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2007年07月28日
「夜の言葉」で書かれた物語
『本の雑誌』8月号を手にとったら
巻頭特集が「2007年上半期ベスト1」で、
なんと上橋菜穂子さんの『獣の奏者』(講談社)が
上半期エンターテイメントのベスト1に選ばれているではありませんか!
といっても、この『本の雑誌』恒例のベスト10は、編集部での話し合いが基本で、
その時々の部員の力関係で適当に順位が決まったりする実にゆる~い企画。
とはいえ『獣の奏者』が1位に選ばれたことに異論はありません。
物語の面白さにどっぷりと浸かり、時がたつのを忘れるということでは、
『獣の奏者』は群を抜いているからです。
『獣の奏者』は、上橋さんお得意の異世界ファンタジーです。
主人公の少女エリンは、「闘蛇」と呼ばれる戦闘用の巨大な水蛇を飼育している
闘蛇衆の村で、母とふたりで暮らしていました。
母親はそこで「獣ノ医術師」として闘蛇の健康面に責任を負っていたのですが、
ある時、一夜のうちに闘蛇が何頭も死ぬという事件が起きます。
責任を問われた母親は処刑され、孤児となったエリンは蜂飼いの老人と出会い
人里離れた山の中でともに暮らすうちに、生き物の世話をする面白さに目覚め、
母と同じ医術師の道を歩み始めます。
ところがエリンの選択はやがて、国全体の運命を左右することになるのでした・・・・・・。
矢も刺さらぬほどの硬い鱗に覆われ、決して人には馴れない凶暴な闘蛇。
そして白銀の翼で天をかけ、鋭い爪で闘蛇を狩る地上最強の獣「王獣」。
この物語の素晴らしいところは、
上橋さんの想像力によって造型された獣たちの見事さです。
それも獣の姿形を描写する程度なら誰でもできますが、
上橋さんが凄いのは、獣の細かい生態にまで踏み込んで描写しているところ。
人間によって傷つけられた王獣との間にエリンがどうやって信頼関係を築いていくか。
そのプロセスを上橋さんが迫真のディテールで描写していく様は、
まるで本当にこの世に王獣という生き物が存在していて、
その飼育ドキュメンタリーを見せられているかのようなリアリティーを持っています。
そしてもうひとつ、この物語の凄いところは、
最後の最後、物語のラストになって、
王国の成り立ちにまつわる秘密が一挙に明らかにされるところ。
オセロゲームで最後にすべてが白にひっくり返るような驚きと爽快感が読者を待ちかまえています。
それにしてもここ最近の和製ファンタジーの盛況ぶりはいったいどうしたことでしょう。
その理由について考える時、ぼくの頭には一冊の本が思い浮かびます。
『ゲド戦記』の作者ル=グウィンに『夜の言葉』(岩波現代文庫)という本があります。
彼女はその中で「ファンタジーは夜の言葉で書かれている」と言っています。
「夜の言葉」とはなんでしょうか。
たとえばビジネスの世界で使われているのは「昼の言葉」です。
「この商品を100万円で買ってください」という言葉は、
言葉通りの意味しか持ち合わせていません。
まるで真昼の太陽の下のようにいっさいの影がない言葉です。
「日経平均が大幅下落する前にA社の株を売り抜けた」
「ハワイの不動産投資って結構儲かるらしいよ」
「株式から商品市場に乗り換えたらパフォーマンスが向上した」
いま世の中で力を持っているのはこのような「昼の言葉」たちです。
けれども人は「昼の言葉」のもとだけでは生きていけません。
なぜなら人間の心の多くを占めるのは影だからです。
上橋菜穂子さんに『闇の守り人』(新潮文庫)という作品があります。
『精霊の守り人』に始まる「守り人」シリーズ2作目となるこの作品で、
主人公の女用心棒バルサは、25年ぶりに故郷に戻ります。
帰郷の目的は、陰謀に巻き込まれた幼いバルサを守るために、
すべてを捨ててくれた養父ジグロの汚名を晴らすこと。
その結果、バルサは自分の心の傷と25年ぶりに向き合うことになるのです。
険しい山脈に囲まれたバルサの故郷カンバル王国は、
山の底の地下深くにある闇の王国と関わりを持っているのですが、
