7月26日放送分後記
みなさま、こんにちは。今回も、前回に引き続き、
今年で98歳を迎えるとは思えないアグレッシブな方、
聖路加国際病院名誉院長・理事長であり、
いまでも現役で診察・回診を行っている
医師の日野原重明先生をお招きしました。
前回は、先生のように、いつまでも若々しく元気で
いるための心構えの極意をおしえていただきました。
今回は先生の考え方に影響を与えた人物や出来事など
をお聞きすることに・・・。
まず医師になろうとしたきっかけ。
日野原少年にとって、
小学生時代に腎臓病を患った時に出会った
という安永先生の存在を抜きには語れません。
親切に治療に当たって下さった安永先生、
直後に日野原少年のお母様も病気で倒れてしまいますが、
不安がる日野原少年を優しく励ましながら、
今度はお母様も治療して下さった安永先生、
その姿に感動した日野原少年は
「医師はこうあるべき」
という姿を目の当たりにし医師を目指すわけです。
目標を持たないと言われる現代の子供たちは、
「モデルは見つけるべき」
と日野原先生もおっしゃっていましたが、
日野原先生にとって安永先生がモデルだったんですね。
子供たちがああなりたいと憧れる「モデル」は、大人。
でも、今翻って考えてみると、現在、モデルたりえる
大人がどれだけ日本にいるのでしょうか?
耳の痛いことですが、先生も大人は子供たちに
もっと「生き方のモデル」を見せていかないと
ダメだとおっしゃっていました。
先生は、全国の小学校をまわって講演をする
「いのちの授業」を続けてらっしゃいます。
子供たちにメッセージを伝えながら、
ご自分も元気を“吸い取っている”と
おっしゃっていましたが、
子供たちにとっては先生が「モデル」に
見えているんじゃないでしょうか?
そして、先生の人生観を変える “事件”が、
1970年に起きた「よど号ハイジャック事件」です。
ハイジャックされた飛行機に乗り合わせてしまった
日野原先生。当時60歳。
一度は人生もこれまでと観念されたそうですが、
助かったことで、これからは自分が得た経験を
人に分け与える人生を送ろう
という考えがぽっと浮かんだそうです。
それはペイ・フォワードという考え方で、
今に至るまで実践している先生の哲学です。
生かされたことに何か意味があるんだろうか?
と自問して出てきた答えが、ペイ・フォワード。
とても印象的な言葉でした。
日野原先生は、今年で98歳!
でも、まだまだいろんな経験を私たちにどうぞ
分けてくださいね!
さて、次回はデザイナーの山本寛斎さんをお迎えします。
どうぞお楽しみに。
7月19日放送分後記
みなさま、こんにちは。
今回は、今年で98歳を迎えるとは思えない
アグレッシブな方をゲストにお招きしました。
そうです!みなさま ご存知の、
聖路加国際病院名誉院長・理事長であり、
いまでも現役で診察・回診を行っていらっしゃる
医師の日野原重明先生が今回のゲストです。
先生とは5年ぐらい前に、
雑誌で対談させて頂いたことがあります。
5年ぶりにお会いした先生の印象は、
みなさん、驚かないでくださいね、
5年前よりもさらにお元気になっている!!でした。
握手をさせていただいたんですが、
先生の握りしめる手の力強いこと、
先生の手の大きくがっしりしてあたたかいこと!?
優しい眼で見つめられながら、
この力強い手で診察されれば
患者さんの不安も和らぐのでは?と
勝手に想像してしまいました。
正直に告白しますと、
私たち夫婦そろって先生の「ファン」です。
旦那に頼まれ、
色紙に先生のサインを頂いてしまいました。
超ミーハーでごめんなさい!(笑)
お歳を召されるたびにどんどん輝きを増す
日野原先生の秘密―1週目はこの秘密の解明に
挑戦してみました。
今でこそバリバリ働いてらっしゃる先生ですが、
小学校と大学生時代に大病を患っています。
医師の道を断念しなければならない不安を抱えながら、
それでも困難を乗り越えて、目標を達成できた裏には
先生の独特な思考法があったんです。
それは、
ストレスを「悪いストレス」と「良いストレス」に
分けてとらえるという考え方です。
「悪いストレス」は、私たちがストレスと聞いて
まっさきに思い浮かべるネガティブなイメージの
いわば “普通のストレス”。これは当然いい結果を生みません。
一方、一見すると矛盾しているように聞こえる
「良いストレス」というのは、
こんなにやる仕事があるんだ!
これだけやれることがまだまだあるんだ!
とポジティブな発想に転換することで自分を奮い立たせる
“ストレス”のこと。
先生は毎日、分刻みのスケジュールをこなしていらっしゃいますが、
悪いストレスを良いストレスに変える「心のスイッチ」を
持っていらっしゃるんです。
そう言えば、バネは一度ぎゅっと押して、
ストレスをかけてこそ、勢いよく飛ぶことができますよね?
人間も同じで、悪いストレスを良いストレスに切り替える
スイッチさえもてば、日野原先生のようにいつまでも
かくしゃくとしていることができるんですね。
ホント、先生にお会いするたびに、
人生の真理について、気づかせていただいています。
やっぱり、筋金入りの日野原ファンです。
次回はさらに詳しく先生の人生哲学についてうかがいます。
7月12日放送分後記
みなさま、こんにちは!
今回のお客様は、前回に引き続き、
マルチデザイナーのドン小西さんでした。
前回は、ドン小西さんのファッションセンスや
その美意識の原点となる子供時代を中心にうかがいました。
今回はその続き。
意外にも、ファッションとは無関係の大学の理工学部に
入学したドン小西さん。でも、やっぱり呉服屋さんの息子。
服のデザインをやりたいという願いは強く、
大学の勉強そっちのけで、服を自作していたそうです。
※ドン小西さんの服作りが、独学だったことを
今回初めて知り、衝撃を受けました!!
