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2008年05月11日

手に脂汗握る航空小説


この世でなにがいちばん嫌いかと聞かれたら、
迷うことなくぼくは「飛行機!」と答えます。

出張などでどうしても乗らなければならない時は、
「いままで世話になった。ありがとう。君のことは恨んでいません」と
ヨメに遺言メールを送り、決死の覚悟で搭乗しているほどです。
なぜか毎回返事はありませんが。

そもそもあんな巨大な金属の塊が空を飛ぶことに対して、
どうしてみんなギモンを持たないんでしょうか。
あれは絶対にムリヤリ宙に浮かせているのであって、
いつムリがたたって真っ逆さまに墜落するかわかったものではありません。

そういう飛行機そのものへの不信感だけでなく、
もう少しこの恐怖心の正体について考えてみると、
要するに「いざというときに為す術のない状況に置かれること」が
怖くてたまらないのだということに気づきます。

列車にしても船にしても、事故に遭遇したら少なくとも
自力で脱出したり陸まで泳ぎ着いたりできるかもしれないという
希望(幻想?)は抱くことができます。

でも飛行機はそうはいかない。

考えてもみてください。
いざという時に空の上で乗客に出来ることがいったいどれくらいあるか。
せいぜいパイロットにすべてを委ねて神に祈るくらいが関の山でしょう。

もうすぐ死ぬとわかっているのになにもできない。
ただ座して死を待つのみ。
こういう状況にぼくは耐え難い恐怖をおぼえるのだと思います。


そんな飛行機恐怖症にとって
これ以上ないくらいに最悪かつ絶望的な状況を描いた小説が
『霧のソレア』緒川怜(光文社)です。

どれくらい最悪かつ絶望的なのか、ちょっとさわりを引用してみましょう。


ジャンボ機が高度五千二百フィートを通過したところで、
いよいよ恐れていた事態が発生し始めた。
それはボンという小さな音だった。
航空機関士パネルの計器でエンジンの数値を確認すると、
既に十分に覚悟を決めていたためか佐伯が思いの外淡々とした口調で言った。
「第四エンジンがフレームアウト(燃焼停止)した」
「了解」
左右のエンジン推力がアンバランスになり、
ジャンボ機の機首がわずかに右側に持っていかれる。
玲子は右足で踏んでいる方向舵ペダルを戻し、
右旋回は続けたまま機体のバランスを取った。
このままできるだけ小回りに旋回し、
最短のコースで再び滑走路34Lに進入するしかない。
少ししてまた不快な音がした。
「第一エンジンもフレームアウト」
「了解」
数秒後、肉体から魂が抜けていくように
三つ目のエンジンの音もすーっと消えてしまった。
「第三エンジンも止まった」        (267ページ)


何度読んでも気を失いそうになる文章です。
飛んでいる最中にエンジンが停止する。
それもひとつではなく複数のエンジンが!
この世にこれ以上の悪夢があるでしょうか。

でも、この小説で描かれる悪夢はこれだけではありません。


物語は、389人の乗員乗客を乗せた日本トランス・パシフィック航空73便が、
いままさにロサンゼルス国際空港を飛び立とうというところから始まります。

いちどは離陸を試みるものの、滑走路でエンジンが鳥を吸い込んだことから
離陸をとりやめ、点検のために出発を遅らせる73便。

この遅れが、その後いくつもの偶然の連鎖を生み出します。

出発が遅れたことで、ある人物がたてた計画にわずかな狂いが生じ、
またある人間がギリギリ搭乗に間に合います。

物語の冒頭でバラバラの出来事として描かれるこれらの偶然が、
やがて悲劇的展開に向かってひとつに結びついていくのですが、
このあたりの構成の妙は前半部分の大きな読みどころとなっています。

人によっては、この偶然の連鎖をご都合主義だと感じるかもしれません。
けれども僕らは一方で、悲劇というのはいつだって小さな不運が重なり合って
生じるものだということを知っています。
それを思えば、作者の意図はじゅうぶん許容できるものだと思います。

ともあれ、偶然が重なった結果、貨物室で爆弾が爆発するという悲劇が起き、
快適なフライトは死と隣り合わせのフライトへと一変します。

機体を激しく損傷したうえにヴェテランの機長も死亡。
乗客の命は若き副操縦士・高城玲子の腕に委ねられます。

しかし、彼女を信じられない困難が次から次に襲います。
エンジンの停止、滑走路を覆い尽くす濃霧、
そしてなぜか73便に対して電波妨害を仕掛ける米軍・・・・・・。
およそ考えつく限りの最悪の事態が
これでもかというくらいに降りかかります。

