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2007年11月25日

 ミシュランにのらなかった「三つ星レストラン」


その本は文字通り「飛ぶように」売れていました。
年配の男性、OL、学生と思われるカップル――
客層はさまざま。でも目指す本は同じ。
彼らの手でワゴンに積まれた本が次々にレジへ運ばれて行きます。

22日に発売されたレストランガイド『ミシュランガイド東京2008』は、
翌日にはもう都心の大手書店で「品切れ中」の張り紙が出ていたほどで
どの書店でもすごい売れ行きだったようです。

三ツ星を獲得した店はもうさんざん報道されていますから、みなさんも
よくご存知でしょう。個人的には予想通りの名前にふむふむと納得したり、
若い料理人の店やそれほど年月のたっていない新しい店など思わぬところが
三ツ星を獲得しているのに驚かされたり、それなりに楽しむことができました。


ただひとつだけ、疑問があります。

それはここに三ツ星として当然のごとく名を連ねるべき店の名がないからです。
いえ、正確にいえばその店は三ツ星どころか二ツ星、一ツ星さえ獲得していません。
つまりはこの『ミシュランガイド東京2008』に掲載されていないのです。


その店の名は「コート・ドール」。
港区三田の古い趣あるマンションの1階で営まれるこのレストランは、
東京を、いえ日本を代表するフレンチレストランです。

オーナー・シェフの斉須政雄さんは1950年生まれ。
23歳で憧れのフランスに勇躍旅立った斉須さんは、がむしゃらに修行に邁進し、
やがて三ツ星レストラン「ヴィヴァロア」の厨房へと辿り着きます。
斉須さんがその名を轟かせるのはここからです。
「ヴィヴァロア」で出会った料理長のベルナール・パコーとふたりで
パリ5区に「ランブロワジー」というレストランを開店させ、
わずか22ヶ月でミシュランの二ツ星を獲得するという快挙を成し遂げるのです。


『調理場という戦場』(朝日出版社)は、斉須政雄さんが
これまでの修行や日々の仕事から会得した仕事の極意をまとめた本。
いわゆるグルメ本の類ではありません。
この本は、凡百のビジネス書が束になってもかなわない仕事論の大名著なのです。

どのページを繰っても斉須さんの真っ直ぐで熱くて
そして奥深い含蓄に富んだ言葉が目に飛び込んできます。

たとえば、「コート・ドール」ではたとえシェフの斉須さんであろうと鍋洗いをします。
それはどんな仕事でも職場で最高の地位にある人間が率先してやらないと
若い人がついてこないという考えを斉須さんが持っているからです。

「調理場で地位が上がれば上がるほど最前線に立たされて働く量も
多くなる、というのは優れたところならどこでも常識」というポリシーを持つ
斉須さんにとっては、鍋洗いひとつとっても大切な仕事のひとつです。
なぜなら――


「ひとつひとつの工程を丁寧にクリアしていなければ、
大切な料理を当たり前に作ることができない。
大きなことだけをやろうとしていても、
ひとつずつの行動が伴わないといけない。
裾野が広がっていない山は高くない」 (17ページ)


斉須さんの料理は、たとえ開店以来の定番料理であっても
いまだに進化を続けています。
どんな小さなこともおろそかにしない姿勢を持っているからこそ
彼の料理は高いレベルにあるのでしょう。


「コート・ドール」がミシュラン東京版になぜ掲載されなかったのかはわかりません。
もしかしたら掲載を断ったのかもしれないし(実際そういうお店もあるそうです)
ミシュランの評価基準じたいになにか特殊なポリシーがあるのかもしれません。
真相はわからない。でも、ミシュランに載ろうが載るまいが、「コート・ドール」が
世界に誇れるレストランであることに変わりはありません。


最後にミシュランにも負けない日本人によるガイドブックをご紹介しておきましょう。

『職人で選ぶ45歳からのレストラン』(文藝春秋)は、
これまで日本にはなかなかなかった大人の客向けのガイドブック。
それこそ斉須シェフのような職人と対等に向き合えるような大人を対象にしています。

