3月27日放送分後記

皆さま、こんにちは。安藤和津です。
11日に発生しました大地震により、多くの尊い命が失われたことに
深い追悼の意をささげます。また、被災された方々へ心よりお見舞い申し上げます。
今回の未曾有の大惨事。心が痛みます。
私達にできることを、一つでも多く被災地にお届けしたいと思っています。
皆様、ともに力を合わせて、オールジャパンで頑張りましょう。
一日も早い復興を祈っております。

今回お迎えしたゲストは、
ニューアルバム『ぬちぐすい みみぐすい』をリリースされた
歌手の夏川りみさんでした。
ニューアルバムのコンセプトは、「生まれてくる子供たちに贈る歌」。
一児の母になったばかりの夏川さんですが、お会いしてびっくり!
まるで少女のような雰囲気で、向かい合ってお話を伺っていると、
そのキレイな瞳に吸い込まれるかと思ってしまいました。

お父様の指導のもと、3歳から歌い始めたという夏川さんにとって、
歌うことは呼吸をするのと同じくらい自然なこと。
子供時代から歌手の道しか考えたことがなかったそうです。
小学校に上がる頃には、自宅で毎日2時間のレッスン。
感情の込め方や強弱の付け方などが書きこまれた
お父様お手製の大きな歌詞カードを使って練習していたのだとか。
たまに歌わない日があると、
ご近所の方から「りみちゃん、具合でも悪いの?」と心配されるほど。
それくらい歌っているのが当たり前の毎日だったんですね。

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9歳にして「のど自慢大会」で優勝し、
中学1年のときには「長崎歌謡祭」にて史上最年少グランプリ!
スカウトを受けて上京した後は、演歌歌手としてデビューします。
…が、ヒット曲に恵まれず、一度は沖縄に戻りました。
しかし、けっして後ろ向きではなかったのが夏川さんのスゴイところ。
お姉様の経営する那覇の飲食店で歌いながら、
沖縄本島の文化を知り、改めて沖縄全体の魅力を再発見。
この“小休止”の間に、民謡や方言など様々なことが勉強できたそうです。

そして、またもやスカウトを受け、夏川りみとして再デビュー。
ご存知『涙そうそう』が大ヒットします。
さあ次回も引き続き、夏川りみさんをお迎えしてお送りします。
どうぞお楽しみに!

2011.03.28

3月20日放送分後記

皆さま、こんにちは。安藤和津です。
今回お迎えしたゲストは、先週に引き続き、
女子プロレス界に偉大なる金字塔を打ち立てたジャガー横田さんでした。

全日本女子プロレスに入門してからは、一日8時間の練習。
3カ月後、プロテストに合格。そして15歳でデビュー。
当時は女子プロ全盛期。年間300本の試合を先輩とともに全国各地で行い、
その合間に基礎体力づくりはもちろん、技や受け身などを猛特訓。
入門から1年後には、同期生が半分に減っていたそうです。

そんな中、ジャガー横田さんは、「人より一回多く練習していた」のだとか。
周りに比べて小柄だったジャガーさんは、
人よりも多く練習を重ねることでご自身のウィークポイントをカバーしたのです。
今ある状況の中でベストを尽くす。この不屈の精神は、
のちに苦しい不妊治療の末、高齢出産に挑んだことからも感じられますよね。
「やらないより、やって後悔した方がいい」。
本当にその通りだと思います。人間やろうと思えば、できないことはない!!

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もうひとつ。ジャガー横田さんといえば「タイトルキラー」。
中でも、『WWWA世界シングル王座』のタイトルを獲得したときのお話は、
そのまま少女漫画になりそうなほどドラマティック!
なぜなら対戦相手は、あのビューティーペアのジャッキー佐藤さん。
ジャガーさんが女子プロレスに入るきっかけをつくってくれた憧れの先輩です。
新人時代には付き人もしていたという大先輩を相手に、
ジャガーさんは勝利を掴みとり、一躍女子プロレス界のトップに躍り出ます。

その後はご存知の通り、何度も防衛戦に勝利し、
着実にスターの座を駆け上っていったジャガー横田さん。
その裏側では、王者としての苦悩やプレッシャーなどもありました。
二度にわたる引退、貯金ゼロのアルバイト生活、そして現役復帰、高齢出産…。
持ち前の不屈の精神で人生を切り拓き、女子プロレスラーとして、
妻として、母として、今も輝くその姿は本当にカッコイイな~。

さて、次回は、夏川りみさんをお迎えします。
どうぞお楽しみに!