この物語で圧巻なのは、暗闇に包まれた地下洞窟で
「闇の守り人」とバルサが激しく槍を交えるシーンです。
ユング心理学に「影」という概念があります。
先頃お亡くなりになった河合隼雄さんは、
『影の現象学』(講談社学術文庫)という本の中で、
影はすべての人間にあり、「もうひとりの自分」として、
時として表向きの自我と厳しく対立することもあると述べていますが、
「闇の守り人」とバルサとの対決シーンは、
数多あるユング心理学の教科書よりもよっぽど雄弁に
ぼくらに影を見つめること、影と向き合うことの大切さを教えてくれています。
特にバルサが戦いの末に闇の塊を抱きしめるシーンなどは、
自らが抱えた心の傷と勇気をもって向き合い、
やがて自分自身と和解するプロセスを見事に描いていて、
心理学の専門書に書かれているような高度な内容を
血の通った物語を通してぼくらに実感させてくれます。
ぼくはこれこそがファンタジーの持つ力だと思うのです。
誰もが心のどこかに抱えていながら、
昼の言葉では決して探り当てることのできない影の部分に、
夜の言葉は光を当てることができます。
「守り人」シリーズの中でも大人のファンが多いことで知られる『闇の守り人』は、
まさにル=グウィンの言う「夜の言葉」で書かれた物語です。
昼の言葉が幅をきかせる世の中だからこそ
いまこのような物語が求められているのではないでしょうか。
投稿者 yomehon : 22:00
2007年07月18日
本命にあげながら・・・・・・
第137回直木賞が決定しました。
松井今朝子さんの『吉原手引草』(幻冬舎)です。
当ブログで本命にまであげながら「授賞はない」と断言してしまいました。
選評を読んでみないと何とも言えませんが、
ただひとつ言えることは、直木賞に関しては、
山本周五郎賞がどうしたとかまったく関係ない、ということです。
ぼくが文壇プロデューサーならば、山本周五郎賞の選考委員である北村薫さんと
受賞者の森見登見彦さんを同時授賞させて盛り上げをはかるところですが・・・・・・。
でもやっぱり直木賞には直木賞独特の論理があるようです。
まだまだ修行が足りません。今回は惨敗でした。
投稿者 yomehon : 01:50
2007年07月16日
海の街を舞台にした傑作コミック
いい本と出会う方法は世の中に3つしかありません。
①信頼できる書店に足を運ぶこと。
②信頼できる書評家の文章を読むこと。
③信頼できる本好きの友人のオススメに従うこと。
先日、都内某所の鉄板焼きレストラン(最近流行ってますよね)にて、
本好きの友人たちとの楽しい宴が催されました。友人はいずれも編集者。
いつものようにあちらから出版界のゴシップ(か、書きたい!)を教えてもらい、
こちらからはヨメの悪口(お望みとあらばいくらでも書きますけど?)を聞いてもらった後は、
お楽しみ「最近読んで面白かった本」についての語らいです。
特にメモをとったりはしないのですが、たとえどんなに酔っぱらっていても、
この手の話は忘れないから不思議です。
この日も「絶対に読むべし!」と友人にすすめられた本をしっかり脳裡に刻み込み、
翌日さっそく二日酔いの頭をかかえながら書店に足を運びお目当ての本を手に入れました。
そして帰りの電車の中で読み始めた途端、不覚にも涙ぐんでしまったのでした。
『海街diary1 蝉時雨のやむ頃』吉田秋生(小学館フラワーコミックス)は、
今年出会ったコミックのなかでは群を抜いて素晴らしい作品。いやほんとうに素晴らしいです、これは。
舞台は鎌倉。古い家で暮らす3姉妹が主人公。
両親は彼女たちが子供の頃に離婚し、父親も母親も家を出てしまったため、
姉妹は祖母の家で暮らしていましたが、やがて祖母も亡くなり、
いまでは古い家に3姉妹だけが残っています。
ある日、知らない町から父が亡くなったという報せが届きます。
幼い頃に別れたっきり15年も会っていない父親の死。
娘たちは父が亡くなったという実感が持てないまま山形の町を訪れます。
