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2007年12月23日

 今年最後の傑作は前代未聞の恋愛小説!


今年は小説の当たり年でした。
できる限り当ブログでもご紹介したつもりですが、
それでもすべて取り上げきれなかったほど傑作が多かった。
今年ほど小説を読むのに忙しかった年はありません。

・・・・・・と思っていたのです。あたかも今年が終わってしまったかのように。
でもそうではありませんでした。さすがにもう出尽くしただろうと思っていたのですが、
あにはからんや最後の最後にもの凄い小説に出会ってしまいました。


突然ですが、すぐれた小説の条件を思いつくままにあげると、それは――

簡単には映像化できないこと。
世の中の常識やモラルをやすやすと乗り越えていること。
人間の心の奥底にあるものをかいま見せてくれること、ではないかと思います。

これらの条件をすべて兼ね備えた
『私の男』桜庭一樹(文藝春秋)は、恋愛小説の傑作です。
おそらく次の直木賞を受賞するのは間違いないでしょう。

まず書き出しからして素晴らしい。


私の男は、ぬすんだ傘をゆっくりと広げながら、こちらに歩いてきた。
日暮れよりすこしはやく夜が降りてきた、午後六時過ぎの銀座、並木通り。
彼のふるびた革靴が、アスファルトを輝かせる水たまりを踏み荒らし、
ためらいなく濡れながら近づいてくる。店先のウィンドウにくっついて
雨宿りしていたわたしに、ぬすんだ傘を差しだした。その流れるような動きは、
傘盗人なのに、落ちぶれ貴族のように優雅だった。これは、いっそううつくしい、と
言い切ってもよい姿のようにわたしは思った。
「けっこん、おめでとう。花」
男が傘にわたしを入れて、肩を引きよせながら言った。
                                   


自分の男が近づいてくる。それも盗んだ傘をゆっくりと広げながら――。
意表をついた見事な書き出しです。
この書き出しに続くくだりを読んだ読者は、
花にぬすんだ傘を差しだしてきた男が
父親の淳悟であると知り、きっとこう思うはずです。

父親なのにどうして「私の男」なのだろう?

このように物語はのっけから不穏な気配を漂わせながら幕をあけます。


まずはこのきわめて印象的な冒頭のシーンからして
映像化は不可能ではないでしょうか。

雨に濡れる女のためにためらいもなく傘を盗み、ゆっくりと近づいてくる男。
その姿はみすぼらしいスーツを着ているけれど貴族のように優雅で、
しかもどことなく常人とは違う、危険な空気を身にまとっている。

いったいどこにこんな男を演じられるような俳優がいるのでしょう。

安易な映像化を寄せつけない描写力。
これこそがすぐれた小説の持つ力です。
『私の男』はその冒頭から、すぐれた小説が持つ力を
存分に駆使しながら、物語を加速させていきます。


構成の素晴らしさも特筆ものです。
『私の男』は現在から過去へと、語り手の視点を替えながら
さかのぼっていく構成をとっているのですが、この手法が功を奏しています。

花は小学四年生のときに震災で家族をなくし、
遠縁にあたる淳悟にひきとられ、やがて養子縁組をしました。

どうして淳悟は「私の男」になったのか。
どうしてふたりは北の町から東京へ逃げてきたのか。
そして、どうしてふたりは罪を犯したのか――。

そうしたことが過去へさかのぼる過程で徐々に明らかになっていきます。

娘が父を「私の男」と呼んでいる時点で、
おそらくほとんどの人が「近親相姦」を連想するでしょう。
そのことに抵抗感みたいなものをおぼえてしまうひともいるかもしれません。

けれども物語が過去へ過去へと遡っていく過程で、作者は、
ふたりがそのような関係に陥らざるをえなかった背景を
圧倒的に説得力のある筆力で描き出していきます。
過去へいけばいくほど僕らはふたりの関係を受け入れいていくのです。


インセスト・タブー(近親相姦の禁忌)は、世界中のどの民族にもみられるといいます。
おそらくカニバリズム(食人)と並ぶ人類最大のタブーでしょう。
でも、それほどまでのタブーを犯しているにもかかわらず、
淳悟と花の行為はとても美しく感じられるのです。
いや、たんに美しい、というだけではうまく言い表せていません。
なんというのでしょう、ふたりの関係には、僕らを強烈に惹きつけるものがあります。

それは、じゅうぶんに熟成された肉が腐る寸前に放つ芳香や、
いまにも枝から落ちそうなほどに熟れた果物から立ちのぼる甘い香りに似ています。

あと一歩で崩れ去ってしまう、そのギリギリの境界線にあるものだけが持つ魅力、
と言い換えてもいいかもしれません。

おそらく少しでも描き方を間違えれば、この父と娘は、
人道にもとる所業に耽溺するただの鬼畜となってしまったことでしょう。
けれども著者の描く父と娘が、こんなにも甘美な匂いを放っているのは、著者が、
腐り果て朽ちてゆきながらも、まだギリギリ人間にとどまっているふたりを
確かな筆致で描き出したからに違いありません。


この小説は紛うことなき恋愛小説です。
それもたとえ世界を敵に回そうとも恋に落ちざるをえなかった父と娘を描いた、
前代未聞の恋愛小説です。


夜のあいだだけ、こっそりと大人になったような気持ちだった。大人だけど、
人間じゃなかった。わたしは淳悟の、娘で、母で、血のつまった袋だった。
娘は、人形だ。父のからだの前でむきだしに開いて、なにもかも飲み込む、
真っ赤な命の穴だ――。
                     (369ページ)


すぐれた小説家はその想像力によって
普通の人間には見ることのできない光景を見せてくれますが、
『私の男』が僕らに見せてくれるのは、
人を人たらしめている境界線、
向こう側に踏み出せば人ではなくなってしまうような境目、
その崖っぷちにまで行ってしまった者の目に映る光景です。

この小説を読んだ人は、
そのへんの生ぬるい恋愛小説は二度と読めなくなってしまうでしょう。

それでもかまわない、という人だけにおすすめしたい正真正銘の傑作恋愛小説です。

投稿者 yomehon : 2007年12月23日 22:14