4月24日放送分後記

皆さま、こんにちは。安藤和津です。
今回お迎えしたゲストは、
女子プロゴルファーの東尾理子さんでした。

東尾家の皆さんとはずっと同じマンションで仲良くさせて頂いていたので、
いざ改まってお話を伺うのは、何だか妙に緊張してしまいました。
昔を知っているだけに娘を見ているような気分(笑)

そんな理子さんの初恋話は衝撃でした!
お相手は、なんと元プロ野球選手の清原和博氏。そう、あのキヨハラさん!
小学生の理子さんはPL学園のときから清原さんに憧れていたんだとかで…
いやはや驚きです。清原さんといえば、西武ライオンズの黄金時代を支えた選手。
理子さんのお父様も監督を務めていらっしゃいました。そのつながりで、
サインを送ってもらったり、お手紙をもらったりしていたそうです。
しかも、そのときのお手紙は今も大事にとってあるんだそうです。
初めて清原さんと対面したときには、
恥ずかしさのあまり泣いてしまったというのですから初々しいですよね~。

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小さい頃、留守がちなお父様は「テレビで観る人」だったという理子さん。
その間にお母様の影響で8歳の時からゴルフを始め、
中学生のときに家族そろって上京。
高校では自らゴルフ部を発足させてキャプテンを務めます。
そしてフロリダ大学へ留学。ご両親はさぞかし寂しかったでしょうね。

プロになろう!と決意したのは大学時代だというのも、
野球選手だったお父様を見ていて、軽々しくプロになると言えなかったから。
でもそこは負けん気と向上心あふれる理子さん!
大学卒業後、「どこまで上手くなれるか」を突き詰めたい一心でプロ入りし、
日・米の両ツアーでご活躍されます。

さて次回は、いよいよプロになったあとのお話と、
個人的にとっても気になる新婚生活についても突っ込んでお伺いしていきます。
ここでしか聞けないおノロケ話が出るかもですよ!
どうぞお楽しみに!!

2011.04.25

4月17日放送分後記

皆さま、こんにちは。安藤和津です。
今回お迎えしたゲストは、先週に引き続き、
劇団新派を率いる女優・水谷八重子さんでした。

高校生のとき、水谷良重の名で女優・歌手としてデビューされた水谷さん。
当初、大女優であったお母様からの教えは、この二つだけだったそうです。
「本当にその役になりきりなさい」。「良重に戻ってはいけません」。
お母様は、舞台をつくる上で最低限のルールは厳しく教えながらも、
髪型や衣装などはほとんど水谷さんの“個性”に任せていたのだとか。

芸の上で、お母様に怒られた思い出といえば「泣き」の演技だったそうです。
水谷さんいわく、
「良かれと思って花柳章太郎先生の真似をしたら、やめなさい!と怒られました」。
花柳先生といえば、新派を支え続けた名女形。
しかし、「男性が女として泣く芸と、生身の女性が女として泣く芸は違う」。
お母様はそうおっしゃられたそうです。奥が深いですよね。

お母様は、新派の伝統や歴史をあとに伝えていく使命を持っておられました。
そして1995年、二代目・水谷八重子として、
そのバトンを引き継いだのが現在の水谷さんです。

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ちょうどオンエアの前日がお誕生日だった水谷さんは、現在73歳。
「先週とは違う私なんです」という謎かけのようなお言葉に、
番組冒頭から脇腹をコショコショとくすぐられるような気持ちでした(笑)
水谷さんのような先輩方のお話をうかがう度、
本当に元気と勇気をいただいています!

そんな水谷さん出演の舞台、新派喜劇公演『三婆(さんばば)』が、
4月14日より大阪松竹座で行われます。
詳しくは劇団新派のホームページをご覧くださいませ。
元気な「三婆」による舞台は、きっとパワーをもらえますよ!

さて、次回は、東尾理子(ひがしお・りこ)さんをお迎えします。
どうぞお楽しみに!

2011.04.18

4月10日放送分後記

皆さま、こんにちは。安藤和津です。
地震発生から1カ月が過ぎようとしています。
私にできる事は限られていますが、それでも、
小さい力が集まって大きな力となるよう
引き続き支援活動に尽力したいと思っております。
先日は被災地にも行って来ました。
皆さん、とても前向きでかえって希望を頂いて帰って来ました。
生きる力は素晴らしいです!