そこには父が別の女性に産ませた中学生の女の子がいました。
父の死を悲しめない娘たち。そして年に似合わずしっかりものの腹違いの妹。
作者は、娘たちが父親の死をゆっくりと受け容れていく様子を丁寧に描きます。
父が好きだったという町が見下ろせる場所。
そこで3姉妹ともうひとりの妹が交わす会話のシーンは落涙必至の名場面となっています。
吉田秋生さんといえば『桜の園』 (むかし映画化されました)とか
『吉祥天女』 (さいきん映画化されました)とか
『BANANA FISH』 (ハリウッドで映画化希望!)とか、
数々の傑作を発表してきたコミック界の超大物です。
この『海街diary』は、そんな吉田さんが、誰にでも覚えがあるような身近な出来事や
日常の光景を描くのに、これまで培ってきたテクニックを惜しげもなくつぎ込んでいる感があって、
ものすごく贅沢な作品に仕上がっています。
もしもこのコミックが映画化されたとしたら、とてもいい作品になるのではないでしょうか。
なによりストーリーが素晴らしいし。それになんといっても舞台が鎌倉だし!
ところで古都鎌倉には年間2千万人以上の観光客が訪れるそうですが、
以前『中世都市 鎌倉』河野眞知郎(講談社学術文庫)という本を読んでいたら、
意外にも鎌倉時代の建築物はひとつも残っていない、と書いてあってびっくりしたことがあります。
古いお寺はあっても建物は鎌倉時代のものではなく、ましてや当時の武家屋敷などは
とうの昔に焼け落ちたり朽ち果てたりして、いまや遺跡として地中に眠っているのみなのだとか。
当時の町の様子を描いた絵画や、人々の暮らしぶりに言及した文献資料なども
きわめて限られたものしか残っていないため、当時のことを具体的に知ろうと思えば
遺跡を発掘するしかないのだそうです。
どうやら鎌倉時代というのは、いまや考古学のジャンルに属するものなのですね。
けれどもぼくは鎌倉の街を歩いている時、
ふと往時のにぎわいを感じたような錯覚にとらわれることがあります。
それはやはり街のそこここで歴史が層をなしているからだと思うのです。
『海街diary』にも「佐助の狐」と題する佐助稲荷が出てくる話がおさめられていて、
三女のチカが、悪い子は佐助の狐に食われると子供の頃おばあちゃんに言われていた、
と振り返る場面が出てきます。
佐助稲荷は源頼朝に平家討伐を決意させた神が祀られている神社ですが、
このような古い歴史を持つ神社が日常会話の中に自然と出てくること自体、
古都ならではだと思います。というか、このように古い街で暮らすということは、
意識するしないにかかわらず、日々歴史と向き合うことを意味します。
最近いろんな雑誌で「鎌倉に住む」というような特集を目にしますが、
それはたぶんぼくらが歴史性を捨て去った都会で暮らしていることの反動ではないでしょうか。
地縁も血縁もなく、周囲の店や建物もどんどん変わっていくような環境では、
しっかりと根を張って生きている実感を持ちにくい。でも、鎌倉のような歴史ある街では
「自分がなにかにつなぎ止められている」という確かな感覚が得られるのかもしれません。
ともあれ『海街diary』の舞台が鎌倉であることの意味は大きいと思います。
おそらくこの物語の大テーマは「家族の再生」ではないかと思いますが、
鎌倉を舞台にしたことで、地に足のついたドラマが展開されることは約束されたようなもの。
天才・吉田秋生がこれからどんな物語を紡いでいくのか、楽しみに次回作を待ちたいと思います。
投稿者 yomehon : 10:00
2007年07月15日
第137回直木賞直前予想!(後編)
後編です。
もったいぶらずにまず第137回直木賞の大本命を申し上げておくならば、
ずばり今回は、北村薫 『玻璃の天』(文藝春秋)が授賞します。おそらく。
北村薫さんは前回、力作長編『ひとがた流し』(朝日新聞社)で候補になりながら落とされています。
(というかこの時は「授賞作なし」というオドロキの結末でした)
山本周五郎賞の選考委員も務めるような実力もキャリアも申し分のない作家に対して、
