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2008年02月11日

千年後の世界


いまから千年前の日本がどんな時代だったか。あなたは知っていますか?

ちょうど千年前の1008年といえば、花山(かざん)天皇が亡くなった年です。
花山天皇はこれより22年前の寛和2年(986年)、謀略によって突如退位しました。
後を継いで即位したのは一条天皇。この年から1011年まで続いた一条朝は、
紫式部や清少納言、安倍晴明らが大活躍したきわめて面白い時代でもあります。
興味のある方は、山本淳子さんの『源氏物語の時代』(朝日選書)という
これまたきわめて面白い本がありますのでぜひ手にとってみてください。


宮廷を舞台に謀略と愛憎が渦巻くドラマチックな時代が千年前の日本だとするなら、
いまから千年後の日本にはいったいどんな光景が広がっているのでしょうか?

貴志祐介さんの『新世界より』(講談社)は、上下巻あわせて千ページを超える
圧倒的ボリュームで千年後の日本を描き出してみせたSF超大作です。

舞台となるのは利根川の下流にある神栖66町。物語は、この町で育った
渡辺早季という女性が後年したためた手記というかたちをとっています。

読者はすぐにこの神栖66町が奇妙な町であることに気がつくはずです。

この町は八丁標(はっちょうじめ)という注連縄によって結界が張られていて、
子供たちは幼い頃から八丁標の外には決して出てはいけないと教えられています。
八丁標の中は強力な呪力で守られているから安全だというのです。

現代社会を支えている原理は言うまでもなく科学技術ですが、
『新世界より』で描かれる千年後の日本を支配しているのは「呪力」です。

呪いや呪術を題材にした作品と聞いて真っ先に思い浮かぶのは中島らもさんの傑作
『ガダラの豚』(集英社文庫)です。 『ガダラの豚』では呪力を使えるのが呪術師や
お坊さんなど一部の人間に限定されていたのに対し、 『新世界より』ではすべての
人間に呪力が備わっているとされ、子供たちは学校で使い方を学んでいます。

学校で呪力の使い方を学ぶなんてとこはちょっとハリポタを連想させたりもしますが、
物語が進む中で徐々に鮮明になってくるのはむしろX―MEN的なテーマです。

つまり、能力を持つ者と持たざる者との対立や、超能力を獲得することで人間は
幸せになれたかといったテーマが次第に浮かび上がってくるのです。
(最終的にはさらに大きなテーマに行き着くのですがそれは後述します)

とはいえ、いくら深遠で哲学的なテーマが掲げられていようと、
ストーリーが面白くなければ読み続ける気にはなれません。

その点、貴志祐介さんは小説巧者だけあってぬかりがない。

まず読者を飽きさせずに引っ張っていくアイテムとして
大きな役割を果たしているのは、物語に横たわる「謎」です。

人間はどうやって呪力を獲得したのか。
そもそもなぜ町は結界で守られているのか。
人々が均質的で町にひとりも犯罪者がいないのはなぜか。
やがてそうした事実の裏に驚くべき真相が隠されていることが明らかにされます。

もうひとつ、物語を魅力的なものにしているのは、
千年後の世界を構成する不思議な生き物たちです。

バケネズミや風船犬、カヤノスヅクリ、ミノシロ、スミフキ、不浄猫――。

架空の生物といえばジョアン・フォンクベルタの『秘密の動物誌』(ちくま学芸文庫)
思い浮かびますが、作者が想像力をふりしぼって造型した生き物たちも負けず劣らず
魅力的。これらの生き物たちは長い物語を単調に陥ることから救っています。


それにしても貴志祐介さんの多彩な作風には驚かされます。
『黒い家』(角川ホラー文庫)に代表されるホラー作品のイメージが強かった
貴志さんですが、4年前にいきなり『硝子のハンマー』(角川文庫)という作品を発表し、
世のミステリー好きを唸らせました。
なぜならこの『硝子のハンマー』は本格推理の王道を行く作品だったからです。
厳重なセキュリティを誇るオフィスビルでの密室殺人のトリックは、
本格推理プロパーの作家にも負けないくらいに完成度の高いもので、
発表当時、「貴志さんにはこんな引き出しもあったのか!」と驚かされたものです。

ところが次に『新世界より』で貴志さんが挑んだのはSFです。
しかもまたしてもこの高い完成度!そしてこの素晴らしい筆力!
誰も目にしたことがない(当たり前か)千年後の世界を見事に構築してみせた上に、
物語の長さが気にならない高いリーダビリティーを獲得しているのですから凄い。

貴志さんは以前どこかで、ホラーとミステリーとSFというそれぞれのジャンルで
何が大切かという話をされていて、たしかホラーで大切なのは「効果」で、
ミステリーで大切なのは「手法」、そしてSFで大切なのは「テーマ」であると
定義されていたと思います。