さて、今回お迎えしたゲストは、
劇団新派を代表する女優・水谷八重子さんでした。
実はわたし、デビュー当時の水谷さんにお会いしたことがあります。
スラッと背が高く、髪は金色に近い茶髪で、
足首にはキラリと光るアンクレット。
真っ赤なネイルに じーっ と見とれてしまって、
子供ながらに「すてき〜!」と憧れを抱いたのを覚えています。


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そんな水谷さんは、かなりヤンチャな学生時代を過ごされていたそう。
当時のご自身を振り返り、こうおっしゃられていました。
「怒られるといえば私」。
いわゆる、じゃじゃ馬娘だったそうで、
そもそも女優になると決めたのも「学校に行くのが嫌だったから」
…ということだそうです(ビックリ~!)

お父様は歌舞伎役者、お母様は女優という役者の血を濃く引き継いでいる水谷さん。
16歳のときに女優として、同時に歌手としてデビューしてからは、
思惑通り学校にいく暇もないくらい多忙な毎日を送ることになります。
ただ一つ違ったのは、「学校よりも大変だったこと」なのだとか(笑)

その後、新派の“新しい風”として数々の現代劇で活躍されます。
当時、新派を代表する女優であったお母様が「現代劇運動」に力を入れておられ、
まさに水谷さんのような型破りで最先端の人物が求められていたのです。
水谷さん自身、最初は親の七光りのみでデビューしたと思われていたそうですが、
けっしてそればかりではなかった…ということですね。
それにしても、新派の歴史は123年!すごい!!

次回は、水谷八重子さんのお母様とのエピソードなどもお伺いします。
どうぞお楽しみに!!

2011.04.11

4月3日放送分後記

皆さま、こんにちは。安藤和津です。
今回お迎えしたゲストは、先週に引き続き、
歌手の夏川りみさんでした。

夏川さんの代表曲といえば、『涙そうそう』ですよね。
もともとこの曲は、同じく石垣島出身のアーティストであるBEGINの曲。
夏川さんはBEGINが歌う『涙そうそう』をテレビで初めて聴き、
一瞬にして虜になったそう。
「こんな歌を歌いたい」。 
実はこのとき初めて、“自分が歌いたい曲”を知ったのだとか。

そして『涙そうそう』が大ヒットし、念願の紅白歌合戦に出場。
その年は、BEGINやDA PUMPといった同郷の皆さんも出場しており、
夏川さんの故郷・石垣島は島をあげての応援で大盛り上がり!!
なかでも、歌の師匠であるお父様がとても喜ばれたそうです。
一方、お母様はというと、歌手として多忙な日々を送る娘に対して、
「ちゃんと結婚して子育てもしてほしいさー」とポツリ。


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はい、2009年にご結婚され、昨年にはご長男をもうけられました!
夏川さんは、お父様とお母様、両方の願いを叶えた孝行娘ですね~。
今年3月9日にリリースされたニューアルバム『ぬちぐすい みみぐすい』は、
妊娠中と出産後の2回にわけてレコーディングされたそうで、
夏川さんご自身も「本当に貴重な体験だった」と語っています。
『ぬちぐすい』とは、沖縄で“命の薬”という意味。
母の愛情や優しさを表現する言葉としても使われています。
『みみぐすい』は、“耳の薬”という意味が込められているのだとか。
石垣島に広がる海のような透明感、豊かな自然に育まれたのびやかな抱擁感。
そんな夏川さんの魅力がいっぱいつまったアルバムです。

5月4日からは、夏川りみとして初のコンサートツアーをされます。
「初」というのが意外ですよね。東京では7月に中野サンプラザで開催予定。
私も、ママになった夏川さんの歌声に癒されてみたい!

さて、次回は、女優の水谷八重子(みずたに・やえこ)さんをお迎えします。
どうぞお楽しみに!

2011.04.04

安藤和津 トークマルシェ

安藤和津さんがさまざまなジャンルで活躍されている方をお迎えして、その時々に興味と関心の高い話題を伺います。安藤和津さんは、エッセイストとして、二人の娘の母として、俳優・映画監督の妻として、CNNの元ニュースキャスターとして、母の介護をしてきた女性として・・・いろいろな視線で優しく面白くインタビューしています。日曜日の朝、トークのマルシェ(市場)へようこそ。


プロフィール

東京生まれ。初等科から高校まで学習院に学ぶ。
上智大学独文科卒業後、イギリスに留学。エッセイストやコメンテーターとしてテレビ番組に出演。夫は、俳優・映画監督の奥田瑛二氏。著書は『女盛りは子育て盛り-Momoko&Sakura』文化出版局、『月うさぎ』奥田瑛二絵、あすなろ書房、『あいうえお-安藤和津の主婦と生活』PHP研究所、『愛すること愛されること』講談社、『てきぱき家事絵本』小学館、『忙しママの愛情レシピ121』講談社、『愛すること愛されること』講談社<講談社文庫>、『さくらうさぎ』奥田瑛二絵、ミキハウス、『オムツをはいたママ-母との愛と格闘の日々』グラフ社、『長い散歩』学習研究社 など