたときのこと。

突然、コールハースが窓の外を指さしてこう言いました。

「おい、磯崎、あそこに君の都庁が建っているじゃないか。
コンペには負けたんじゃなかったのかい?」

「いや、違うんだ。あれは丹下さんの仕事なんだよ」
磯崎さんは苦笑しながら答えました。

コールハースが指さした先にあったのは、
なんとお台場のフジテレビ本社ビルだったのです。

投稿者 yomehon : 22:12

2008年07月20日

 直木賞受賞作『切羽へ』は大人のための少女小説である!


いや~思いっきりハズしてしまいました。

第139回直木賞はご存知のとおり
井上荒野さんの『切羽(きりは)へ』(新潮社)が受賞しました。

個人的には予想屋の一線を踏み越えて、
「いかに世の中を騒がせるか」という
なかば興行主的な視点から
『のぼうの城』を推していたんですが、
意外にも受賞作に選ばれたのは、候補作の中では
いちばんおとなしめなたたずまいの『切羽へ』でした。

ともあれ受賞はおめでたいことです。
あらためて『切羽へ』をちゃんとご紹介いたしましょう。


この小説はとても印象的な書き出しで始まります。


「明け方、夫に抱かれた。
大きな手がパジャマの中にすべり込んできて、私の胸をそうっと包んだ。
その指がゆっくり動くのを、私は眠りの中で感じていた。夫は、夜更けて
布団に入ってくるとき、私を眠らせたまま抱こうとすることがよくあった」


離島の小学校で養護教諭をしている妻と画家の夫。

本の帯には「彼に惹かれてゆく、夫を愛しているのに――」とあって、
主人公がこれから他の男に心を奪われる運命にあることを読者も知っています。
だからこそこの冒頭の描写は効果的です。

夫はまだ何も知らない。もちろん妻も――。

読者はふたりの行く末に不穏な影を感じとる一方で、
これからいったい何が起きるのかと期待を膨らませるのです。

物語の舞台となっているのは、おそらく長崎あたりの離島です。
この島の小学校にある日、東京から石和という男が赴任してきます。
閉鎖的なコミュニティに外部から来訪者がやってくる。
普遍的な物語の形式を踏襲しています。


物語は当初、何かが起きそうな予感に満ちています。

たとえば春休み最後の一日を過ごす主人公の描写。
夫は個展の打ち合わせで上京して不在です。
この一日の描写のそこここに、作者は巧みに
性的なものを連想させるアイテムを忍び込ませていきます。

主人公がしずかさんという一人暮らしの老婆を訪ねたとき、
旦那にちゃんと抱かれていないんじゃないかとからかわれ、
海沿いの道で春の海に「なまめかしい匂い」を感じ、
教え子の母親からは夫の不在を言い当てられ動揺し――というふうに。


「もちろん、トシコの母親は、私が一人で散歩しているから、
そう言ったのかもしれない。けれども私は、しずかさんがからかったように、
自分の体の隅々が、この数日夫に触れられていないことを
歌いたてているような気がした。あるいはぴちぴち跳ねる魚――
さっきトシコが見せてくれた青いガラスのような目をした魚や、
匂いたてる熟れすぎた果物を、お腹の前に抱えて歩いているようにも」(31ページ)


このくだりの直後に、主人公は集合住宅の前で
偶然会った男と初めて言葉を交わすのです。
このあたりの持って行き方はとてもうまい。


この後、主人公は次第に男に惹かれていきます。
夫がいるにもかかわらず別の男に心が傾いてゆく。
その様子を、作者は「切羽」にたとえます。


「トンネルを掘っていくいちばん先を、切羽と言うとよ。
トンネルが繋がってしまえば、切羽はなくなってしまうとばってん、
掘り続けている間は、いつも、いちばん先が、切羽」 (195ページ)


けれども、こんなふうに語るわりには主人公は最後まで一線を越えません。
これが僕には不思議でならない。
いい年をした男女が出会い、何かが起きる予感があるにもかかわらず
なにもないということがあり得るだろうか。
そう思ってしまうのです。

たとえば直木賞の選考委員でもある林真理子さんには
『不機嫌な果実』(文春文庫)という不倫小説の傑作があります。

この中で、男と初めて関係をもった後、帰宅した主人公が
バスルームで脱いだ下着に情事の痕跡を認め、洗濯機をまわす場面が出てきます。

エロティックな情事の記憶と主婦としての生活感が
見事なまでの合わせ技で描かれていて、
「ああ主婦が不倫するとこういう感じなんだろうな」とうなずける
リアリティの感じられる描写です。


