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2006年04月26日

読書のリハビリテーション

年がら年中読書をしていると、ときどきアタマがパンクしそうになります。

「本を読む」というのはすなわち「文章の意味を追うこと」です。

きっとあまりにも意味ばかり追いかけすぎて、アタマの中がいろんな意味を帯びた言葉で
はちきれそうになるのだと思います。

そんな症状のときはリハビリが必要です。
いろいろと試してみた結果、僕がもっとも効果的だと思うのは「詩を読むこと」。

「本の読み過ぎでリハビリが必要だなんて言っておきながら、そのうえ詩を読むだって?」

そんな疑問の声が聞こえてきそうです。
でも違うのです。

正確にいえば詩は「読む」ものではなく、「感じる」ものです。


「何よりもまず、『詩には作者の気持ちが述べられてある』という《迷信》から抜けだそう。
気持ちを述べるのは、散文の仕事だ。詩は述べない。詩は問いかけ、詩は求める。

・・・・日常の、しごくありふれた言葉も、詩人によって選ばれ、あたらしい組み合わせの中に取り込まれて、魂の夜空に打ち上げられると、それはいまだかつて誰一人耳にしたことのない不思議なメッセージを、
――しかし、内的宇宙の《真実》に深くかかわるこの上なく正確な諸データをいっぱいに含んだメッセージを、
読者の心に直接送り届けてくる。詩は言葉で造られた、内的宇宙の探査衛星だ。

・・・・・詩に接するのに《解釈》はいらない。・・・・・大切なのは、解釈ではなくて、
心を開いてメッセージを《感じ取る》こと、《共に魂をふるわせること》だ。」
                     (「魂の探査衛星」入沢康夫 『詩のレッスン』小学館より)


そんなわけで現在はリハビリ期間中です。
リハビリのお供は小池昌代さんの最新詩集『地上を渡る声』(書肆山田)。

小池昌代さんは、いまもっとも旬な詩人です。

小池さんの詩はみずみずしく爽やかで、
なにものにもとらわれない自由を感じさせます。

けれど新刊『地上を渡る声』の手触りは違います。


日常のなかからふっと浮かび上がってくる「死」の感触に
ふいに頬を撫でられてひやりとする。
けれどその後に「生」の実感が湧きあがってくる。  
そんな感じ。


人はいずれ死ぬ。だけどいまは生きている。


小池さんの言葉が、からだの奥にダイレクトに響きます。


つくづく詩人は凄いと思います。


「あなたの意見と私の考えは違います」

世の中はそんな陳腐な対立にあふれていますが、
詩の言葉は対立など飛び越えてダイレクトに相手に届くからです。

詩人の凄さはそれだけではありません。

たとえば、喜びや怒り、悲しみのようなくっきりとした感情が生まれる前の
もやもやとした気持ちを、いちばん上手に表現できるのは詩人です。


もっとさかのぼって、言葉というものがまだ生まれる前の
ネアンデルタール人の感情を表現できるのも詩人だけでしょうし、

詩人は、この地球の誕生の様子すら再現できるかもしれません。

それらをすべて、詩人は言葉を駆使して表現するのです。

しかも、ふつうはあり得ないような言葉の組み合わせで、
僕たちの細胞記憶に直接働きかけ、
大切なことを思い出させてくれます。

たまにはアタマを空っぽにして、
ダイレクトに心に届く詩の言葉に身を委ねてみてください。

決して「意味」など考えず、ましてや「解釈」などせずに、ただただ身を委ねるのです。

すると、自分のなかの「意味」に凝り固まった部分、

「最近流行っている店はどこか」とか、

「格差社会は是か非か」とか、

「人はいかに生きるべきか」とか、

世の中にあふれるいろんな「意味」にとらわれて強張ってしまった部分が、
揉みほぐされていくのがわかるはずです。

それがどんなに気持ちいいことか。

時には詩を。

詩の言葉でじゅうぶんにマッサージをされたら、
また忙しく本を読む毎日がはじまります。

投稿者 yomehon : 2006年04月26日 09:54