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2008年01月09日

ドイツ発のジェットコースター・ノベル!


ドイツの小説家と聞いてみなさんは誰を思い浮かべますか?

ゲーテトーマス・マングリム兄弟フランツ・カフカヘルマン・ヘッセ
ミヒャエル・エンデギュンター・グラス ・・・・・・。

なんだか大物ばかりですけど、たぶんこんなところですよね。
(カフカは現在のチェコ生まれですが作品はドイツ語で発表しています)

では「セバスチャン・フィツェック」という名前を聞いたことは?

何ない?それはいけない。いますぐにでも読むべきです。
なぜならフィツェックはいまドイツでいちばん読まれている作家だからです。


セバスチャン・フィツェックは、1971年ベルリン生まれ。
テレビ・ラジオ局でディレクターや放送作家として活躍するかたわら小説を執筆。
ミヒャエル・エンデの担当編集者を長年務めた出版エージェント、ロマン・ホッケに
見出されデビューし、たちまちベストセラー作家の仲間入りをしました。


彼のデビュー作は『治療島』赤根洋子:訳(柏書房)です。
これが凄い!新人でここまでストーリー・テリングに長けた作家がいるでしょうか。


『治療島』は、ある高名な精神科医の娘が、アレルギー治療に訪れた病院で
行方不明になるところから始まります。それから4年後――。
心に深い傷を負い、孤島の別荘にこもる精神科医のもとを謎の女が訪ねてきます。
児童文学の作家だという女は、精神科医に治療を依頼します。
自分が書く物語の登場人物が現実社会に姿を現し自分を苦しめる、というのです。
女は自分が書こうとしている物語について語り始めました。
なんとそれは娘にそっくりの少女が、両親の前から姿を消す話でした。
嵐で孤立した島で精神科医は女の治療を始めますが、
やがて思いもよらない真相が明らかになります・・・・・・。


この驚くべきデビュー作を手にとる者は、幸福にして不幸です。
なぜなら、物語の面白さにどっぷりと首まで浸かる幸福感を享受できる一方で、
腹が減ろうが眠くなろうが会社に行く時間が来ようが読むことをやめられない、
無間地獄の苦しみをも味わわなくてはならないからです。

『治療島』はサイコ・スリラーの一級品です。
謎の女に対して治療を施すうちに次第に神経戦の様相を呈してきて、
徐々に主人公の精神科医自身が追いつめられていきます。
けれども彼は愛する娘の失踪の謎を突きとめるために危険な治療に挑むのです。

個人的にはこの小説の結末にはやや納得できない部分もあります。
「これは○○オチに近いじゃないか!」と言いたいところもある。
でもこの面白さの前では、そんなのはささいなイチャモンに過ぎません。

『治療島』は2006年夏に発売後、またたくまにベストセラーとなり、
何週間にもわたってベストセラー・ランキングのトップを占めました。
すでに世界中で翻訳されている他、母国ドイツでは映画化も決定しています。


さて、衝撃的なデビューから早くも(というかデビュー作がまだベストセラーに
ランクインしているにもかかわらず)フィツェックは第2作目を発表しました。


最新作『ラジオ・キラー』赤根洋子:訳(柏書房)の舞台はベルリンのラジオ局です。


ラジオ局の見学ツアーに紛れ込んでいた男が人質をとってスタジオに立てこもり、
番組をジャックして生放送で公開殺人ゲームを始めます。
心理学にも通じたこの知能犯に、ベルリン警察の犯罪心理学者、イーラ・ザミーンが
交渉人として対決を挑むのですが、実はイーラは大きな問題を抱えていました――。


この最新作を迷いながらも手に取ったのが運の尽き。
またしても僕は、例の幸福にして不幸な、面白さに身悶えしながらも
「頼むから寝させてくれ!」と叫びたくなるような、泣き笑いのような状態に陥ってしまったのです。

『治療島』は嵐で島に閉じこめられた中で治療をするという、ある種の閉鎖的な
状況下での物語でしたが、2作目の『ラジオ・キラー』はその真逆をいきます。
なにしろ立てこもり犯は、無作為に電話をかけて相手がオンエアで公表した
合い言葉を言えなければ、人質をひとりずつ始末するというのですから。
当然のことながら全マスコミがこのラジオ局の番組を生中継し、
事件はドイツ全土を巻き込んだ大騒動へと発展していきます。
交渉役のイーラとのやりとりもすべて生放送で公開されます。
閉鎖的な環境から一転、2作目ではすべてが白日のもとにさらされています。
デビュー作とは違った方向の作品も書けるのだと見事に証明してみせたわけです。

でも、フィツェックが凄いのはそれだけではない。
彼の人物の描き方は2作目においてさらに巧みになっています。

たとえば主人公のイーラ・ザミーン。
作者は彼女のキャラクターを「自殺願望のあるアル中の心理学者」としました。
これが見事にハマってます。
心に深い傷を抱えたまま交渉にのぞむイーラは陰影に富んで実にカッコいい。
フィツェックは新しいヒロイン像を描くことに成功しています。

また立てこもり犯のヤン・マイの描き方もお見事。
実は彼は「ある事情」があってラジオ局を占拠するのですが、
そのような背景をきっちり設定することで、魅力的な犯人像に仕立て上げました。

伏線も完璧。
生放送でのやりとりで、犯人はなぜか執拗にイーラのトラウマにこだわります。
ほとんど全国民が聴いているにもかかわらず、プライバシーを明かしていくイーラ。
なぜ犯人はイーラの過去の傷をほじくりかえそうとするのか。
その理由はラストに至って意外なかたちで明かされます。


セバスチャン・フィツェックは、大ベストセラー作家になったいまも
ベルリンの民放ラジオ局でディレクターを務めているそうです。
そして驚くべきことに早くも今月、第3作目を発表するのだとか。
でも筆の早さもまたベストセラー作家の大切な資質であることを思えば
別段、驚くに値しないのかもしれませんね。

ともかく次作が待ち遠しくてたまらない作家の登場に拍手喝采です。

投稿者 yomehon : 2008年01月09日 01:17