『切羽へ』にはこの『不機嫌な果実』が持っているようなリアリティがないのです。
これではまるで少女小説のようではないか――ここで僕はハタと気がついたのでした。

「そうかこの小説は少女小説の大人版なんだ!」

そう考えれば、こういう小説もありかも、と思えます。


「私たちは見つめあった。辺りが暗くて、もう表情もよくわからなかったが、
石和は本当はこんな顔をしていたのだと、そのときはじめて知った気さえした。
石和は指を二本、自分の唇にあてた。それからその指を私のほうへ近づけた。
素早い、乱暴とさえいえる動きだったのに、指は私の唇の前でふっと止まった。
『さようなら』 」(195ページ)


ああ、まさに少女小説のようだ。
平成の世にこんな別れ方をする
大人の男女が現実にいるだろうか!

でも心理描写は繊細だし、
この手のナイーブな小説が好きな人にはおすすめできる作品です。


「もうちょっとリアリティのある作品のほうがいい」という人には、
同じ井上さんの作品で、前回の直木賞候補にもなった短編集『ベーコン』がおすすめ。

僕は、出会ったばかりの若いサラリーマンを家に招き入れてセックスし、
その夜何事もなかったかのように家族のために夕食を作る主婦の話が
特に印象に残っています。女の底知れなさを感じてゾッとしました。

井上荒野さんはそういうお話も書ける作家です。

投稿者 yomehon : 00:45

2008年07月13日

第139回直木賞直前予想! (後編)


前回からのつづきです。
第139回直木賞の候補作は以下の6作品。


『切羽へ』 井上荒野 (新潮社)

『愛しの座敷わらし』 荻原浩 (朝日新聞出版)

『あぽやん』 新野剛志 (文藝春秋)

『鼓笛隊の襲来』 三崎亜紀 (光文社)

『千両花嫁 とびきり屋見立て帖』 山本兼一 (文藝春秋)

『のぼうの城』 和田竜 (小学館)


前回のブログで、ぼくは「直木賞らしさとは何か」ということが
今回の賞の行方を予想するうえで大きな鍵になると申し上げました。

では、そのキーワードにしたがって各候補作をみていくことにしましょう。


井上荒野さんの『切羽へ』は恋愛小説です。

離島の小学校で保健の先生をしている女性が主人公。
この女性には画家の夫がいますが、本土から赴任してきた男性教諭に
次第に心を惹かれて行きます。

「切羽(きりは)」というのは、トンネルを掘り進む時のいちばん先のこと。
こういう言葉をタイトルに持ってくるからには、主人公はやがて自分を取り巻く
日常の壁を突き破って向こう側へ行ってしまうのではないかと思いきや、
意外なくらいにおとなしいクライマックスを迎えて拍子抜けしてしまいます。

前回の直木賞『私の男』が、人の道を踏み外して、それこそ切羽を突き破って
あちら側に行ってしまった男女を描いていたのからすれば、この『切羽へ』
いかにもスケールダウン。

前回のブログでも紹介しましたが、
芥川賞・直木賞の事務方を長く務めた高橋一清さんは、
『あなたも作家になれる』(KKベストセラーズ)の中で、
同じ系統の作品の受賞が続くと縮小再生産になるので、
候補作を選ぶときは、前回の受賞作とかぶらないように
していたという意味のことをおっしゃっています。

前回の受賞作が『私の男』という恋愛小説の傑作であったことを考えると
井上さんの受賞はないでしょう。


『あぽやん』は、空港を舞台に旅行会社に
勤務する主人公の活躍と成長を描いた一冊。
「あぽやん」というのは、あらゆるトラブルを解決して
無事にお客さんを送り出す空港のエキスパートのこと。

まず空港という場所を素材に選んだのは正解でした。
空港はさまざま人間が交錯する場ですから物語が生まれやすい。

作者の新野剛志さんは、さすが旅行会社に勤務していただけあって
そのあたりは心得たものです。細かいエピソードのひとつひとつが生きています。

とはいえ、それだけなのが残念です。

この小説は、まるでテレビドラマを観ているかのように安心して楽しめる小説ですが、
直木賞にふさわしい時代を象徴するような風格には欠けます。

新野剛志さんは江戸川乱歩賞を受賞したデビュー作『八月のマルクス』
お笑いの世界を題材に選びました。笑いの世界を活字で描くというのは
なかなか難しいのですが、新野さんは健闘していました。
(余談ですが芸人の世界を描いてもっとも成功している小説は山本幸久さんの
『笑う招き猫』です。山本さんはいずれ直木賞をとる作家です)

