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2007年06月11日

情熱的科学者の爆笑冒険記


もしあなたがスペイン料理店を訪れた際に
メニューに「アンギュラス」という文字をみつけたら、ぜひ頼んでみることをオススメします。

あなたのテーブルに運ばれてきた耐熱皿からはニンニクの香りが立ち上り、
グツグツと煮立ったオリーブオイルの中には白魚のような姿をしたアンギュラスが踊っているはず。
このアンギュラス、実はウナギの稚魚なのです。

ところがこんなふうに稚魚にはお目にかかれても、それ以前の状態、
つまり産まれたばかりのウナギの仔魚や卵などがぼくらの目に触れることはありません。
それもそのはず。ウナギの産卵生態はこれまでまったくの謎に包まれていたのです。


そんな中、世界で初めてニホンウナギの産卵場所を特定したのが
東京大学海洋研究所の塚本勝巳教授率いる「行動生態研究室」、
別名「ウナギグループ」でした。

ウナギといえば一般に川の魚と考えられていますが、
実は日本列島から遙か2千キロも離れたグアム島付近の海で産卵していることが
「ウナギグループ」によって突き止められたのです。


『アフリカにょろり旅』青山潤(講談社)は、
この塚本研究室で助手をつとめる若きウナギ研究者が
アフリカの奥地で珍種のウナギを捕獲するまでを綴った爆笑旅行記。
この本は近年読んだ科学読み物の中でも出色の面白さでした。


ウナギの世界というのはたいへんに奥が深い。
現在地球上には18種類のウナギが生息しているのですが、
中にはほとんど研究がなされていない種類もあって、
産卵生態や類縁関係などもよくわかっていなかったのだそうです。

そんなわけで塚本研究室ではウナギの生態を解明するために
世界中でウナギを採集し遺伝子の解析などを行ってきましたが、
1種類だけどうしても手に入らないウナギがありました。
それがアフリカに生息する「ラビアータ」という種類だったのです。

世界のウナギの類縁系統関係を解明するためには全18種類はどうしても揃えたい。
しかも全18種類をずらりと揃える研究所は世界中どこにもないという。

ならば世界のトップをきってラビアータを捕獲してやろうじゃないかと考えるのは、
学問に情熱を燃やす若き学徒であれば当然のこと。
かくて青山青年は、後輩の渡邊俊君、塚本教授とともにアフリカのマラウイに飛びます。


マラウイ共和国は地図で見るとアフリカ大陸の右下に位置します。
国土の5分の1を湖や川などの水地が占めており、いかにもウナギがいそうな感じ。
ところが現地の人々にとってウナギは馴染みのない魚で、捜索は困難を極めます。

加えて50度を超える猛暑、宿のトイレは水がなくウ○コてんこ盛り、
しかも水の中には住血吸虫という寄生虫がうようよいるような悪環境。

途中からは教授が帰国してしまい、取り残された青山青年らは、
時には熱中症寸前の朦朧とした意識でアフリカの大地をさまよい、
また時には窓のないバスに必死につかまりジャングルの中を疾走するなどして
ウナギを追い求めるはめになります。


この本を読んでもっとも感動させられるのは、
このようにサンプルを入手するために
アフリカの奥へ奥へと分け入っていく青山さんたちの姿です。

彼らの情熱と執念に圧倒されながら、
誠実に学問と向き合うとはかくも大変なことなのかと思わされました。


「学問と誠実さ」という問題を考えるときにぼくが思い出すのは、
数年前、世界の科学界に衝撃が走ったある大スキャンダルのことです。

そのスキャンダルの全容は、
『論文捏造』村松秀(中公新書ラクレ)という
これまた読み出すと止まらない
極めて面白いノンフィクションで知ることができます。


2000年7月、オーストリアのアルプス山中にある小さな町で開催された
国際科学会議で世界の科学者たちを驚愕させる発表がなされました。

その発表はごくごく簡単に言うと、
世界のエネルギー問題を解決する可能性を秘めた
「超伝導」に関わるものでした。

世界の超一流の科学者たちを驚かせ、会場を興奮のるつぼと化したのは、
これまで多数のノーベル賞学者を輩出したことで知られるアメリカの名門、
ベル研究所に所属していたひとりの若者の研究発表でした。

そのドイツ出身の若き物理学者、ヤン・ヘンドリック・シェーンは、
一夜にして科学界のスパー・スターとなり、
その後も『ネイチャー』や『サイエンス』といった一流の科学ジャーナル誌に
驚異的なスピードで斬新な論文を発表していきます。
いつしかシェーンはノーベル賞の有力候補と目されるまでになりました。

ところがその2年後、シェーンは実際には実験を行っておらず
論文も捏造だったことが発覚し、科学界に大きな衝撃が走ったのです。


この本からみえてくるのは、現代の科学が置かれている環境です。
科学はいまや企業にとって「金のなる木」、
科学と資本との連携は欠かせないものとなっています。

極端な言い方をすれば、かつては純粋な知的好奇心に支えられていた科学は、
いまでは秘密裏に研究をすすめ、特許で金を稼ぐ手段となりました。

科学者には企業の利益に直結するような結果を出すことが求められ、
プレッシャーに常にさらされるようになったのです。


シェーンが捏造に走った背景にもそのような大きなプレッシャーがあったとはいえ、
サンプルを手に入れるための努力を怠り、モニター上でデータをつぎはぎするだけで
華々しく発表を繰り返していた彼が、科学者と呼ぶに値しないことは明らかです。

むしろ埃まみれになって喉の渇きに耐えながらも
アフリカでウナギを追い求める青山潤さんのような人こそが
真の科学者と言えるのではないでしょうか。


『アフリカにょろり旅』を大笑いしながら読み終えてもうひとつ感じたのは、
科学の世界には優れた書き手がどれくらいいるのだろう、ということでした。

子供たちの理系離れが問題視されていますが、
そういう流れを食い止めるのに必要なのは、
科学を面白く楽しく感動的に語れる人材ではないでしょうか。

たとえばぼくは青山さんの次のような文章をみると
壮大なロマンを感じ、胸がふるえます。


「ウナギ属魚類は、一生に一度しか産卵しない。
そしてニホンウナギの場合、そのたった一度の営みを、
太平洋の真ん中、深い海の中で海面近くまでそびえ立つ
富士山よりも大きな海山で、真っ暗な新月の夜に行うのである」(276ページ)


美しい描写です。
そして自然というものが、
ぼくらが想像もできないような仕組みで動いていることを
感じさせてくれる文章です。

ぼくはこの『アフリカにょろり旅』のような
面白い科学読み物がもっともっと書かれることが
子供たちの理科離れを食い止めることにつながるのではないかと思います。


2005年の6月、グアム島の西北西およそ200キロの地点で、
東大海洋研ウナギグループは、ニホンウナギの産卵場所を特定しました。

また世界のウナギ全18種類の解析によって、
わずか10年ほど前まで謎に包まれていた
熱帯域のウナギの生態が一挙に明らかになるとともに、
ウナギ属魚類の進化の道筋さえもぼんやりと見えるようになったといいます。

青山潤さんらの命がけの「にょろり旅」は
ウナギ研究において日本を世界のトップへと押し上げる
まさに科学的な貢献をしたのでした。

投稿者 yomehon : 2007年06月11日 10:00