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2007年04月16日

舌と政治


ある夜、家に帰ると
食卓にみたこともないようなご馳走が並び、
満面の笑みを浮かべたヨメが、まるで新婚時代のように
かいがいしく料理をすすめ、酒を注いでくれる・・・・・・。

もしもこんな場面に遭遇したとしたら
あなたはどう振る舞うべきだろうか。

賢明なあなたならもうすでにお気づきのはず。

正解は「酒や料理に手をつけてはならない!」


陰謀渦巻く中世の宮廷物語。
または群雄割拠する戦国時代小説。
あるいは国際謀略スパイ小説でもなんでもいい。

そこにはお馴染みの場面が描かれています。

杯に満たされた酒を一口飲んだ途端
指先が震えだし、こぼれ落ちた杯が割れ、
一瞬、信じられないというふうに目が大きく見開かれ、
続いて苦痛に歪んだ表情とともに喉元に手をやり・・・・・・。

そうなのです。
あまたの小説が教えてくれるように、
すこぶる機嫌の良いヨメがニコニコしながら料理をすすめるとき、
そこには毒も盛られているに決まっているのである!!


昔からなぜか「料理」と「陰謀」は相性がよろしい。

それはおそらく、料理が人間の駆け引きの道具のひとつでもあるからでしょう。

饗宴の裏に隠されたたくらみ。
ご馳走のあいだに見え隠れする打算。

あるいは逆に、
相手に感謝のメッセージを伝えるために
ご馳走をふるまうことだって立派な駆け引きのひとつといえます。

ともかく、人が人をもてなすとき、
そこには多かれ少なかれ政治的駆け引きの要素が生まれるのです。


これが現実の国際政治となるとどうでしょうか。

昔々、戦争というのは形を変えた政治だと言った人がいましたが
国際政治の舞台では、料理もまた形を変えた政治です。


『ワインと外交』西川恵(新潮新書)は、
各国の元首や首脳を招いた際に開かれる饗宴のメニューから
国際政治を読み解いたきわめて面白い本。

著者の西川恵さんは毎日新聞で国際畑を歩んでこられた方で、
「舌で政治をとらえる」という切り口で
これまでにも『エリゼ宮の食卓』という傑作ノンフィクションを発表されています。


さて、さすがに現代では
毒を盛って政敵を葬り去るなんてことはありませんが、
それでも饗宴のテーブルに並べられるメニューには
強烈な政治的メッセージが込められているのです。

ここではドイツとフランスの例を紹介しましょう。

両国の関係の節目となった饗宴が開かれたのは
2001年1月のことでした。
場所はフランス北東部のアルザス地方にある小さなレストラン。

EUでの発言力の大きさの鍵となる国別持ち票をめぐって、
前年に開催されたEU首脳会議で激しく対立した両国間には
大きなシコリが残っており、
悪化した関係をそのままにしておくのはまずいと考えたフランス側の呼びかけで、
両国の国境に近いアルザス地方での夕食会が実現したのです。

出席者は約40名。
フランスはシラク大統領、ドイツはシュレーダー首相が代表者です。

この夜、用意されたメニューは次のようなものでした。


フォアグラ ブリオッシュ添え
シュークルート
牛の頭の煮込み料理
青リンゴのシャーベット


有名なアルザス地方の家庭料理、シュークルートの名前があります。
一見、どうということのないメニューにみえますが、
実はこの地方で当たり前のように食されているこの家庭料理こそが、
この日の饗宴の鍵を握っていました。

塩漬けし発酵したキャベツを千切りにして、
茹でたソーセージや煮込んだ豚肉、ジャガイモなどとともに食べる
「シュークルート」は、ドイツ語では「ザワークラウト」といいます。

おそらく食後でしょう。
シェフがシラクとシュレーダーの前で、
第二次大戦が勃発した子どもの頃の話をします。

「ある日を境に、学校はフランス語からドイツ語教育になり、私はドイツ人になりました。
そして数年後、戦争が終わると再びフランス人に戻りました。
私の父は三回国籍が変わっています」

この話にシラクとシュレーダーは深くうなずきました。
さらにシェフは父親が開いたレストランを家族で切り盛りしてきた話を披露し、
こう述べたそうです。

「私がオヤジから受け継いだ自慢料理のシュークルートは、両国文化の融合です」

この言葉に一斉に拍手がわき、
シラク大統領が「今後六~八週間ごとにもつ両国首脳の会談を
『シュークルート・クラブ』と名付けませんか」と提案し、
これに対してシュレーダー首相が「大変結構。われわれは『ザワークラウト・クラブ』と
呼ばせてもらいますが」と応じました。

鉄鉱石と石炭を産するアルザス地方は、これまで戦争のたびに
ドイツとフランスのあいだで帰属が変わってきました。
そのような両国にとっての象徴的な場所を選び、
さらに両国民に親しまれているメニューにメッセージを託す。

さすが饗宴外交にたけたフランスだけあって
この目論見は大成功に終わったのです。


『ワインと外交』にはこのようなエピソードが満載で読者を飽きさせません。

皇室外交がもたらす知られざる大きな成果、
もてなすのが難しい国、中国への各国の苦心の対応、
安部首相と小泉首相、中国で厚遇されたのはどちらか、
ホワイトハウスが起用したあっと驚く新しい料理人の話などなど
興味深い話題の数々に触れることができます。

さて、手軽な新書である『ワインと外交』が軽めの前菜だとしたら、
メインはやはり名著『エリゼ宮の食卓』(新潮文庫)をお読みいただきたい。

そもそも西川さんが、饗宴のメニューに隠された政治的メッセージを読み解くという
斬新なコンセプトを世に問うたのはこの本が最初なのですから。

この本では、晩餐会に招待される各国の要人たちがワインの銘柄やメニューで
どのように格付けされていたかということから、美しいメニューの表紙にいたるまで、
微に入り細を穿ってフランスの食卓外交の裏側を明らかにしてくれます。
エリゼ宮の厨房奥深くまで取材して得た情報量は圧巻です。

「舌と政治」の本質的な関係を知りたければ
この『エリゼ宮の食卓』は必読中の必読文献。
グルメを気どりたい人にとっても
せめてこれくらい読んでおいてほしいという
基本中の基本図書です。

『ワインと外交』を入り口に
この傑作ノンフィクション『エリゼ宮の食卓』もぜひお読み下さい。

投稿者 yomehon : 2007年04月16日 10:00