2006年09月04日
書店員の熱意
浜松町駅に隣接したビルのなかに本屋さんがあります。
店内はなかなかの広さですが、特に品揃えに特色があるわけではない
どこにでもあるような普通の本屋さんです。
ある日のこと。
店の一角に特設コーナーができていました。
みると「今野敏先生サイン会」とあります。(※サイン会はすでに終了しています)
ベストセラーの新刊本を中心に扱う
ごくごく普通の書店という印象を持っていたので、
「今野敏」という名前に興味をそそられました。
それに「なぜいま今野さんのサイン会?」という疑問もありました。
近づいてみてようやく事情が飲み込めました。
この店のNさんという店員が熱烈な今野敏ファンらしいのです。
過去何度か今野さんを招いてサイン会をやっているほどの大ファンらしく、
手作りのポップには「この作品を読んでくれ!」という熱気がみなぎっています。
それにしても「今野敏」を選ぶセンスがいい。
ぼくの考えでは作家には二種類あります。
ひとつは「芸術家(もどき)タイプ」
そしてもうひとつが「職人タイプ」です。
「芸術家(もどき)タイプ」はおもに純文学のジャンルに棲息しています。
たまに作品を発表すると文芸誌などで特集が組まれ、
ロングインタビューが掲載されたりします。
真面目な読者はそれをみて、あたかもたいへんな問題作や意欲作が発表されたかのような
勘違いをしてしまいがちなのですが、実はたいした小説ではなかったりします。
(ピカソなどの天才の名前をあげるまでもなく、真の芸術家は多作です)
一方、「職人タイプ」は、年にいくつも新作を発表するような物語のプロたちのこと。
彼らは新作についていちいち偉そうに語ったりしない代わりに、
次々と新しい作品を生み出します。
このタイプに属する人は、乃南アサさんとか佐伯泰英さんとか
いくらでも名前をあげることができる。
作家としてどちらが優秀かと問われれば、
ぼくは迷うことなく「職人タイプ!」と答えます。
なぜなら彼らは、どの作品においても確実に、
読者が支払ったお金に見合うだけの満足を提供してくれるからです。
今野敏さんもそんな「職人タイプ」を代表する作家です。
1978年のデビュー以来、著書は100冊を優に超えるこの作家を
世間はもっとリスペクトするべきではないでしょうか。
さて、熱狂的「今野敏」ファンである書店員Nさんが
今野ワールドにはまるきっかけになったのは、
『マティーニに懺悔を』(ハルキ文庫)だそう。
商店街の人々の溜まり場になっているバーに持ち込まれるトラブルを
お茶の師匠である主人公が解決していく話。
茶道を嗜む主人公の正体が拳法の達人であるところがミソです。
実は今野敏さんは、日本でいちばん格闘シーンを描くのがうまい作家です。
ご自身が空手道三段、棒術五段の使い手で、武道塾も主宰されるほど。
その成果は作品でいかんなく発揮されており、迫真の格闘シーンはそんじょそこらの
ケンカの弱い作家の追随を許しません。
『マティーニに懺悔を』にも見事な格闘シーンが多いので
(特に第二話「ヘネシーと泡盛」における茶室での格闘シーンは凄い!)
Nさんがその魅力の虜になってしまったのも無理はありません。
うん、うん、わかるよ、Nさん。
こちらも負けてはいられない!
ぼくが今野ワールドにはまるきっかけとなった作品を紹介しましょう。
『蓬莱』(講談社文庫)は、コンピュータ・ゲームと日本の建国神話を結びつけた
傑作小説です。
主人公はゲームソフト会社の社長。
「蓬莱」という国造りシミュレーションゲームを売り出そうとしていたところ
謎の勢力から発売を取りやめるよう脅迫されます。
実はこのソフトには、日本という国の成り立ちに関わる
ある事実が隠されていたのです・・・。
こんなふうにあらゆるタイプの作品を書き、そのどれもが読者を満足させる水準にある。
そんな物語の手練れであるにもかかわらず、今野さんはこれまで賞とは無縁でした。
ところが今野さんは今年『隠蔽捜査』(新潮社)で吉川英治文学新人賞を
受賞したのです。
『隠蔽捜査』の主人公は竜崎伸也。
警察庁長官官房総務課長を務める46歳のキャリア官僚です。
人一倍エリートとしての自負心が強く、
東大以外は大学ではないという考えの持ち主です。
ある日、連続殺人事件が起こります。
被害者は過去の少年事件の加害者たちでした。
マスコミ対策に追われるうちに竜崎は、事件の真相に気がつきます。
それは警察機構を根底から揺さぶるようなものでした。
そんな折り、竜崎は息子の犯罪行為を知ります。
家族の不祥事は確実に自分のキャリアに傷をつけるものです。
職場では警察組織が崩壊しかねない事実と直面し、
家庭では息子の犯した罪と向き合わなければならない。
このジレンマのなかで、根っからのエリートである主人公は驚くべき結論を出します。
隠すのは危機管理上まずい、と考えるのです。
それは、幼なじみである警視庁の刑事部長・伊丹との会話で、
こんなふうに表現されます。
伊丹はうんざりした顔になった。
「そんなことをして、おまえに何の得がある」
「本物の官僚は損得など考えない。どうしたらシステムが効率よく本来の
機能を果たすかを考えるんだ」 (241ページ)
頭が抜群に切れる主人公は、論理的かつ合理的に考えた結果、
警察というシステムが本来の機能を果たすためには
事件の真相を隠蔽するのはまずいと判断します。
そしてなんと警察上層部と戦い始めるのです。
また家族とも真剣に対話をはじめるのでした・・・。
この小説の素晴らしいところを申し上げましょう。
読者は最初、エリート臭がぷんぷんする主人公に反発をおぼえるはずです。
「なんて偏ったヤツだ」とか「なんてイヤミな野郎だ」とか。
主人公は自分を誰よりも優秀だと考えており、
官僚は選良なのだから国のために命を捧げて当然という使命感を持つと同時に、
警察官僚としての原理原則を絶対に曲げないという頑固さも持ちあわせています。
この性格は作品を通じて終始一貫しています。
ところが、このいけ好かない主人公の性格が、状況が変わったとたん、
実に魅力的な光を放ちはじめるのです。
言い方を換えれば、平時には鬱陶しい存在だった主人公が、
危機的状況のなかでは頼りがいのある存在へと変貌するのです。
同じ人物でも、ほんの少し光を当てる角度を変えるだけで、がらりと見え方が変わる。
この小説で今野さんが読者に見せてくれているのは、
そのような高度な人物描写のテクニックです。
読者は最初に「エリートって嫌だな~」と感じるものの、
読み進むうちに「日本に必要なのは主人公のような真のエリートだ」と思うはず。
熟練の物語職人の高度な技によって、いつの間にかそう思わされてしまうのです。
物語後半における家族とのやり取りなど思わずジ~ンとするシーンもあります。
横山秀夫さんの作品にもひけをとらない警察小説の秀作!
ぜひお読みください!
・・・・って、いつの間にかぼくもNさんの熱意に感染してしまったようです。
投稿者 yomehon : 2006年09月04日 10:00