2011.03.21

3月13日放送分後記

皆さま、こんにちは。安藤和津です。
今回お迎えしたゲストは、現役プロレスラーであり一児の母でもある
ジャガー横田さんでした。

四人姉妹の末っ子として生まれ、幼い頃は泣き虫で甘えん坊。
ご両親が離婚されたあとは母方の祖父母に預けられ、
母親に会えるのは月に1回という幼少時代を過ごされたジャガー横田さん。

小学生の頃には親しみを込めて「パパ」と呼ぶ義理のお父様ができ、
家族みんなで暮らせるようになります。
しかし、一方では学校で“いじめ”にあった経験も。
大人しくて、けっして自分から前に出るタイプではなかったそうです。
中学時代、片想いをしていた先輩とのエピソードからも、
内気で純粋な女の子だったことがわかりますよね。
当時のお話をされるジャガーさんは、とっても可愛らしかったです♪

そんなジャガーさんが、なぜ女子プロレスの世界に?
きっかけは、中学3年生のときに見たという「ビューティーペア」の試合。
テレビの中で繰り広げられる女同士の闘いに強く惹かれ、
直感的に「これだ!!」と思ったのだとか。
驚くことに、女子プロレスを見たのは、そのときが“初めて”。
まさに運命的な出会い!
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幼い頃よりお母様が苦労している姿を見てきたジャガーさんは、
高校進学よりも、十代で自立する道を選びました。
「負担のかからない自分に早くなりたかった」。これがジャガーさんの思い。
その後、新人募集のオーディションで一次~三次と順調に勝ち抜き、
総勢100名のうち合格者7名の中に見事選ばれることに。
ご両親への報告は、「私、女子プロレスラーになる」だったそうです。
お義父さまもお母様もさぞかしびっくりしたことでしょう。
大人しいとばかり思っていた娘が、突然、そんなことを言い出したんですから!
そのとき、交通費としてもらった3千円を、千円ずつご両親に渡し、
初めての親孝行をされたのだとか。良いお話ですよね。

さあ、次はいよいよ女子プロレス時代のお話に突入です!
次回も引き続きジャガー横田さんをお迎えしてお送りいたします。お楽しみに!!

2011.03.14

3月6日放送分後記

皆さま、こんにちは。安藤和津です。
今回お迎えしたゲストは、先週に引き続き、
アナウンサー・キャスターの露木茂さんでした。

フジテレビ時代の裏話がたくさん伺えて、とっても楽しかったですよね。
とくに、アナウンサー新人時代のお話。
当時は番組の最初と最後にアナウンサーが送る生CMがあって、
フジテレビでは新人アナウンサーが担当していたそうです。
それを露木さんは、宿直明けで睡魔に負けてしまい、
大事なコマーシャルをすっ飛ばすという大失敗をしたことが!!

ほかにも、局で思わず寝過してしまい、
ランニングシャツとパンツ姿で慌ててブースに飛び込んだことも!
まだ全て生放送の時代ですから、そんなことが度々あったそうです(笑)

そして、なんと入社2年目で『小川宏ショー』に大抜擢。
起用の理由は、若手の中で既婚者が露木さんだけだったからなのだとか!?
露木さんはこの番組で、アナウンサーとしてさまざまなことを学ばれたそうです。

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また、日本を震撼させた「日航機よど号ハイジャック事件」では、
韓国の金浦空港まで飛び、3日間ほとんど眠ることなく現地でレポート。
このときも、唯一パスポートを持っている、という理由での起用だったのだとか…。

露木さんは、フジテレビ時代の思い出を振りかえって、こう語ってくださいました。
「チャンスは、誰にでもめぐってくる」。
そう、めぐってきたチャンスをものにできるかどうか。それが大切なんですよね。
戦争など激動の時代を乗り越え、メディアの世界で生き抜いてきた強さを、
露木さんの生き方から感じることができます。
素敵なのは声だけじゃない!

さて、次回はジャガー横田(じゃがー・よこた)さんをお迎えします。
女子プロレスから子育てまで、いったいどんなお話が飛び出すのか。
お楽しみに!!

2011.03.07

安藤和津 トークマルシェ

安藤和津さんがさまざまなジャンルで活躍されている方をお迎えして、その時々に興味と関心の高い話題を伺います。安藤和津さんは、エッセイストとして、二人の娘の母として、俳優・映画監督の妻として、CNNの元ニュースキャスターとして、母の介護をしてきた女性として・・・いろいろな視線で優しく面白くインタビューしています。日曜日の朝、トークのマルシェ(市場)へようこそ。


プロフィール

東京生まれ。初等科から高校まで学習院に学ぶ。
上智大学独文科卒業後、イギリスに留学。エッセイストやコメンテーターとしてテレビ番組に出演。夫は、俳優・映画監督の奥田瑛二氏。著書は『女盛りは子育て盛り-Momoko&Sakura』文化出版局、『月うさぎ』奥田瑛二絵、あすなろ書房、『あいうえお-安藤和津の主婦と生活』PHP研究所、『愛すること愛されること』講談社、『てきぱき家事絵本』小学館、『忙しママの愛情レシピ121』講談社、『愛すること愛されること』講談社<講談社文庫>、『さくらうさぎ』奥田瑛二絵、ミキハウス、『オムツをはいたママ-母との愛と格闘の日々』グラフ社、『長い散歩』学習研究社 など