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2007年11月10日

世界的作家が明かす創作の秘密


ちょっと旧聞に属する話ではありますが、
今年のノーベル文学賞はイギリスのドリス・レッシングさんに決まりましたね。
昨年に続き名前が取り沙汰されていた村上春樹さんは今回も選ばれませんでした。

でもたとえノーベル文学賞に選ばれなくとも、村上春樹さんが
世界の文学シーンの最先端にいる作家であることは疑いようのない事実です。

村上作品については、これまでたくさんの人がいろいろなことを語ってきました。
なぜ人は村上春樹の小説を読むと何事かを語りたくなるんでしょうか。
もちろん世界的に注目されている作家だからということもあるでしょう。
でもそれ以上に、彼の小説から漂うなんともいえない「秘密のにおい」が、
人々をして村上作品をめぐるおしゃべりに駆り立てる大きな要因ではないかと思います。

たとえば『羊をめぐる冒険』の「鼠」。
あるいは『ダンス・ダンス・ダンス』の「羊男」。
このような村上作品ではお馴染みの「異界の存在」は何を意味しているのか、とか。
村上さんの小説には読者を謎解きに誘うような仕掛けが満載です。
(ちなみにその手の謎解き本でいえば、最近のもっとも優れた成果として
ぼくは迷わず内田樹さんの『村上春樹にご用心』を挙げます。これはオススメです)


けれども、多くの人が村上さんの小説について言葉を費やしてきたにもかかわらず、
当の村上さんご本人が自作について、あるいは創作の舞台裏について
語ることはほとんどありませんでした。

その唯一の例外といっていい一本のロングインタビューが
雑誌に掲載されたのは1999年のこと。
雑誌『BRUTUS』6月1日号に、「肉体が変われば、文体も変わる!?」と題された
村上さんのロングインタビューが掲載されたのです。

この中で村上さんは、「走ること」が自分の創作活動にいかに大きな影響を
与えているかということを驚くほど率直な言葉で語っています。


走り始めたきっかけは何か。
その結果、生活にどのような変化が生じたか。
そして走ることは自分の書く小説にどのような影響を与えているか。
「書く」という行為がいかに深く「走ること」と結びついているか。


村上さんがここまで率直に創作の舞台裏を明かしたのは、僕の知る限り
後にも先にもこの『BRUTUS』誌でのインタビューだけではなかったかと思います。

だからこそ書店で村上春樹さんの新刊
『走ることについて語るときに僕の語ること』(文藝春秋)
目にしたときは興奮しました。しかも帯には「書き下ろし」とあります。
ぼくは迷うことなく本を手に取りレジに向かいました。


この本はちょっとジャンル分けに迷ってしまう本です。
これまで村上春樹さんは何冊ものエッセイ集を出していますが、
その仲間に加えていいかといえばちょっと違う気がします。
単純なエッセイではありませんし、かといって小説でもない。

あえて言うならこの本は、「走ること」について書くことを通して、
村上さん自身の小説に対する考え方や姿勢を書こうとした本だといえます。

ストレートに小説について語るのではなく、
いったん「走ること」を経由して小説について語った、というか。

「なんでそんなまだるっこしいことを?」と疑問に思う人もいるかもしれません。
でも残念ながらその疑問は見当違いです。

村上さんはわざわざ回り道をしてそういう書き方をしているわけではなく、
そのほうが自分の小説に対する考え方をうまく説明できるからという理由で、
まず「走ること」について書き始めたのに違いありません。


小説家にとってもっとも重要な資質は何か。
村上さんは言います。
それは才能であると。

しかし才能というのは実にやっかいなものでもあります。
その質や量を持ち主が自由にコントロールできるわけではなく、
湧き出てくるかどうかは運任せ。しかも枯渇してしまったらそれで終わりです。

ならば才能の次に重要な資質は何か。
村上さんは言います。
まずは集中力であると。
そして次に大切なのは持続力であると。

集中力と持続力。
このふたつは才能の場合とは違って、
トレーニングによって後天的に獲得できるうえに、
このふたつの力を有効に使えば、
才能の不足をある程度補うことができるのだと村上さんは言います。