この仕打ちは失礼ではないか、その時ぼくはそう思いました。
今回の候補作『玻璃の天』は昭和7年が舞台のお話。
士族出身の上流階級花村家の令嬢・英子と、才色兼備の女性運転手・ベッキーさんこと別宮みつ子が
身の回りで起きた事件の謎に挑む、というストーリーです。
シリーズものの2作目(1作目は『街の灯』 )という中途半端な時期ではありますが、
北村作品の王道を行く本格ミステリの連作短編集ですし、エンタテイメント小説界の重鎮でもありますし、
さすがに今回の授賞は動かないのではないでしょうか。
ただし直木賞選考委員のみなさんは、過去に北村さんのあの『ターン』ですら評価できなかったという
前科があるので油断はできません。ちなみにこの時(第118回)は、他に桐野夏生さんの『OUT』や
京極夏彦さんの『嗤う伊右衛門』といった傑作も候補に並んでいながら「授賞作なし」という信じられない 結果でした。
さて、北村さんは授賞間違いなしの大本命。
けれどもぼくは今回はもうひとり受賞者が出るのではないかとにらんでいます。
つまりは2作同時授賞ということ。本命は次の2作品です。
森見登美彦 『夜は短し歩けよ乙女』(角川書店)
松井今朝子 『吉原手引草』(幻冬舎)
まずは森見登美彦さんの『夜は短し歩けよ乙女』から。
言わずとしれた山本周五郎賞受賞作にして本屋大賞2位のベストセラーです。
後輩の女の子に一目惚れした京大生の主人公が彼女を追い回すお話、と言うと
なんだかストーカー小説みたいですが、実はとてもキュートな片思い小説です。
突如現れる三階建ての電車や、竜巻によって天に昇る鯉、このようなアイテムを次々と繰り出し、
作者は京都の街中に不思議な異世界を作り出します。その中をモテない男子と天然キャラの女の子が
追い駆けっこをする。その様子を昔の少女小説を思わせる古風な文体で描き出したのがこの小説です。
このように『夜は短し歩けよ乙女』は、これまで誰も目にしたことがないような類の小説です。
この作品の凝った構成が選考委員に理解されれば授賞は大いにあり得ると思います。
もうひとつの本命作品は松井今朝子さんの『吉原手引草』。
派手さはありませんが手の込んだ意欲作です。
“吉原一”と謳われた花魁葛城。
彼女は花魁として絶頂にありながら、ある日忽然と姿を消します。この小説は、ある男が消えた葛城の謎を追って、関係者を訪ね歩くことで得た証言だけで構成されています。
引き手茶屋の内儀、廓の新造や遣手、番頭、幇間に船頭、およそ吉原に関わりのある16名の関係者が
登場しますが、素晴らしいのは、彼らの証言に目を通していくだけで、当時の吉原のしきたりや様子が
理解できることです。
それもそのはず。作者の松井さんは、早稲田大学大学院で演劇学を学び、松竹に入社後は歌舞伎の
制作をなさっていた方。フリーになられてからも武智鉄二氏に師事するなど、江戸や歌舞伎に関する
知識は折り紙つきです。まさに松井さんでなければ書けなかった小説といえるでしょう。
ただ気になる点もあります。
まさに作者がここで採用している「証言だけで構成する」という手法はどうなのか。
謎を直接描くのではなく、関係者の証言だけで謎の輪郭を浮かび上がらせていく。
そういう高度なテクニックとして作者はこの手法を採用したのでしょう。
この手の手法を採用した小説は他にもありますが、いつも感じるのは、この手法は作者が思うほどの
効果はないのではないかということです。
本来、聞き手と話し手の会話文にすればリズミカルに読めるところを、実験的な効果を狙って話し手の
ひとり語りにするわけですが、ぼくはそうすることでかえって無理が生まれるような気がします。
なぜなら話し手の言葉のなかに聞き手が発した質問も織り込まなくてはならないからです。
本来ならば、
「女郎が初めての客を迎えることを水揚げといいますがこの謂われを教えてください」
「またえらくつまらんことを訊くもんじゃのう」
とでもなる会話が、ひとり語りにすると次のようになります。
「ナニ、水揚げの謂われ?女郎が初めての客を迎えるのはなぜ水揚げというのか知りたいじゃと?