著者の宮下裕史さんは、日本にフレンチを根付かせる上で大きな貢献をした
見田盛夫さんの門下生。見田さんは今日のミシュランブームのはるか昔に
『グルマン』というレストランガイドを主宰された方です。
宮下さんは現在は週刊文春でレストランガイドの連載を続けていらっしゃいます。


もう一冊、鮨では『いい街すし紀行』(文藝春秋)という本があります。

著者は故・里見真三さん。
里見さんは伝説の雑誌『くりま』の編集長をつとめ、
「B級グルメ」という言葉や料理の原寸大写真によるグラビアといった
新機軸を生み出すなど、日本の食ジャーナリズムに大きな足跡を残した方です。

里見さんには『すきやばし次郎旬を握る』(文春文庫)という名著もありますが、
ぼくは『いい街すし紀行』のほうが好きです。
読めば本を片手に全国のお鮨屋さんを訪ね歩きたくなること間違いなし。
読んでいると幸せな気分になることも優れたガイドブックの条件のひとつです。

投稿者 yomehon : 22:05

2007年11月10日

世界的作家が明かす創作の秘密


ちょっと旧聞に属する話ではありますが、
今年のノーベル文学賞はイギリスのドリス・レッシングさんに決まりましたね。
昨年に続き名前が取り沙汰されていた村上春樹さんは今回も選ばれませんでした。

でもたとえノーベル文学賞に選ばれなくとも、村上春樹さんが
世界の文学シーンの最先端にいる作家であることは疑いようのない事実です。

村上作品については、これまでたくさんの人がいろいろなことを語ってきました。
なぜ人は村上春樹の小説を読むと何事かを語りたくなるんでしょうか。
もちろん世界的に注目されている作家だからということもあるでしょう。
でもそれ以上に、彼の小説から漂うなんともいえない「秘密のにおい」が、
人々をして村上作品をめぐるおしゃべりに駆り立てる大きな要因ではないかと思います。

たとえば『羊をめぐる冒険』の「鼠」。
あるいは『ダンス・ダンス・ダンス』の「羊男」。
このような村上作品ではお馴染みの「異界の存在」は何を意味しているのか、とか。
村上さんの小説には読者を謎解きに誘うような仕掛けが満載です。
(ちなみにその手の謎解き本でいえば、最近のもっとも優れた成果として
ぼくは迷わず内田樹さんの『村上春樹にご用心』を挙げます。これはオススメです)


けれども、多くの人が村上さんの小説について言葉を費やしてきたにもかかわらず、
当の村上さんご本人が自作について、あるいは創作の舞台裏について
語ることはほとんどありませんでした。

その唯一の例外といっていい一本のロングインタビューが
雑誌に掲載されたのは1999年のこと。
雑誌『BRUTUS』6月1日号に、「肉体が変われば、文体も変わる!?」と題された
村上さんのロングインタビューが掲載されたのです。

この中で村上さんは、「走ること」が自分の創作活動にいかに大きな影響を
与えているかということを驚くほど率直な言葉で語っています。


走り始めたきっかけは何か。
その結果、生活にどのような変化が生じたか。
そして走ることは自分の書く小説にどのような影響を与えているか。
「書く」という行為がいかに深く「走ること」と結びついているか。


村上さんがここまで率直に創作の舞台裏を明かしたのは、僕の知る限り
後にも先にもこの『BRUTUS』誌でのインタビューだけではなかったかと思います。

だからこそ書店で村上春樹さんの新刊
『走ることについて語るときに僕の語ること』(文藝春秋)
目にしたときは興奮しました。しかも帯には「書き下ろし」とあります。
ぼくは迷うことなく本を手に取りレジに向かいました。