意欲的なジャンルに挑戦していたデビュー作に比べると、
『あぽやん』はいかにも安全で危なげない内容になっています。

また空港を舞台にした人間ドラマということでみても、
矢島正雄さん原作のコミック『ビッグウィング』はじめ優れた先行作品があります。

「受賞作はなぜ『あぽやん』でなければならないか」と考えたとき
どうしても積極的な理由が浮かびません。残念ながらこれも受賞はないでしょう。


次は三崎亜紀さんの『鼓笛隊の襲来』。
この小説がいかに特異なものかを知っていただくには、
表題作の冒頭を引用するだけで十分です。


「赤道上に、戦後最大規模の鼓笛隊が発生した。
鼓笛隊は、通常であれば偏西風の影響で東へと向きを変え、
次第に勢力を弱めながらマーチングバンドへと転じるはずであった。
だが今回は、当初の予想を超えて迷走を続け、徐々に勢力を拡大しながら、
この国へと進路を定めた。
(略)
上陸予想ポイントである崎矢岬では、鼓笛隊を迎え撃つ準備が着々と進められていた。
岬の突端に突貫工事で特設ステージが設えられた。一翼二百メートルの扇状をなす、
実に一千人規模の、巨大なオーケストラ・ステージだ」


『鼓笛隊の襲来』は、この手の話が9編おさめられた短編集。
ジャンルでいえばファンタジーにあたるでしょう。
実のところ今回の候補作でもっともクリエイティブだと感じたのが
この『鼓笛隊の襲来』でした。

ただし直木賞の性格を考えると受賞は難しいのではないか。

直木賞はなぜかファンタジーに冷たいのです。
もっと正確にいえば、ファンタジー度の低い
「ちょこっとだけファンタジー」という作品は許容するけれども
純度の高いファンタジーは受け付けないというか。
よって『鼓笛隊の襲来』の受賞はないでしょう。

でも素朴な疑問なんですけどこれって芥川賞候補でもいいのでは?
直木賞ではファンタジーとして敬遠されても、
芥川賞では「現代の寓話」とかって高く評価されそうな気もするんですが。


さて、このあたりから本命の予想に入って行きます。


本命候補その1。
荻原浩さんの『愛しの座敷わらし』は、
都会から田舎に引っ越した一家が
座敷わらしと出会うことで家族の絆を取り戻していくお話。

「なんだファンタジーじゃん」とツッコミが入りそうですね。
「ファンタジーは直木賞に不利と言ったその舌の根も乾かぬうちに
ファンタジーを本命として推すのは何事か」と。

おっしゃるとおりこの作品はファンタジーの一種といえます。
でも、ファンタジーといってもその要素は座敷わらしくらいで、
あとはいたって普通の家族小説。
まさに直木賞許容範囲の「ちょこっとだけファンタジー」レベルの作品といえます。
(歴代の受賞作から「ちょこっとだけファンタジー」という作品を探すと
たとえば景山民夫さんの『遠い海から来たCOO』なんかがそう)

あたたかい視点で家族の再生を描いた小説ではありますが、
同じテーマを描いた奥田英朗さんの『サウスバウンド』なんかに比べると
爆発的な面白さには欠ける小粒な作品。
これが受賞作にふさわしいかといえばちょっと迷うところで、
本命よりは対抗あたりにとどめておくのが無難かもしれません。

本命候補その2は
山本兼一さんの『千両花嫁 とびきり屋見立て帖』です。

一読して感じたのは、文藝春秋の担当編集者は、
この作品で山本さんに直木賞をとらせたいのだなということ。

山本さんはこれまで、築城のプロフェッショナルを主人公にした『火天の城』
鷹匠を主人公にした『戦国秘録 白鷹伝』など、「戦国技術者小説」とでも呼ぶべき
一連の作品を書いてきました。

そのマニアックな作風から、これまでは直木賞のような華やかさとは
無縁の作家だったのですが、この『千両花嫁』では、
より一般受けする方向へ軌道修正をしてきました。

物語は幕末の京都を舞台に、駆け落ちして道具屋をひらいた真之介とゆずが、
持ち前の度胸と目利きで次々にいわくつきの道具をさばいていくというストーリー。
新撰組や勝海舟、坂本龍馬ら幕末の志士や傑物を、真之介が道具さながら
目利きする様も面白く、なかなかに読ませる連作短編集に仕上がっています。