またえらくつまらんことを訊くもんじゃのう」(61ページ)
不自然だと思いませんか?普通はこんな話し方はしません。
こういう箇所に頻繁にぶつかると、ぼくはついつい「無理してひとり語りにしなければいいのに」と思ってしまうのです。松井さんの小説も例外ではなく、この点のみ、最後までぼくは違和感が消えませんでした。
さて、そろそろ結論です。
北村薫さんと直木賞を同時授賞するのは、森見登美彦さんと松井今朝子さんのうちどちらか。
ぼくは森見さんだと思います。
やはりここまでの勢いが違う。
惜しくも2位とはいえ本屋大賞で圧倒的な支持を集め、みごと山本周五郎賞も射止めた勢いは
ダテじゃありません。
選考委員が天の邪鬼にかまえていちゃもんをつけたりしなければ、森見氏への授賞はすんなり
決まるのではないでしょうか。
そんなわけで第137回直木賞、当ブログの予想は、
北村薫 『玻璃の天』(文藝春秋)、
森見登美彦 『夜は短し歩けよ乙女』(角川書店)
以上、2作の同時授賞です!
投稿者 yomehon : 23:00
2007年07月12日
第137回直木賞直前予想!(前編)
文学賞というのは、主催する出版社にとっても読者にとっても一大イベントです。
それが伝統ある文学賞ともなればなおのこと。
受賞作が何かということに誰もが無関心ではいられず、
ああでもない、こうでもないと、選考会が開かれる前から受賞作予想に夢中になるのです。
楽しみ方はそれだけではありません。
イベント前の楽しみが受賞作を予想することだとすれば、イベント後、つまり受賞作が決定してからは
「選考委員の選評を読む」という大きな楽しみが待っています。
選考委員がその作品をどのように読み解き、どう評価したか。
素人には真似できない深い読み方を示してくれることもあれば、
その一方で素人にもわかるような誤った読み方をすることもあったりするので
選評のチェックはやめられません。
ところで、いまいちばん「読ませる選評」を書く人は誰かと問われたならば、
ぼくは真っ先に浅田次郎さんの名を挙げます。
先日発表された第20回山本周五郎賞の選評では、なんと候補作を建築物にたとえ、
建物探訪のかたちをとった選評を披露してくれました。(『小説新潮』7月号)
今回、山本周五郎賞に選ばれたのは、浅田氏の言葉を借りて紹介すると
関西出身の新進デザイナー・森見登美彦氏の設計による瀟洒な館『夜は短し歩けよ乙女』と、
今日最も悩ましい建築家、恩田陸氏が設計した鬱蒼たる森の中に佇む洋館『中庭の出来事』でした。
浅田さんはこのふたりの作品を、まさに建築物のごとく論じています。
でありながら、ちゃんと作品批評にもなっているのですから、その芸の腕前たるや相当なものです。
浅田さんのように芸で唸らせる選評を書く人もいれば、誠実に候補作を読み解き、高い見識でもって
作品を評価するオーソドックスな選評が持ち味の人もいます。
その代表が北村薫さんです。
北村さんの選評はそのまま、小説の読み方の教科書としても使えます。
まるで優秀な先生の授業を受けているように(事実、北村さんは長いこと埼玉県立春日部高等学校の
国語教諭だったわけですが)小説の読み方がわかる選評となっているのです。
ところで今回、北村さんの選評の冒頭はこんな書き出しになっています。
「 『夜は短し歩けよ乙女』を推す。
これはもう、一段階、完全に抜けていて、どれかひとつとなったら論をまたない、という思いであった」
このように北村さんは『夜は短し歩けよ乙女』を絶賛しているのでした。
このとき誰が北村さんの運命を予想できたでしょうか。
山本周五郎賞というわが国を代表する文学賞の選考委員を務める北村薫さんが、
自らが絶賛した森見登美彦氏と並んで直木賞の一候補者となるだなんて!!