この本はちょっとジャンル分けに迷ってしまう本です。
これまで村上春樹さんは何冊ものエッセイ集を出していますが、
その仲間に加えていいかといえばちょっと違う気がします。
単純なエッセイではありませんし、かといって小説でもない。

あえて言うならこの本は、「走ること」について書くことを通して、
村上さん自身の小説に対する考え方や姿勢を書こうとした本だといえます。

ストレートに小説について語るのではなく、
いったん「走ること」を経由して小説について語った、というか。

「なんでそんなまだるっこしいことを?」と疑問に思う人もいるかもしれません。
でも残念ながらその疑問は見当違いです。

村上さんはわざわざ回り道をしてそういう書き方をしているわけではなく、
そのほうが自分の小説に対する考え方をうまく説明できるからという理由で、
まず「走ること」について書き始めたのに違いありません。


小説家にとってもっとも重要な資質は何か。
村上さんは言います。
それは才能であると。

しかし才能というのは実にやっかいなものでもあります。
その質や量を持ち主が自由にコントロールできるわけではなく、
湧き出てくるかどうかは運任せ。しかも枯渇してしまったらそれで終わりです。

ならば才能の次に重要な資質は何か。
村上さんは言います。
まずは集中力であると。
そして次に大切なのは持続力であると。

集中力と持続力。
このふたつは才能の場合とは違って、
トレーニングによって後天的に獲得できるうえに、
このふたつの力を有効に使えば、
才能の不足をある程度補うことができるのだと村上さんは言います。

なぜ小説を書くうえで集中力と持続力が必要なのでしょうか。
それは長編小説を書く作業は肉体労働だからです。
村上さんはその大変さをこんなふうに書いています。


「机の前に座って、神経をレーザービームのように一点に集中し、
無の地平から想像力を立ち上げ、物語を生み出し、
正しい言葉をひとつひとつ選び取り、すべての流れをあるべき位置に保ち続ける――
そのような作業は、一般的に考えられているよりも遙かに大量のエネルギーを、
長期にわたって必要とする。身体こそ実際には動かしはしないものの、
まさに骨身を削るような労働が、身体の中でダイナミックに展開されているのだ」
                                        (110ページ)


才能に恵まれた天才はこのような作業を自然にこなせるのかもしれません。
けれども限られた才能しか持っていない作家は、
才能の絶対量の不足分をカバーする努力をしていかないと、
長期にわたって小説を書き続けることは不可能なのだと村上さんは言います。

その際に大きな力となる集中力と持続力を
(その他にもたくさんの大切なことを)
村上さんは走ることから学んできたのです。


村上さんは25年の間、休むことなく走り続け、書き続けてきました。
その営みから真っ先に思い浮かぶのは「勤勉」という言葉です。

考えてみればこの「勤勉」という言葉は、
村上作品を考えるうえでの重要なキーワードでもあります。

村上さんの小説のテーマは
「世界にあふれる理不尽な悪意と人はいかに向き合えばいいか」
ということです。

「世界にあふれる理不尽な悪意」を食い止めるために必要なことは何か。
内田樹さんは『ダンス・ダンス・ダンス』の中に出てくる
「文化的雪かき」という言葉に注目して、こんなふうに書いています。


「誰もやりたがらないけれど、誰かがやらないと、あとで誰かが困るようなことは、
特別な対価や賞賛を期待せず、ひとりで黙ってやっておくこと。
そういうささやかな『雪かき仕事』を黙々とつみかさねることでしか
『邪悪なもの』の浸潤は食い止めることができない」
                         『村上春樹にご用心』(66ページ)


この「雪かき仕事」というのは何か特別なことを指しているのではありません。
ご近所を掃除するのでもいいし、毎日きちんとお豆腐を作るというのでもいいし、
同僚が見やすいように丁寧にコピーをとるというのでもいいのです。