そして、当時、世界で1番オシャレだった街ロンドンに
3か月遊びに行き最先端のファッションに触れたことで
小西さんはデザインの世界に本格的に足を踏み入れます。
就職したのはもちろんアパレル会社。・・・ところが!!
入社5日目で、会社に警察の家宅捜索が入ったのです!!
なんと、社長をはじめ、トップたちが麻薬で逮捕!
そんな会社だとは露知らず、
ドン小西さんはさぞ面喰ったことでしょう!
そして、我慢して29歳まで勤め、念願の独立!!
ところがところが!!・・・世間はそんなに甘くない!
会社を立ち上げるなんて初めての経験で、
ノウハウのなかったドン小西さん・・・。
資金は底をつき、会社は早々に行き詰まってしまいました。
でも、そこで助けてくれたのがやっぱり実家の呉服屋さん。
と言っても、資金援助ではありません!
ドン小西さんが生まれ育った呉服屋さんの大きなお屋敷で、
子供の頃に目で見て手で触れていたホンモノの色彩の世界。
この“ホンモノ”を知っているドン小西さんは、
お金のない中で、たんなる端切れを集めてきては、
和服のような繊細な色の組み合わせを駆使して
セーターを作り上げたのです。
そして、大大大ヒット!! 私もよくおぼえています!!
ホント、人生は何が功を奏するかわかりませんね。
それから、ドン小西さんの快進撃が始まりました。
ところがところが!!一難去ってまた一難!
好調だった会社の業績が急に右肩下がりを続け、
ドン小西さんは莫大な借金を背負うことに・・・。
ここで、小西さんがとった行動が、実に“男”でした。
「目の前に困難があっても絶対に逃げない!」
当時、同じように借金を背負い、夜逃げした同業者が
多かったそうですが、ドン小西さんは逃げも隠れもせず
財産を売り払って、借金を返していったのです。
私は前々から思っていました。
ドン小西さんは人生や人に対して本当に誠実な人。
奇抜なファッションや辛辣なコメントをしているテレビでの
ドン小西さんからはなかなか想像し難いかもしれません。
でも、ドン小西は人一倍、周囲に気を使う方ですし、
人に対しても正直な人なんです。
それは自分自身に対してもそう。冷静な自己分析力で
他人以上に自分自身に対して辛口の評価は下している
のがドン小西さん。
苦しかった当時のことを、
まるで物語のように楽しそうに話すドン小西さんを見て、
とても勇気づけられた2週間でした。
さて、次回は医師の日野原重明さんをお迎えします。
私もお会いするのが今から待ち遠しい方です。
どうぞお楽しみに!
7月5日放送分後記
みなさま、こんにちは!
今回のお客様はマルチデザイナーのドン小西さんでした。
ラジオなのに
ド派手カラーのファッションで登場したドン小西さん。
地味な文化放送内で1人だけ色鮮やかに輝いていました!
そろそろ還暦を迎える方とは思えない色彩感覚!
(ドン小西さんは1950年生まれ)
難しい色のコーディネートをサラリと着こなしてしまうのはさすがです!
こういったセンスは、一朝一夕ではとうてい身につくもんじゃありません。
じゃあドン小西さんはどうやってこのセンスを身につけたのか?
今回、ドン小西さんの原点を探って、わかった気がします。
ドン小西さんは、
三重県の大きな呉服屋さんを営む家庭に生まれました。
おじい様が一代で築きあげ大成功、お店と続く実家も大きな家!
お手伝いさんがいるは、渡り廊下の下に池があるはで、
その豪華さの程がうかがい知れるとおもいます。
そして、ドン小西さんは、上下を姉妹に挟まれた長男!
かわいがられないわけがありません!
そして、なんといっても呉服屋さんですから、周りには、
豪華な反物や帯がごくごく自然にありました。
それらは値段だけでは計り知れない“ホンモノ”ばかり。
しかも、和服だけではありません。
家には“ホンモノ”の家具・調度品があったんです・・・。
子供の頃から知らず知らずのうちにたくさんの“ホンモノ”を
目で見て、手で触れていた得難い経験が、
その後ドン小西さんが
ファッションデザイナーとして頭角をあらわすときに、
いかんなく発揮されました。
生まれる環境は選べませんから、
神様が与えてくれた幸運な家庭だったんだと思います。
でも、これが大事なところだと思うんですが、
恵まれた環境を生かすも殺すも、最終的には本人次第!
今回、お話をしてみて、ドン小西さんのセンスの源は、
恵まれた環境だけでなく、さらにもう1つあると思いました。
それはドン小西さんご自身が
生まれる前から持っていたとしか言いようがない、
「美」に対する欲求です。
小学校時代は、スカートをはき、頭にリボンをしていた
というドン小西さん
(現在の小西さんの顔で想像してはダメですよ!
あくまでも、ドン小西さんの子供時代です!)
いっけん女装のように思われがちですが、
女装趣味があったとか、女性になりたかったから
というわけではないんです。
ただキレイだと思うから・・・
ただおしゃれになりたいから・・・
だからやっていたというこの美意識です!
持って生まれたものとしか言いようがありません。
ドン小西さんが元々持っていたこの「種」に、
呉服屋さんという恵まれた環境が「養分」を与え、
ファッションデザインナーという「花」を咲かせた・・・
そう思いませんか?
さて、次回は、ドン小西さんが念願のアパレル会社に就職し、
まさにこれからという時に待ち受けていたとんでもない事件から
お話をうかがいます。どうぞお楽しみに!!