このような絶体絶命の危機的状況の下、
73便は成田への着陸を決行します。

それもたった一度のチャンスにすべてを託して――。

まさに巻措くにあたわずという物語ですが、
過去にも似たような小説がないわけではありません。

たとえば『超音速漂流』トマス・ブロック(文春文庫)
航空パニック小説の傑作です。

『超音速漂流』では、巨大旅客機が米軍の極秘ミサイル実験に巻き込まれ、
胴体に穴をあけられます。乗客と乗組員のほとんどは、穴にすいこまれるか、
酸素欠乏症で脳をやられてしまいます。

無傷で機内に残ったのは、中年のアマチュア・パイロットと客室乗務員、
それに12歳の少女の3人!(それにしても作家というのはどうしてこんな
心臓に悪い展開ばかり思いつくんでしょうね?)

しかも米軍はミサイルの存在を隠蔽するために航空機を抹殺しようとし、
さらに信じられないことに、脳に障害を負った多数の乗客の補償問題に
直面した航空会社も事故機を消し去ろうとするのです。


機体が致命的なダメージを受け、
操縦士も何らかのハンデを負っており、
着陸に外部からの妨害が入る。
この物語のパターンは、そっくりそのまま『霧のソレア』にも当てはまります。

でもパターンを踏襲しているからといって
決して面白さが損なわれるわけではないのでご安心を。


この小説でまずなによりも素晴らしいのは、ヒロインの高城玲子でしょう。

玲子の父親もかつて日本トランス・パシフィック航空のパイロットでしたが、
彼女が4歳の時、パキスタンの空港に夜間のファイナル・アプローチ
(最終着陸進入)中、空港の手前約1キロの荒野に墜落し死亡します。

その後行われた調査で、高城機長らクルーが墜落まで
まったく異常な降下に気がついていなかったことが明らかになります。

本当は事故の原因はパキスタン側にありましたが、政治的思惑なども絡み、
乗員の操縦ミスということで片付けられ、玲子の父親には汚名だけが残りました。

物語の中で、ヒロインの玲子には、困難な状況の下、乗客の命を救うという
使命が課せられます。作者は巧みに、その過酷なミッションを
父親の名誉を回復させるためのもうひとつの戦いに重ね合わせることで、
玲子を読者の共感を得やすいキャラクターに仕立てることに成功しています。


文章のそこら中に散りばめられた
作者の航空機に関する圧倒的な知識も見過ごせません。

たとえば茨城県・百里基地から航空自衛隊のF15Jがスクランブル発進する場面。


岡田はACESⅡ射出席に小柄な身体を沈めるやいなや、
中央計器パネル右下のジェット燃料スターターのハンドルを引いた。
旅客機のAPU(補助動力装置)に相当する小さなタービン・エンジンが回り出して
動力や空気を迎撃戦闘機に供給し始めると、計器の一部に光がよみがえった。
(略)
左手でフィンガーリフトを操作するだけでエンジン始動のシークエンスが
自動的に開始され、右側のプラット&ホイットニー社製F100ターボファン・エンジンが
回り出す。回転数が上がったのを確認してスロットルレバーをアイドルの位置まで
前に進めると、ジェット燃料JP4が燃焼室に送り込まれた。
点火。
右側の空気取り入れ口がドンという音とともにフルダウンの位置まで垂れ下がり、
岡田はエンジンが一発でかかったのが分かった。回転数の数値が上昇し、
エンジンの金属音が高まっていく。
一分で開閉する格納庫の横開きドアが開き始める。   (242ページ)


領空侵犯の恐れがある航空機に対してスクランブル発進の命令が下されると、
彼らは5分以内に空に上がらなければなりません。
その緊急出動の様子がパイロットの目になりかわったかのように細かく描写されていて、
読んでいるとまるで自分がコクピットに座っているかのような気にさせられます。
このような迫真のディテール描写は物語の骨格を支える重要なピースとなっています。


『霧のソレア』は第11回日本ミステリー文学大賞新人賞の受賞作ですが、
この仕上がりはにわかに新人のデビュー作とは信じられません。

ともかく読み始めたら止まらない
手に汗握る(ぼくの場合は脂汗)航空小説の佳作です。

飛行機が好きな人も嫌いな人も
ぜひこの恐怖のフライトを体験してください。

投稿者 yomehon : 2008年05月11日 13:54