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2006年11月16日
この人はもうすぐ芥川賞をとるに違いない!
・・・いや、直木賞かもしれないな。
まあどっちでもいいのです。そんなことは。
ともかく今日は、芥川賞にしろ直木賞にしろ
そういう大きな賞を近いうちに必ず受賞するに違いない
いま大注目の作家について、ぜひみなさんに知っていただきたいのです。
その作家は柴崎友香(しばさき・ともか)さん。
6年前にデビューした作家さんですが、最近めきめきと力をつけてきていて、
最新作の『その街の今は』(新潮社)を読み終えたとき、ぼくははっきり確信しました。
「柴崎さんは近いうちに必ずや芥川賞を受賞するに違いない!」
『その街の今は』の舞台は大阪。
主人公は28歳の女性です。
彼女は勤めていた会社が倒産して、カフェでアルバイトをしています。
いまは親元で暮らしていますが、近いうちに一人暮らしをするつもり。
彼氏はおらず、ときどき合コンに参加したりクラブに行ったりしています。
・・・う~ん、こんなふうにストーリーをまとめてしまうと
なんてことはない小説のように思えてしまうかもしれないな。
しかしけっしてそんなことはありません!
この小説はひとつ、とてもユニークな特長を備えているのです。
そしてその特長こそがこの小説を傑出したものにしている。
「ユニークな特長」とはなにか。
その秘密はタイトルに隠されています。
タイトルにあるように、この小説は「街」を描いた小説です。
そして柴崎友香という作家は、街を描くのが抜群に上手い作家なのです。
小説の舞台は大阪だとさっき紹介しました。
でもこの小説にでてくる大阪は、ぼくたちが知っている大阪の街とは違います。
たとえば、「裏側からみた大阪の街」。
主人公が川沿いの喫茶店でナポリタンを食べている場面にはこんな描写がでてきます。
「フォークにオレンジ色の麺を巻き付けながら、窓の外に目をやると
道頓堀川に面した対岸のビルが見える。半地下になっている店なので、
川は見えない。道頓堀川も御堂筋を西へ越えると派手なネオンも少なく、
結構な年数が経った建物たちは、一様に川に背を向けているというか、
道路側の目一杯存在をアピールする外装と比べると、飾り気もなく
空気穴のような暗い窓があるだけで淋しいというか舞台のセットの
裏側を見てしまったみたいな気持ちになる」(56ページ)
うまいですよね。
たくさんの観光客で賑わう派手な外装の建物も、
裏側からみると「空気穴のような暗い窓」があいているだけ。
このようにそこで暮らす人間の視点から眺めた街の姿がこの小説のそこここに出てきます。
もうひとつは、「時間をさかのぼった大阪の街」。
昔の大阪の街が写された写真を眺めるのが大好きな主人公に、
友人の男の子が古い写真を渡す場面を見てみると―――。
「写真は十枚ほどで、端が反っていたり皺になったりしていた。
コントラストの弱い、全体的に明るい灰色の白黒写真で、
どれも水が乾いた後のような黄色い染みができているけれど、
写り自体は鮮明だし歩いている人やビルからしても四、五十年前に見えた。
『それ、心斎橋みたいやから』
いちばん上にある写真は、大丸心斎橋店への御堂筋側の玄関前だった。
人通りの多い歩道で、白い帽子を手で押さえて笑っているワンピースを着た
女の人のぽっちゃりとした体の感じが、妙に生々しく感じられた」(97ページ)
「全然知らない場所の知らない人たちなのに、胸の奥のあたりがざわめいて
ずっと見ていたくなる」ほどに、主人公は昔の大阪の写真を見るのが好き。
なぜこれほどまでに彼女は古い街の写真に心惹かれるのでしょうか。
「突然、わたしはその光景が実際にあったものなのだと強く感じた。
その映像の中に映っていることがあって、そのあと何十年かの時間が流れて、
わたしが今いるここになっているのだと、思った」(107ページ)
「なんていうか、自分が今歩いているここを、
昔も歩いた人がおるってことを実感したいねん。
どんな人が、ここの道を歩いてきたんか、知りたいって言うたらええんかな?
自分がいるとこと、写真の中のそこがつながってるって言うか・・・」(116ページ)
そう、誰もがみな「その街の今」を生きているけれど、
ひとたびぼくたちが暮らす街を掘り起こせば、
そこには「今」だけではなく過去の時間も折り重なっている。
かつてそこで泣き笑い暮らした人々の記憶が、地層のように堆積しているのです。
小説を小説たらしめる最大の条件が「人間を描くこと」だとするならば、
柴崎友香さんはまさに、街を描くことで人間を浮かび上がらせるという
高度な芸をみせてくれています。
昨今の純文学は、精神を病んだ主人公とか壊れた家族の話とか
人間をどアップで描いたような作品ばかりで、正直辟易としていたのですが、
そんな中にあって『その街の今は』は、
あたかも遠くにすえたカメラをゆっくりとパンさせるかのようにして、
変わり続ける街と、その街を舞台に繰り返される人間の営みをうつしとっています。
このような貴重な才能にこそ
芥川賞のような大きな賞を与えるべきではないか。
清々しい読後感を胸にぼくはそう思いました。
投稿者 yomehon : 2006年11月16日 10:00