第1回の川口松太郎の受賞以来、
直木賞には人情ものをひいきにする傾向があります。
「直木賞らしさ」ということを考えれば『千両花嫁』
受賞するにまことにふさわしい作品といえるでしょう。


でもぼくはあえて別の作品を推したいのです。
それはこのブログでもたびたび取り上げてきた『のぼうの城』です。


石田三成と成田長親との忍城をめぐる攻防を描いた『のぼうの城』は、
「でくのぼう」であるがゆえに人々を魅了し統率するという、
これまでの時代小説にはない新しいヒーロー像を創り出した作品です。

作者の和田竜さんは、デビュー作にして時代小説の歴史に
新たな1ページを記すという離れ業をやってのけました。

冒頭の歴史的事実の記述がやや重いなど
デビュー作であるがゆえの瑕疵も目につきます。

でもぼくはこの『のぼうの城』を受賞作とすべきだと考えます。

前回の直木賞は桜庭一樹さんが受賞し、
芥川賞の川上未映子さんとあわせておおいに盛り上がりました。

直木賞は社会的事件でなければならない。
ぼくはそう考えます。
言い換えれば、社会的に話題になるような作品こそが
もっとも直木賞らしい作品なのです。

あれだけ盛り上がった前回にひけをとらないためには、
デビュー作が即直木賞という『のぼうの城』しかありません。
これで芥川賞を楊逸(ヤンイー)さんが初の中国人作家として受賞すれば
たいへんな話題になるはずです。

デビュー作即直木賞といえば金城一紀さんの『GO』がそうでした。
あの時も話題になりましたが、『のぼうの城』もすでに各書店でイチ押しになるなど
下地は十分に整っています。これで直木賞受賞となれば、一挙にミリオン突破で
社会現象にまでなるでしょう。


ビギナーズラックを疑う選考委員がいたとしても、
和田さんには『忍びの国』という素晴らしい出来の2作目があるので心配なし。

また、歴史小説や時代小説は賞の興行もとの文藝春秋の十八番でもあります。
和田竜さんのような才能ある書き手ははやいとこ取り込みたいはずです。

ならば今回、『のぼうの城』ほど直木賞にふさわしい作品はありますまい。


選考委員の皆々様、
以上のような理由から拙者は
『のぼうの城』を第139回直木賞受賞作として選び申した。

貴君らも『のぼうの城』を選ばれよ。

さすれば、前回に引き続いて今回も、
直木賞は賞としての社会的影響力を、
賞としての威厳を天下に知らしめることになるであろう!

・・・・・・ただし拙者、外しても腹は斬らぬ。

投稿者 yomehon : 22:18

2008年07月09日

第139回直木賞直前予想! (前編)


また夏がやってきた。直木賞の夏が――。

というわけで、半年にいちどの直木賞予想の季節がやってまいりました。

文藝春秋から一般向けに候補作が発表されたのが7月3日。
選考委員会が開かれるのが7月15日。
このわずかな期間にすべての候補作を読み直して予想をたてるのは、
毎度のこととはいえ正直しんどい。なかなかに骨の折れる作業です。

もうちょっと早くラインナップを知ることができたら
余裕をもって候補作を読み込めるのになあ。
いったい直木賞の候補作はどんなふうに決められているんだろう??

そんな疑問を抱いていた矢先、面白い本を発見しました。


『あなたも作家になれる』高橋一清(KKベストセラーズ)は、
芥川賞や直木賞の舞台裏などのエピソードがふんだんに盛り込まれた一冊。
著者は文藝春秋の名物編集者として数多くの作家を育てたほか、
事務方として実際に芥川賞・直木賞の運営にも携わった経験もお持ちです。

高橋さんによれば、候補作は以下のようなプロセスで選ばれているようです。


まず下読み委員会による下読み。

4人編成のチームを5チーム用意し、それぞれで作品を読んでいきます。
対象となるのは、文芸誌や同人誌(直木賞の場合は単行本も)の中から選ばれた
「候補作」候補の作品たち。

まずチームでふるいにかけ、さらに残ったものを全チームで読んで絞り込みます。
チーム編成も似たようなタイプの組み合わせは避け、ベテランと新人を組み合わせたり、
好みの作品が違っている者を組み合わせたり、あるいは男性や女性だけのチームを
作らないようにするなど気を遣うというのですから大変です。