そうなのです。
第137回直木賞はなんだかわけのわからないことになっているのです!
ちなみに候補作は以下の通り。
う~ん・・・・・・みればみるほどわけがわからない。
山本周五郎賞の選考委員とその受賞者が直木賞の候補に名を連ねているなんて。
なんだかエラそーだぞ直木賞!
というわけで、受賞作予想は次回。
迷走必至の(?)直木賞受賞レースを読み解きます!!
投稿者 yomehon : 10:00
2007年07月01日
運は努力で支配できるか
くじ付きの自動販売機で缶コーヒーを買ったら「当たり」が出たとします。
そのときのあなたの気分はどんな感じでしょうか?
ぼくの場合はなんだかビミョーです。
「やった!得した」と嬉しい反面、「もっと大きな幸運のために運をとっておきたかった」とも思うからです。
小さな幸運を喜ぶか、それともささいなことに運を使ってしまったと悔しがるか、運についての考え方、
感じ方は人それぞれでしょうが、もしも身近にこんな考えの持ち主がいたら、あなたはどう思いますか?
「努力で運は支配できる」
1989年5月28日、秩父宮ラグビー場。
この日、日本代表チームは、世界最高峰に位置する強豪スコットランド代表とのテストマッチを戦い、
28-24の僅差で歴史的勝利をおさめました。ラグビーファンの間で今も語り継がれるこの伝説的な
試合でジャパンの監督を務めたのが、宿澤広朗(しゅくざわ・ひろあき)氏でした。
宿澤広朗――ラグビーファンでこの名を知らぬ者はいないでしょう。
早稲田大学時代は天才スクラムハーフとして活躍、2年連続で社会人チームを破って日本一に導く原動力となり、38歳の若さでジャパン監督に就任してからもスコットランド戦での歴史的勝利、ワールドカップでも初勝利をおさめるなど数々の金字塔を打ち立てました。
ある日、そんな輝かしい経歴を持つ宿澤氏の急逝が報じられました。昨年6月のことでした。
『宿澤広朗 運を支配した男』加藤仁(講談社)は、ラグビー界に大きな足跡を残しながら志半ばで逝った宿澤広朗氏の生涯を追ったノンフィクションです。
著者の加藤仁さんは、サラリーマン・ノンフィクションとでも言うべきジャンルをひとり開拓していらっしゃる
書き手。特に定年後の元サラリーマンの人生を丁寧に追いかけた一連の仕事は一読に値します。
ぼくが意外に感じたのは、これまでどちらかといえば無名のサラリーマンを取り上げることの多かった
加藤さんが、取材対象として選んだのが「宿澤広朗」というスーパーサラリーマンだったことです
宿澤広朗氏は早稲田大学を卒業後、住友銀行(当時)に入行しています。
ラガーマンの宿澤氏が企業社会でどんなサラリーマンであったかということは
ぼくはこの本を読むまでまったく知りませんでしたが、いやはや大変な活躍ぶりです。
27歳でロンドン支店に配属された宿澤氏は「全戦全勝型」の為替ディーラーとして頭角を現します。
そしてディーラーとして活躍する一方、元日本代表としてラグビーの本場の人々にも人気者として受けいれられます。(ちょうどこの頃、宿澤氏に可愛がられていたのが、早稲田の後輩でオックスフォードに留学していた奥克彦氏でした。彼はそれから20年後、在英大使館参事官としてイラクに赴任中、何者かに銃撃され命を落とします)
帰国後は豊島区の大塚駅前支店長を経て、市場営業第2部の部長に就任。
ここは住友銀行が保有する預金などを国際市場で運用する部署で、当時銀行が抱えていた不良債権の損失を穴埋めするためにも稼がなくてはなりませんでしたが、宿澤氏はここでもまた結果を出します。