日常の中のささいなルールを守ること。
他の人が少しだけいい気分になるように心を配ること。
手を抜かずに仕事をすること。

そういう小さな善いことを少しずつ積み重ねていくことが
僕らの住む世界の均衡を保つことにつながるというのが、
村上さんのメッセージではないかと思います。

村上さんはこの25年間、正直な職人のように勤勉に走り続け、書き続けてきました。
それは村上さん自身の「雪かき仕事」だったのだろうと思います。


「いずれにせよ、ここまで休むことなく走り続けてきてよかったなと思う。
なぜなら、僕は自分が今書いている小説が、自分でも好きだからだ。
この次、自分の内から出てくる小説がどんなものになるのか、それが楽しみだからだ。
一人の不完全な人間として、限界を抱えた一人の作家として、
矛盾だらけのぱっとしない人生の道を辿りながら、それでも未だにそういう気持ちを
抱くことができるというのは、やはりひとつの達成ではないだろうか。
いささか大げさかもしれないけれど『奇跡』と言ってもいいような気さえする。
そしてもし日々走ることが、そのような達成を多少なりとも補助してくれたのだとしたら、
僕は走ることに対して深く感謝しなければならないだろう」(114ページ)


長くひとつのことを続けてこられたこと。
未だにそれを楽しいと思えること。
そしてそれがどれほど幸運なことかをよく知っているということ。

長い間、こつこつと「雪かき仕事」を続けてきた村上さんの述懐は、
ぼくの胸に彼の小説を読んだときと同じような深い余韻を残すのです。

投稿者 yomehon : 23:36

2007年11月03日

ジェフリー・ディーヴァーの新作が出た!


「もしかすると・・・・・・もしかすると発売日前に並んでいるかも!」

駿河台下の三省堂本店1階の海外ミステリーのコーナーに
淡い期待を抱いて足を運んでみると、あいかわらずそこには「10月30日発売」のPOPとともに
これまでに出た傑作のいくつかが並べられているだけでした。

軽い失望。その一方でますます高まる期待感。

この数日間、こんな行動をいったい何度繰り返したことでしょう。


作家の才能をごくごく簡単に「上手にウソをつくこと」と定義するなら、
ジェフリー・ディーヴァーこそは世界でもっとも上手なウソがつける男のひとりでしょう。
新作発表のたびに世界中のミステリーファンを書店に走らせ、そのまま徹夜させてしまう男。
そんなディーヴァーの待ちに待った新作『ウォッチメイカー』池田真紀子訳(文藝春秋)
ようやく手元に届きました。


『ウォッチメイカー』はリンカーン・ライム・シリーズの7作目にあたります。

ミステリー界を代表するヒーローであるリンカーン・ライムは天才科学捜査官です。
ただしそれだけではきっとライムはここまでのヒーローにはなり得なかったでしょう。
ディーヴァーは主人公ライムに大きなハンデを与えました。
ニューヨーク市警の天才鑑識官と謳われたリンカーン・ライムは、現場鑑識中の
崩落事故で脊髄を損傷し、わずかに首と指先が動かせるだけの四肢麻痺の体と
なったのです。

寝たきりのライムの相棒はアメリア・サックスです。
この魅力的なヒロインはライムに鑑識のイロハを叩き込まれた捜査官で、
シリーズが進むうちにライムの恋人にもなります。


髪や服から落ちた微細な物質が現場を汚染しないように
白いタイベックスのボディスーツに身を包んだサックスが、ヘッドセットマイクをつけ、
ベッドに横たわるライムの指示を受けながらたったひとりで捜索を始めるシーンは
このシリーズではお馴染みです。ライムは決まってこう云います。

「何が見える、サックス?」

彼女は動けないライムの手足や目となって、わずかな証拠を集めていきます。

四肢麻痺という大きなハンデを負いながら
超一級の科学捜査の知識と鉄の意志を持つライムと、
長身に赤毛、昔モデルの仕事をしていたという魅力的な容姿に恵まれ、
正義感の強いサックスのコンビが数々の難事件に立ち向かうこのシリーズは、
そのすべてが傑作といっても過言ではない稀有なシリーズなのです。