その伝で言うなら、 『新世界より』で貴志さんが取り組んでいるのは、
「人間の持っている攻撃性をどう考えるか」という壮大なテーマではないでしょうか。

抜群に面白く、そして深いテーマもあわせもった器の大きな作品。
次の週末、部屋にこもりっきりになるのを覚悟してぜひ読んでみてください。

投稿者 yomehon : 22:47

2008年02月03日

三面記事のような人生


朝の番組を担当していた頃なので
たぶん3~4年前のことになるかと思いますが、
ある朝ふと目にした新聞記事のことがいまでも忘れられません。

それは社会面の片隅に小さく掲載されたいわゆる三面記事で、
長患いで悩んでいた妻の自殺に手を貸した夫が、
自殺幇助の罪でつかまったという内容でした。

ぼくが心を動かされたのは自殺にいたるまでにふたりがとった行動です。

夫は妻を自転車の荷台に載せて、
死に場所を求めしばらくあちこちさ迷っていたというのです。

この間ふたりはいったいどんな会話をかわしたのでしょうか。
自転車を漕ぎながら夫は何を思い、
また夫の背中に顔を寄せながら妻はどんな気持ちでいたのでしょうか――。

まるで一本の小説を読んだときのように、さまざまな想像が浮かびました。


角田光代さんの『三面記事小説』(文藝春秋)は、
実際に新聞に掲載された三面記事をもとに描かれた6つの物語からなる短編集。

たとえば巻頭におさめられた「愛の巣」の下敷きになっているのは、
26年前に殺害して自宅の床下に埋めた女性の遺体が
区画整理で発覚すると観念して警察に自首してきた男の記事です。

角田さんは、殺人を隠し続ける夫婦の話に
26年間夫の秘密に気がつくことのなかった女性の話をからめ、
現実の事件にも負けない強度をもった物語世界を構築してみせます。


この短編集を読み進むうちに、いつしか僕は奇妙な思いにとらわれていました。

「ここに出てくる登場人物は僕たちそのものではないか」


物語の元となる三面記事の登場人物たちにはある共通点があります。
それは誰もがみな「こんなはずではなかった」という思いを抱えていること。

たとえば「彼方の城」という短編で描かれるのは、16歳の男子高校生を相手に
みだらな行為をしたとして逮捕された38歳の無職の女です。

離婚した夫の親から振り込まれる養育費だけに頼り、
ふたりの子供と小さなアパートで暮らす愛子。
そんな彼女の胸を占めるのはこんな思いです。


「未来がすばらしいものであると信じていたのはいつごろまでだったろう。(中略)
Aという場所を目指して全速力で駆けたのに、ついたところはまったく見覚えのない、
AでもなくBともCとも異なる、場所とすら思えないようなどこか。穴ぐらのようなどこか」


切実さの度合いは人それぞれとはいえ、
誰もが愛子ような思いを抱いたことがあるはずです。

「こんなはずではなかった」
「もっとましな人生が送れたのではないか」

ささいなボタンの掛け違いから生じた小さな綻び。
その綻びは気がついたときにはもう落とし穴のような大きさにまで広がっていて、
僕らを呑み込もうとします。

三面記事が僕らの想像を掻き立てるのは、
そこに描かれているのが僕たちの姿そのものであるからに他なりません。
だって落とし穴に落ちたのは、もしかしたら僕らだったかもしれないのですから。


三面記事が僕らを惹きつけてやまないのにはもうひとつ、
三面記事が僕らの欲望を満たしてくれるという側面があることも見逃せません。

三面記事はジャーナリズムの誕生とともにありました。
18世紀にロンドンで繁栄をみせたコーヒー・ハウス。
コーヒー・ハウスにはさまざまな都市の住人たちが集い、
政治や経済について議論を戦わせたほか、
ゴシップやスキャンダルといった情報の集積地にもなりました。
そこから生まれたのがジャーナリズムです。
(詳しくは小林章夫『コーヒー・ハウス 18世紀ロンドン、都市の文化史』をお読み下さい)

マスコミの面接で、ジャーナリズムとは何かと問われたら、
たぶんウケがいいのは「権力に対する監視装置です」みたいな回答でしょうが、
僕は「ジャーナリズムの本質は三面記事である」と答えます。

なぜなら、コーヒー・ハウスから生まれた草創期のジャーナリズムは、
三面記事的な情報を扱うことでますます読者を増やしていったからです。

三面記事が僕らを惹きつけるもうひとつの理由。
それは「あちら側」に一歩踏み出してしまった人間を見たいという
俗な興味にこたえてくれることではないでしょうか。


三面記事の登場人物は、僕たちそのものでもあると同時に、
僕たちとは違う世界に行ってしまった人間でもあります。

三面記事を読むとき、
僕たちはそこに自分自身の姿をみて恐れおののき、
同時にそれが自分ではなかったことに安堵しているのかもしれません。

投稿者 yomehon : 21:55