5月17日放送分後記
みなさま、こんにちは!
今回は前回に引き続き元ガロの【大野真澄さん】を
お迎えしました。
前回もお話ししましたが、愛知県岡崎市から上京した
大野さんは、デザイン学校に通いながら、
アメリカから入って来たロックミュージカル『ヘアー』
のオーディションを受け、
そこで、私とも出会うことになるわけですが、
実は後にガロを結成することになる堀内さんと日高さん
とも『ヘアー』で出会っていたんです。
結局日高さんは『ヘアー』のステージには立ちませんでしたが、
意気投合して後にガロ結成に至ったわけです。
そしてすぐに「学生街の喫茶店」で人気が大爆発!
私も『ヘアー』を通して
ガロの3人のことは知っていましたが、
『ヘアー』のすぐ後に、留学してしまったので
日本の情報には疎くなっていました。
帰国したある日、テレビをつけると
なんと3人が歌っているじゃありませんか!?
あのときは本当にビックリしましたね・・・。
でも、意外にも、大野さんとしては「学生街の・・・」
のヒットはちょっと複雑だったということを
今日初めて知って、これまたビックリ!
なんでも「学生街の・・・」はB面の曲で、
しかもロックをやりたかった3人は、フォークのような
「学生街の喫茶店」のヒットに戸惑ったそうなんです。
しかも、大野さんは「学生街の・・・」がヒットしている
最中に体をこわして入院。
病院のベッドで2人がテレビで「学生街の・・・」を歌う
姿を遠い世界を見るような目で見ていたんだとか。
誠実で真面目な性格の大野さんはそれまで、
バンドの仕事をとってきたり、ライブの準備をしたりと
マネージャー的なこともしていたそうで、
大ヒットによる多忙な状況の中で、一気に疲れが出て
しまったんでしょうね。
「学生街の・・・」がヒットしたことは当然うれしいけど
本当はロックをやりたいというジレンマともあいまって、
精神的にズタズタ。そして、ついにバンドが解散。
でも、こんなつらい時期を乗り越えられた大野さんの強さは、
やっぱり、新聞少年までして夢をかなえようとしていた
少年時代に培われたものなんでしょうね。
自分たちがやったことの責任は自分たちで受け入れる。
だからこそ、冷静に過去を振り返れるんだと思います。
そして、大野さんと私、同世代の方々も、
外見はおじさん、おばさん、になっても
まだまだ青春時代は終わっていません!
まだまだやれることはいっぱいあります!
みなさん、あきらめないで
がんばっていきましょうね!
さて、次回はあべ静江さんを
お迎えします。どうぞお楽しみに!