下読みで「予選通過作」が絞り込まれると、次に待っているのは作家への連絡。
要するに候補作にあげてもいいかという意思確認をとるのです。
(そんなことしないでもOKに決まってるじゃんと思いきや、断る人もいるというのですからオドロキ)


そして候補作が出そろい選考委員のもとに作品を届けられるのが選考会の約1ヶ月前。
(うちにも届けてくんないかなー)

ある人から聞いた話ですが、某有名書店のPOSデータをみていたら、
同日同時間帯に、いくつかの作品がそれぞれ20冊ずつきれいに売れていて、
(要するに同一人物がそういう買い方をしたということですね)
「変な買い方をする人がいるな~」といぶかしく思っていたら、
文藝春秋から発表された直木賞の候補作の中にそれらが入っていたそうです。
選考委員など関係者用に一括購入したのかどうかはわかりませんが、
その人の記憶では「2週間以上前」ということでしたから、なんとなく時期はあいます。


こうして候補作が選考委員会に諮られ、栄えある受賞作が選ばれるわけです。
受賞後の記者会見はニュースなどで見慣れた光景ですね。

ぼくが好きなのは、山本一力さんのエピソード。
名作『あかね空』で受賞の報せを受けた山本さんは、
家族全員で自転車に乗って記者会見場に向かうのです。
奥さんと小さなお子さんたちとせっせとペダルを漕いで
江東区から千代田区の東京會舘まで。
一家はどんなに晴れがましい表情で隅田川を渡ったのでしょう。
これだけでも一本の短編小説になりそうなエピソードではありませんか。


ところで高橋さんは、芥川賞と直木賞は日本の文芸の流れを決めていく
たいへん重要な賞だとして、各賞をこんなふうに定義しています。


「時代の歯車を回すエポック的な作品に与えられるのが芥川賞。
直木賞は、後々まで大衆小説家として作品を生み出し、
世の中に楽しみを与えてくれる作家の作品に与えられていく」(11ページ)


簡にして要を得た定義です。
そのような文芸の今後を担う重要な作品を選ぶ場であるにもかかわらず、
実は高橋さんはわざと選考委員会が揉めるように仕向けていた、
というのですから面白い。

つまり選考委員が目移りして判断に迷うように、
毎回あえてさまざまな傾向の作品を候補作に選んでいたというのです。

高橋さんは、候補作がある傾向に偏ってしまった結果、意図せぬかたちで
新しい文学の流れが生まれてしまう危険性をこんなふうに言います。


「たとえば三、四人くらいの狭い人間関係の中での葛藤を描いた小説が
受賞した場合、次は二人で葛藤するような作品が受賞し、その次は一人で葛藤する。
ほとんど精神病理学のテキストのような小説が受賞するといった、ある傾向に拍車が
かかったような文学の流れが誕生してしまうのだ。川は蛇行しているほうがよく、
ストレートに流れると、スピードは速いけれども、或る日突然、決壊する。
つまり、その受賞作とそれへの評価は、次の芥川賞・直木賞の選び方に影響を与える。(略)
私たちはまさに文学の流れの中にいて、芥川賞直木賞のような大きな賞は、
その川の流れと幅を決め過ぎないように決めていく役割を担っている。
今年選んだ作品が、来年の、再来年の文学の方向を決め、書店に並ぶ小説の
傾向を決め、日本の文学のこれからをゆるやかに決めていくのだ」(19ページ)


おお!受賞作の予想におおいに役立ちそうな秘密が明かされているではないか!
受賞作は、これまでの芥川賞や直木賞の歴史の影響下で決められる。
高橋さんはそう明確に語っています。


さて、前置きが長くなりました。
そろそろ第139回直木賞の話に戻らなければなりません。
今回の候補作は以下の6作品です。


『切羽へ』 井上荒野 (新潮社)

『愛しの座敷わらし』 荻原浩 (朝日新聞出版)

『あぽやん』 新野剛志 (文藝春秋)

『鼓笛隊の襲来』 三崎亜紀 (光文社)

『千両花嫁 とびきり屋見立て帖』 山本兼一 (文藝春秋)

『のぼうの城』 和田竜 (小学館)


いずれ劣らぬ力作揃い。
ではあるものの、前回あれだけ芥川賞直木賞の受賞作が
大きな話題となっただけに、今回の予想は難しいというのが正直なところ。

でも糸口はあります。

ぼくは「直木賞らしさとは何か」ということが
今回の予想の大きなキーワードになると思うのです。

                            (つづく)

投稿者 yomehon : 01:18