彼は全行員の1・5%に満たない部下を率いて銀行の収益の3分の1を稼ぎ出したのです。
2000年には49歳の若さで執行役員に就任。
翌年の9・11テロ発生時は、市場統括部長としていまでも行員の間で語り草となっているリーダーシップぶりを発揮します。(このあたりの見事な対応についてはぜひ本でお読みください)
2004年には三井住友銀行常務執行役員・大阪本店営業本部長として大阪に転勤。
松下電器のグループ企業・松下興産がその当時抱えていた巨額の不良債権を処理せよという困難な「特命」を帯びての転勤でした。銀行としては少しでも多く融資残高を回収したいけれども、企業側は少しでも多く銀行に債権放棄をしてもらいたい。この真っ向から利害が対立する難しい交渉も宿澤氏はなんとかまとめあげます。(この時松下側の交渉者だった川上徹也副社長は、後に宿澤氏の死に際し万感の思いを込めて追悼文をお書きになっています。本気で戦った者にしか書けないいい文章です)
このように宿澤氏は銀行の仕事において次々と結果を出していきます。
外から眺める限りでは、出世の階段を駆け上がり、頭取の椅子まであと一歩というところにまで来ていた宿澤広朗氏は、文字通りスーパーサラリーマンということになるのでしょう。加えて名ラガーマンにして、家庭では妻や息子たちに愛される夫であり父親でもある。こんな男は滅多にいません。
「努力は運を支配する」――これは宿澤氏が卒業時に学内誌に寄稿した文章に書かれた言葉です。
不断の努力を重ねていれば、いざという時に運を味方につけることができる。
学生時代に身につけたこの哲学のもと、彼は社会人になってからも人知れず努力を重ねていたに違いありません。宿澤氏のスーパーサラリーマンぶりもそのような努力の賜物といえるでしょう。
けれどもぼくはこの本を読み進めるうちに、巷間伝えられている華やかなイメージとは違った宿澤氏の
実像に触れ、粛然とした思いに駆られました。
リーダーというものは常にそうなのかもしれませんが、宿澤氏もさまざまな決断の場においていつも孤独にさらされていました。しかもあれだけ有名でしかも多くの部下に慕われた人物であるにもかかわらず、本音をさらけ出し弱音を吐けるような友人は少なかったようです。
それだけではありません。
この本で丹念に描き出された宿澤氏の生涯を追っていくと、決定的な場面で彼が運に見放されたとしかいえないような不運に見舞われていることに気がつきます。
ラグビー協会の強化委員長として改革を進める中での突然の解任劇。
頭取まであと一歩というところで突如彼を襲った心筋梗塞。
名声の衣を剥ぎ取ったところに現れた宿澤氏の実像とは、フィールドでも組織でも孤独な闘いを続けたあげくに、55歳の若さで力尽きた元ラガーマンの等身大の姿でした。
著者の加藤仁さんが描きたかったのはセレブリティの宿澤広朗氏ではなく、むしろ運を支配できなかったひとりの男だったのではないか。勝手な推測に過ぎませんが、ぼくはそう思うのです。
最後に運についての名著をご紹介しておきましょう。
人間の運については、これまでいろんな人がいろんな考えを述べていますが、ぼくがその中でも最高の本だと思うのは色川武大さんの『うらおもて人生録』(新潮文庫)です。
ばくちで数々の修羅場をくぐり抜けてきた人間にしか書けない体験知がいっぱいに詰まったこの本は、
世にあまたある人生論の数々など足下にすら及ばない名著中の名著です。
運について考えてみたい方は、ぜひ手に取ってみてください。
投稿者 yomehon : 10:00