新作『ウォッチメイカー』でライムとサックスの前に立ちはだかるのは連続殺人犯。
それも細心緻密な計画に基づいて冷静に、そして残虐に人を殺していく、
かつてないほどの強敵です。現場に遺された月齢表示のあるアンティーク時計、
そしてまったく脈絡のない被害者たち。捜査はシリーズ史上もっとも困難なものとなります。

けれども我らがリンカーン・ライムは、現場で採取されたほんのわずかな証拠を元に
犯人を追いつめていきます。(それはたとえば砂や灰や繊維の一部であったりします)
凶悪かつ冷静沈着な犯人との頭脳戦にあなたはきっと目を瞠ることでしょう。

ただしこのシリーズを読むときのお約束を忘れてはなりません。

リンカーン・ライム・シリーズのお約束。
それは作者が繰り出す「あっ!」と驚くどんでん返しです。
それまで真実に見えていたものを一瞬で反転させるディーヴァーお得意のどんでん返し。
それも一度ではなく、二度、三度、四度と次々に繰り出してくるのが凄い。
このことひとつとってもジェフリー・ディーヴァーが大変なストーリー・テラーであることが
おわかりいただけると思います。こんな作家はそうそういません。


ちょっと話は脱線しますが、
ジェフリー・ディーヴァー作品の最大の魅力であるどんでん返しは、
短編作品でもしっかりと味わうことができます。
「長編は苦手だけどディーヴァーは読んでみたい」という方には
『クリスマス・プレゼント』(文春文庫)という短編集をおすすめします。


さてこのどんでん返し、今回も物語の三分の一を残した時点で、
なんと“ウォッチメイカー”は捕まってしまいます。あなたはきっとこう思うはず。

「まだこんなにページが残っているのに。この後どうするつもりだろう?」

でも大丈夫。ここからがジェフリー・ディーヴァーの本領発揮なのです。

脇筋だった別の事件が本筋に躍り出てきて、ライムとサックスの関係に深刻な危機が訪れ、
そして“ウォッチメイカー”は信じられないようなことを語り出し・・・・・・。
(い、いかん!これ以上、喋りすぎては)
ともかくあなたは目の前の風景が次々と違って見える驚きと興奮を存分に味わうことでしょう。


シリーズのもうひとつの魅力である存在感たっぷりの脇役たちのことも忘れてはなりません。

ブルドッグのように事件に食らいついていく敏腕刑事ロン・セリットー、
ライムの毒舌に絶妙の受け答えをする介護士トムなど、
第一作からお馴染みの登場人物たちに加えて、新作『ウォッチメイカー』では、
新しくキャサリン・ダンスという魅力的なキャラクターも登場します。

カリフォルニア州の捜査官キャサリン・ダンスは、事情聴取や尋問の名人です。
彼女は全米有数の「キネシクス」のエキスパート。
キネシクスというのは、証人や容疑者の言葉遣いやボディランゲージを
仔細に観察し分析する手法で、その人物がはたしてウソをついているのか、
それとも本当のことをしゃべろうとしているのかを判断します。
彼女はいわば「人間観察のプロフェッショナル」なのです。

このキャサリン・ダンスの活躍ぶりは今作の大きな読みどころといっていいでしょう。


振り返ってみると当ブログでジェフリー・ディーヴァーの前作を取り上げたのは
去年の10月30日付の記事でした。あれからわずか1年で
再びディーヴァーの新作を読めるなんてなんと幸せなことでしょう。

忙しい毎日を送る社会人にとって、ディーヴァーの本を手に取るということは、
寝不足のまま出勤して会議で熟睡して上司に怒られるハメに陥るかもしれないということを意味します。
けれどもこの本にはそれだけのリスクを冒す(?)価値があります。
ぜひ徹夜をおそれず読んでみてください。

投稿者 yomehon : 15:00