なぜ小説を書くうえで集中力と持続力が必要なのでしょうか。
それは長編小説を書く作業は肉体労働だからです。
村上さんはその大変さをこんなふうに書いています。


「机の前に座って、神経をレーザービームのように一点に集中し、
無の地平から想像力を立ち上げ、物語を生み出し、
正しい言葉をひとつひとつ選び取り、すべての流れをあるべき位置に保ち続ける――
そのような作業は、一般的に考えられているよりも遙かに大量のエネルギーを、
長期にわたって必要とする。身体こそ実際には動かしはしないものの、
まさに骨身を削るような労働が、身体の中でダイナミックに展開されているのだ」
                                        (110ページ)


才能に恵まれた天才はこのような作業を自然にこなせるのかもしれません。
けれども限られた才能しか持っていない作家は、
才能の絶対量の不足分をカバーする努力をしていかないと、
長期にわたって小説を書き続けることは不可能なのだと村上さんは言います。

その際に大きな力となる集中力と持続力を
(その他にもたくさんの大切なことを)
村上さんは走ることから学んできたのです。


村上さんは25年の間、休むことなく走り続け、書き続けてきました。
その営みから真っ先に思い浮かぶのは「勤勉」という言葉です。

考えてみればこの「勤勉」という言葉は、
村上作品を考えるうえでの重要なキーワードでもあります。

村上さんの小説のテーマは
「世界にあふれる理不尽な悪意と人はいかに向き合えばいいか」
ということです。

「世界にあふれる理不尽な悪意」を食い止めるために必要なことは何か。
内田樹さんは『ダンス・ダンス・ダンス』の中に出てくる
「文化的雪かき」という言葉に注目して、こんなふうに書いています。


「誰もやりたがらないけれど、誰かがやらないと、あとで誰かが困るようなことは、
特別な対価や賞賛を期待せず、ひとりで黙ってやっておくこと。
そういうささやかな『雪かき仕事』を黙々とつみかさねることでしか
『邪悪なもの』の浸潤は食い止めることができない」
                         『村上春樹にご用心』(66ページ)


この「雪かき仕事」というのは何か特別なことを指しているのではありません。
ご近所を掃除するのでもいいし、毎日きちんとお豆腐を作るというのでもいいし、
同僚が見やすいように丁寧にコピーをとるというのでもいいのです。

日常の中のささいなルールを守ること。
他の人が少しだけいい気分になるように心を配ること。
手を抜かずに仕事をすること。

そういう小さな善いことを少しずつ積み重ねていくことが
僕らの住む世界の均衡を保つことにつながるというのが、
村上さんのメッセージではないかと思います。

村上さんはこの25年間、正直な職人のように勤勉に走り続け、書き続けてきました。
それは村上さん自身の「雪かき仕事」だったのだろうと思います。


「いずれにせよ、ここまで休むことなく走り続けてきてよかったなと思う。
なぜなら、僕は自分が今書いている小説が、自分でも好きだからだ。
この次、自分の内から出てくる小説がどんなものになるのか、それが楽しみだからだ。
一人の不完全な人間として、限界を抱えた一人の作家として、
矛盾だらけのぱっとしない人生の道を辿りながら、それでも未だにそういう気持ちを
抱くことができるというのは、やはりひとつの達成ではないだろうか。
いささか大げさかもしれないけれど『奇跡』と言ってもいいような気さえする。
そしてもし日々走ることが、そのような達成を多少なりとも補助してくれたのだとしたら、
僕は走ることに対して深く感謝しなければならないだろう」(114ページ)


長くひとつのことを続けてこられたこと。
未だにそれを楽しいと思えること。
そしてそれがどれほど幸運なことかをよく知っているということ。

長い間、こつこつと「雪かき仕事」を続けてきた村上さんの述懐は、
ぼくの胸に彼の小説を読んだときと同じような深い余韻を残すのです。

投稿者 yomehon : 2007年11月10日 23:36