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2008年01月06日
ユニークな「団地小説」
ある特定の時代や場所が舞台でないと成立しない小説、というものがあります。
古城や修道院が出てくるゴシックロマンスだと舞台はやっぱりイギリスだし、
一攫千金を夢見て新大陸へ渡るという話だと、舞台は19世紀のカリフォルニアか
はたまた20世紀の満州がぴったりということになります。
第1回パピルス新人賞を受賞した久保寺健彦さんのデビュー作
『みなさん、さようなら』(幻冬舎)は日本、それも高度経済成長期以降の日本でしか
成立しない小説です。なぜならこの小説は高度成長のシンボルである「団地」を舞台にした
とびきりユニークな青春小説なのです。
高度経済成長期まっただ中に建てられた芙六団地。
物語は、この団地で暮らすひとりの少年が、小学校卒業を機にひきこもり、
団地からいっさい外へ出ることなく暮らし始めるところから幕を開けます。
この小説がユニークな点はふたつあります。
ひとつは、主人公が外の世界へ一歩も出ないにもかかわらず、
ちゃんと団地の中で恋をしたり就職をしたりするところ。
実は主人公が団地から出られなくなったのには深刻な原因があったり
ひきこもり生活を続けるうえでのさまざまな苦労があったりもするのですが、
それらを除けば主人公の日常は普通の若者と変わりません。
彼は団地の中のケーキ屋に就職し、可愛らしい同級生の女の子とつきあいます。
もうひとつ、この小説がユニークな点は、その年ごとに団地を去っていく
同級生の名前が、各章の冒頭に掲げられていること。
芙六小学校の卒業生は107人でした。そのすべてが芙六団地の住人です。
彼らの中から毎年何名かが団地を去っていきます。
卒業1年目(ひきこもり1年目)には4名、2年目には2名、というふうに。
読者はいつしか、主人公がひきこもりを続け、同級生が少しずつ去っていく
年月がそのまま、団地の盛衰史と重なっていることに気がつくはずです。
「団地」はニッポンの高度経済成長期のシンボルでした。
朝日新聞に長期連載されたルポをまとめた『分裂にっぽん』(朝日新聞社)は、
都内のあるマンモス団地の現在に「中流層崩壊」の情景を描き出します。
経済成長の担い手となったのは、地方から出てきた中卒・高卒の労働者たちでした。
団地は彼らのような中流層にとっての「夢の砦」でしたが、子どもたちも巣立ったいま、
団地には高齢者世帯が目立つようになりました。
かつては「中流層の街」だったマンモス団地に往時の賑わいはありません。
でも過去を振り返れば、たしかに団地が元気だった時代がありました。
昨年話題になった『滝山コミューン1974』(講談社)は、
政治思想史が専門の原武史さん(明治学院大学教授)が、
小学校時代を過ごした滝山団地での日々を振り返るノンフィクション。
原さんは、全共闘運動が挫折して「政治の季節」が終わった後も
団地住民の間には革新政党を支持する気風が残っていて
この傾向は70年代を通じて続いた、といいます。
この『滝山コミューン』では、全共闘世代の熱血教員と滝山団地に住む児童、
そして小学校の改革に燃える母親たちが手を携えてつくりあげた民主的な地域共同体を、
いささかの感傷と批判を込めて検証しているのですが、その正否はさておき、
団地を舞台にこのような地域共同体が成り立つこと自体、現代ではまず考えられません。
このように「団地」は日本社会の変化を映し出す鏡です。
でも、かつては夢を育む場所だった団地もいまでは元気がありません。
『みなさん、さようなら』の主人公がひきこもりから17年目を迎えたとき、
107人いた同級生の中で団地に残っているのはついに自分ひとりとなってしまいます。
そして、ひとりぼっちになった主人公は最後にある決断を下します。
ぼくにはその決断が団地のこれからを暗示しているように思えてなりません。
投稿者 yomehon : 2008年01月06日 00:20